普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

迷走、妄想、寒そう……韓国

2017-04-01 02:19:28 | 極端な人々<的>な
韓国は、踏まんで良い虎の尾を踏んだのではないか?

朴槿恵前大統領を罷免し、その上逮捕までした。

これまでにも全斗煥、盧泰愚といった大統領経験者が、辞めた途端に逮捕され犯罪者になってきた国だ。

もっと言えば、傍から見ればお馬鹿に見えるけれど、なんだか国のために頑張ってるように見えた大統領経験者、廬武鉉が自殺せざるを得ないような国だ。

そしてそのことに、国民が痛みを感じていないという、まったくもって不思議なお国柄だ。

そしてさらに、そうした過去の歴史を忘れたかのように、朴槿恵氏を逮捕し血祭りにあげようとしている。彼女がまともな神経を持っている女性であったら、おそらく逮捕された上、自殺せざるを得ない深みに追い込まれるような気がしてならない。

逮捕され自殺する初の大統領経験者ということになるのかもしれない。

問題は、民度の低さだ。韓国は民主主義国家でも何でもない。似非民主主義国家だ。気が付けば、北の似非社会主義国家と、似非同士の良い勝負をしているとしか思えない。

他の人の言葉に耳を傾けるという度量と、人を許すという人間としての器量、寛容の心がまったくない。

ボクは決して韓国が嫌いではなかったのだが、いま嫌いになり始めている。

踏まんで良い虎の尾とは、八門遁甲で言えば北東の鬼門を開けて逃げ場を作るという策を施すこともなく、囲い込んで徹底的にいたぶるしかできない、要は人の悲しみを助長し、恨みを生むことしかできない、無能で無策の、発展性も何もない空漠とした国家であることを世界に示した事を指す。そういう理解のされ方しかしなくなるということだ。

おそらくそんなこと、分かっていないのだろうな。きっと誰かが苦言を呈し助言したとしても、聞く耳はないのだろうな。

こんなこと書きたくないけど、つい書いてしまう。悪い癖だな。


一言。韓国

2016-12-14 01:22:12 | 極端な人々<的>な
朴槿恵大統領の引きずりおろしに「成功」して、国家(国家の体をなしていないが)を上げて万歳している韓国。

正直、韓国がどうなってもどうでもいいことなのだが、周囲への配慮も、何事かをなせばどこかが歪むといったことへの熟慮もない国民が、まるで革命でも起こしたかのように狂喜する姿は、見苦しく、見るに堪えない。

一時、「SNS革命」などとおだてあげられ、結局は混沌に沈んだ「アラブの春」の失敗から、何一つ学んでいない人々が、そこにいるだけ。

自分たちが選んだ大統領は自分たちが責任をもって処する、という発想はありだとは思う。だがその方法は、選挙だろう。何もしない大統領だからといって「弾劾」はないだろう。

アメリカの大統領の中でも強面だったレーガンは、占星術師ジーン・ディクソンをオブザーバーにしていたといわれる。小太りのおばちゃんが大統領にサジェスチョンして何が悪いというのだろうか?

弾劾に賛成した「painted back=背塗」党の反主流派の所業も、弾劾賛成派に抗して果敢にデモを敢行した「背塗」党支持者=朴大統領支持者への単なる背信に過ぎない。

世論の主導で事は成されたといえば聞こえはいいが、世論を醸成したのはおそらく無責任な世論の尻馬に乗ったメディアであり、どこかマッチポンプのような連中のなせる業だったのだろう。

韓国の政治的混乱は、半島情勢になにか大きく影響するのではないかと思っている向きもあるが、まずない。「北」も呆気にとられているといったところだろう。これが40年前なら「南」の混乱に乗じて侵攻するというような状況も考えられただろうが、今回はあまりにも突飛で、「北」も、状況をはかりかねているに違いない。というか、韓人のメンタリティはよくわからないが、所詮北と南は「戦争ごっこ」をしているだけということだろう。緊張感の欠片もない。そこは、隣国としてはありがたいばかりだ。

世界は音を立てて動いている。韓国はそんなことにも気づいていない。もし気づいていたら自分の足元のことだけで、国のかじ取りを任せていた棟梁を引きずり降ろしたりはしないものだと思うのだが、どうだろう? 

これ以降さらに、対外的(ことに日本への)な国家間の信義に関わることどもも、平気でチャラにしかねない韓国の国家的アイデンティティは、如何にもお粗末、としか言えない。

クラス会

2016-11-22 13:30:14 | 極端な人々<的>な
それも小学校の。

以前にも、この歳になるまで続く小学校のクラス会は大したものだよな、というようなことを書きましたが、まったく同じ感慨を抱いております。

クラスの同級生はおよそ50人ほどいた団塊の世代ですが、幹事のS藤君の話を聞けば、連絡のつくクラスメートがまだ30人前後いて、出したハガキに30人弱が返事をくれたとのこと。

実際参加したのは20人弱でしたが、物凄い参加率だなと感心します。

担任のK澤先生は、お歳がお歳なので、前回で最後と言っていましたが、お近くまで行ってまたやりたいと、全員が賛同しておりました。

場所は麹町のイタリアン。同級生のご子息のお店「麹町カフェ」。これがまた良い店で土曜日のオフィス街にも拘らず、クラス会開催時間は4時間もあったのに、ずっと満席。料理も良いお味でした。普通にまた行きたいお店です。

さらに凄いのは、二次会に行こうと入ったのが「タリーズ」。もうお酒を飲もうということにはならないわけです。

素晴らしい一時でしたy。

幹事さん、ありがとう! 感謝です。


おーい、アメリカ!?

2016-11-12 23:33:09 | 極端な人々<的>な
反トランプ・デモがあちこちで行われているアメリカ。

木村太郎と、共和党の熱狂的トランプ支持者以外、ほとんど誰も予想すらしていなかったトランプ大統領の誕生。

今から考えてみれば、なるほどさもあらん的な納得の仕方はできる。

いくつかの要素の内、ボクがつくづく思うのは以下のこと。

大統領はエスタブリッシュメントの代表、あるいはエスタブリッシュメントそのものでなければならないという、勝手な思い込みが招いた結果だということ。

少しは頭が良さ気で、何か聞かれたら立て板に水、気の利いた答えが即座に口をついて出る。そんな人間にしか物事は任せられないと勝手に思い込んでいること。ことにメディアのそうした思い込みが顕著だった。

実際は、そういう奴は鼻持ちならない。もういい加減「俺」より「私」より優れている的なアピールにはうんざりだ、と労働者階層の白人たちは思っただろうが、実はそう思ったのはこれまで民主党支持者然としていたリベラル、高学歴、移民支持、寛容性の高さをもった連中も同様だった。WASPはもちろんのことだ。

クリントンが嫌われたのは、政策に瑕疵があるからでも不安を感じさせる要素があったからでもない。ただただ、鼻持ちならずうんざりさせられただけ。

ボクはクリントンが勝つと思っていた。だが、投票日の朝ふと「クリントンがなったら、アメリカはどこに向かうと言っていたのだっけ?」と思った。よく考えたら、そうした指針は何もなかった気がした。むしろ頭も悪い、金のことにしか頭の働かない、女好きのスケベおやじで、思ったことをつい口走ってしまうろくでもないトランプの言っているの方が、内容の良し悪しは別にして確実にこちら側に届いているという事実に思い至り「ひょっとするとトランプが勝つかも」と奥さんに言ったのだった。

アメリカは、抜けることのできないカオスに突入したように思う。

どう考えても、トランプの政治力は低次元で、国家を壟断するということになりそうな気がする。

だが民主国家アメリカは、まぎれもなくトランプを自分たちのやり方で選んだのだ。

はたから見ていると「アメリカ人の阿保さ加減にはつける薬はない」と思うのだが、そうも言っていられない。なにしろこれまでのアメリカは「世界の警察」「世界経済の牽引役」だったのだから、そのレベルに至らない大統領の誕生は、世界を混乱に陥れるしかない。

ISIS、アルカイーダ、ボコ・ハラム、タリバン……イスラム過激派は大喜びだろう。打てば何かが返ってきそうだから。テロのやりがいもあろうというもの。

どちらかといえば、アメリカ人をボクは好きだ。だが、つくづく阿保だと思う。その落とし前は、自分でつけるしかないのだが、おそらく周りには思いもかけない大迷惑をかける結果になるだろう。

アメリカの大統領選挙。

世界の何かが、変わった日だった。

小保方さん、踏ん張れ!!

2016-05-28 15:39:23 | 極端な人々<的>な
いつも同じタイトルで恐縮ですが、こう言わずにいられない。

あまり政治向きのことと、社会的なことには言及すまいと思っているのですが、このスタップ細胞をめぐる人模様は、なにか言わずにいられないわけです。

ことに小保方さんに対するマスコミの「いじめ」にも似た対応が、あたかも正義でもあるかのようにマスコミが自己宣伝を繰り返し、洗脳される人々が普通にいることに、一種の恐怖を感じるわけです。

瀬戸内寂聴さんが「婦人公論」で小保方さんと対談をされましたが、この時の他のマスコミの論調に、開いた口が塞がりませんでした。

ことにネットマスゴミですね。彼らにとっては、小保方さんの対談当日のファッションが問題で、白を基調とした小保方さんのファッションが「純潔」を表象するものでそぐわない的な論調。

とことんバカとしか思えませんでした。

勝手な「白」という色の解釈と、こじつけのような心理学者の解説は、もはや笑い話にもならず、ひょっとしてそれを信じる人がいるかもしれないと思わずにいられない、僕自身の不用意なロクでもなさと、まるで自分だけは常に正義だと思い込んでいる哀れなライターの顔を想像するだに不愉快な気分になるという、いまひとつよく分からないカオスに落ち込んでいくという残念な結果もまた、バカバカしいものでした。……なにを書いているかわからなくなりました。

どうやら、先の本は自分で書いたような話になっていますが、僕にはやはりそうは思えない。彼女の思いの幾許かはきちんと書かれているのでしょうが、彼女が書いたとは思えない。彼女が対談で言っているように、彼女は精神的に弱り切っていたようですから。

どちらでもいいのです。真実であれば。

ナイナイの岡村隆史さんが、ラジオで小保方さんのことに触れ、自分の経験から病気の間は「何かを書く気力はなかった」というようなことを言っていました。

そう思います。

誰が書いたなどは、どうでもいいことで。

ただ、小保方踏ん張れ! と、変わらぬエールを送りたいなと。


伊東昭義美術館

2015-08-06 00:43:55 | 極端な人々<的>な
皆さんは、伊東昭義というアーティストを知っているだろうか?

おそらく知らない人がほとんどかもしれない。ただし、知る人は誰よりも知っていると思っているのではないか……。

世界のユネスコが、伊東昭義をアーティストとして認めた。6月にはユネスコの本部で作品展が開催され、多くの人々が詰めかけた。ユネスコが特別なわけではない。スミソニアン美術館が、イタリア・アリナリ国立写真美術館が、フランス・ポルトドレ水族館が……。とにかく世界は伊東昭義を知っているばかりでなく、待望している。

その伊東昭義のフォトアート(単なる写真作品ではない。ばりばりに加工した写真ではさらにないのだ)を展示する伊東昭義美術館に行ってきた。目黒の大鳥神社の斜め前、ヤマハのほぼ真ん前にある3階建てのモダンな外観の美術館だ。

そして僕は、すっかりと伊東昭義の世界にはまってしまった。

美しい。とにかくその海の中の世界を切り取った作品群は、ただただ美しい。そのビビッドと言うにはあまりにも美しい色彩が、目の前にあると、人は、と言うより僕は色を失う。ただ見つめるしかなくなる。

もとより海の底は無音の世界なのだが、突然頭の中で音が鳴り響く。はっきりとしたメロディーを奏でるわけではないのだが、リズムやハーモニーを感じるのだ。

なんなのだろうか?

地下1階の展示スペースには、大型の透過光作品が展示され、いやまして色彩があふれる。だが、その中に、大型の色彩を失ったかのような作品がある。「海底砂漠」と題されたその作品の前で、僕はしばし時も空間も忘れたように、立ち尽くしていた。

また来たいと心底思った。残念ながら、伊東昭義作品をここでは著作権の関係もあり紹介はできない。
だから美術館のあらあらを書いておく。時間を作って観に行ってください。


【伊東昭義美術館】
〒153-0063 東京都目黒区目黒3丁目11番3号
(目黒駅から権之助坂を降りて、山手通りを超えた大鳥神社の斜め向かい)
☎03-6451-2123
営業時間 10:00~17:00(毎月休館)
HP http://www.ito-art.com/
入館料:大人800円 大・高生600円 中・小生・65歳以上400円

一度行ってみると良いと思います。特に子供さんと。

NWOと陰謀論、のようなものについて

2015-07-10 01:06:13 | 極端な人々<的>な
「陰謀論」というものがある。
それは、「NWO(New World Order)」という概念と表裏一体であることが多い。この「NWO」という概念は、国家でもなく組織でもなく、簡単に言えば「世界を変える権利を有する者」、とでも説明するしかない。
そういう「何者」かが、世界を支配するために企てている陰謀を垣間見た者たちが「陰謀論」と呼んでいるのだ。
「陰謀論」の各論は煩雑に過ぎるので、それらは登場するその都度に書けるものは書こうと思う。
それではここで「陰謀論」の何を書くのかと言えば、「NWO」が掲げるとされる陰謀の大枠である。
有体に言えば、「NWO」は世界支配の必須事項を、世界の人口調整に置いているということ。調整などという生易しいものではなく、無理やりの人口調整を志向している。
その方法は、一般の人間にとってはとても信じ難いものであり、傍から見ればバカバカしいおとぎ話にも思える。
しかしそれは、1945年以降の戦後世界を貫く、はっきりとした意思として存在している。
普通に考えて、最も簡単な人口調整法はなんだろう? 戦争? 天変地異? 致死性の高い病気? あるいは人類の不妊化? 
結局はこの全部を実行することだし、少なくとも幾つかの組み合わせを実行することだ。
それでは、戦後世界で、こうした方法が実際に行われてきたのだろうか?
答えはYESだし、NOだ。
なにがYESかと言えば、実験的には行われてきた。だが、効果的な実行手段は講じられていないという意味でNOだ。
もし実行に移されていたならば、現在の世界人口は70億人を超えることなどなかったはずだし、ここまで膨れ上がった人間の数は、容易に減らすことなどできない。結局はNOなのだ。
陰謀論と新世界秩序(グローバリゼーションとも言う)についても、時々書こうと思う。
なんでかというと、バカバカしいほどに、面白いから。

1週間後のレポート

2015-06-27 18:04:19 | 極端な人々<的>な
47年前、ボクは高円寺に稽古場のあった「三期会」(後に東京演劇アンサンブルと名乗る日共系の劇団だった)に研修生のような者として入った。高校を卒業してすぐに入ったのだが、同時にW大学にも入学した。劇団に入ってしまったものだから、夜学ということになった。
劇団では最も若い部類だった。当時は学生運動(反米反権反戦、沖縄独立、三里塚闘争などなど、ボクは役者として労働運動の一環のつもりで参加した)の真っ只中で、お芝居そっちのけでいた時期もあったが、同期の何人かの仲間とは当時よりもひょっとすると今の方が忌憚なく話せるくらい親しいかもしれない。

という前振りをしておいて。

先週、劇団のあった(今はもうない)高円寺で、仲間二人がそれぞれにやっている店があるということで、46年振りに会う仲間も居つつの、プチ同期会をやった。当時同期が何人いたか記憶は定かではないが、店を経営する2人を入れて11人が集った。

一応皆覚えていた。あの頃のはち切れそうなパンパンの感じはさすがになかったが、決して年相応ではなく、皆ぴんとしていたのはさすがと思った。

今でも芝居を続けている仲間が3人いて、なにか羨ましい思いに駆られた。

はじめに行ったおでんが美味しい「間味」は、アンサンブルから前進座に行って、故藤田まことさん主演の人気テレビドラマシリーズ「はぐれ刑事純情派」のレギュラーだった、若林君の店。一度立川かどこかで会ったことがあったけれど、それから20年は経過しているだろう。やはり懐かしかった。あまりに良いお店なので、通うことにしようと密かに思っている。



ここでは今も前進座で活躍している志村さんが、当時の劇団の「内緒話」をいくつかしてくれて楽しかった。

次に行ったのは、高円寺の高架下にある「フライトハイト」というバー。こちらは福島さんのお店。当時はやせぎすでお兄さんのような存在だった福島さんが、品の良い紳士になっていた。ボクのことを覚えてくれていたのには、感激ひとしお。こちらも通いたいな。



なんだか、話をしている内に坂巻君も、ナベもフーちゃんも、ミミちゃんも、マチコさんも、ヨシコさんも、あれ、ご免、1人名前を急に思い出せない……。

だめだ……これが急性の認知症症状でなけりゃ良いんだが……。

いずれにしても、また会いたいなと思った。

いつか芝居に誘ってくれよ!


無差別殺人の衝動

2014-05-28 16:06:03 | 極端な人々<的>な
世界中から、無差別殺人のニュースが聞こえてくる。

例を挙げるのも煩雑で嫌になるほどだ。

シリア、クリミヤ半島、新疆ウィグル自治区などに端を発するそれは、極めてポリティカルで、はっきりした動機があるように思えるが、それ以外の中国、アメリカやヨーロッパ、そして日本でのそれは、詳細は不明だが動機らしい動機もない。

「殺したいから殺す」と言われて殺されるのは、あまりの不条理に殺される側としては、どうにも納得がいかない。

最悪の結果にならなくてまったくよかったが、AKBの握手会でのノコギリ男の蛮行は、犯人の意識は、あたかも何者かにコントロールされているのではないかと思えるほど、男を通しては、何一つ鮮明に見えるものがない。

「誰でもよかった」という言葉には、動機を裏付ける何の糸口も見つけられない。

言い方を変えれば、殺意は溢れるほどあるが、殺意を向ける対象を見つけられなかったということになるが、その溢れるほどの殺意は、どこから生まれたモノなのか?

根拠のない殺意は、どこから生まれてくるのだろうか?

誰でも、生涯に一度くらいは「殺してやりたい」相手に巡り合うことはあるだろう。具体的な相手がいないとしても、理不尽な出来事、例えばセオウル号の沈没事件の報道を見ていて、意味もない殺意が湧き上がった人もいるかもしれない。

だがそうした意味のない殺意は、妄想のものであって、具体的な殺意を完遂するための端緒・プロセスにはならない。それ以前に自制がある。

だがその自制というバリアが、あっけなく外れるシチュエーションがないとは言えない。

戦争だ。

一つだけ思い当たるのは、少し荒唐無稽なことかもしれないが、そうした殺意のコントロールができない、する術を知らない人間が多くなっているのは確かだということ。理由は、何者かの意志で、敢えて誰も教えなかった、伝えなかった、教育しなかったということなのではないか? ということ。

逆に言えば、そうした人間をむしろ積極的に作り出す環境を整えているのではないかということ。それぞれにトリガーは違うのだろうが、何かに触発された瞬間に、殺意というヒキガネを容易に引くことのできる人間が、敢えて生み出されているのではないか? ということ。

無差別殺人などに対しても、精神病理学的・社会病理学的な考察もかつてほどには行われなくなった。異常な出来事も、案外普通のことととしてスルーされる。

要するに、悪いのはその犯人だけという単純化が行われていて、人が人を殺すことに対して、誰も彼もが昭和の時代ほどには興味を失っている。

これは、本当は恐ろしく怖いことなのだが……。戦争が近いのかもしれない……などと穿った見方をしてしまいそうで、それも怖い。

ノコギリ男に、例えば戦争という、殺意を具体的に発揮できる場・方向性を与えれば、良い兵士になるだろうと、何時か誰かが考え、初めはやんわりとだが言い出しそうな気がして仕方ないのだ。


小保方さん。

2014-04-10 22:27:04 | 極端な人々<的>な
「STAP細胞はあります」

この一言の切れの良さは、小保方さんの強さと、理研に対する怒りを明確に表明していた。

失いかけた信頼を、少し押し戻せた感がある。

正直なところ、今回の騒動に関しての理研の反応は、誰に対しても不誠実なものだった。ことに身内である小保方さんに対しては。

まず、小保方さんの記者会見に、理研関係者が同席すべきではなかったか。自分たちの組織の一員が関わる問題に、まるで他人事のような対応ではなかったか?

初めからトカゲのしっぽ切りのような感覚で、厄介者となった小保方さんを切り捨てるために、あれこれ工作をしていたのではないだろうか。

例えば、この2カ月間、小保方さんがまったく表に出てこなかったのは、おそらく小保方さんに対して理研サイドが、「組織として対応するから、お前は何も言うな」と口止めをしていたように感じられるのだ。もし、そうだったとすれば、普通は小保方さんを守る。よしんば守ることができない状況になっても、小保方さんと同じレベルで、社会に対して責任を取るスタンスくらいはとるだろう。

それが、小保方さんの記者会見を見聞きした限りでは、理研は小保方さんの研究成果であるSTAP細胞を「ないもの」とあらかじめ想定し、ないものなのだから研究論文は悪意のある「不正なものであり捏造である」と、決定的な断罪をしたと、小保方さんは理解しているようだった。

それは小保方さんの研究者生命を断つものと言える。

それは口止めされ、弁明の機会を作れなかった小保方さんへの決定的な裏切りだったのだろう、小保方さんは記者会見で悔しさをにじませていたように思う。

そして少し翻って、世界中からのバッシングの根底にあるものを考えてみるに、それはSTAP細胞のもつ圧倒的な利権と大きく関わるのではないかと思えてきた。

諸論あるだろうが、巷間言われる小保方さんサイドの利権ではなく、強大な別の組織あるいは研究機関の利権を、小保方さんの論文発表が先行することで侵したのではなかろうか? 俗に「虎の尾を踏んだ」ということなのではないか?

 そうでなければ、一人の女性研究者を叩くにしても、これほどのバッシングにはならなかっただろうと思えるのだ。しかも、研究成果まで「捏造」呼ばわりだ。単純に考えれば小保方晴子は存在してはならない。従って、その研究成果もあってはならない、と誰かが言っているように思えて仕方ない。

これはボクの推論だが、近い将来、小保方さんの研究によく似た、イージーな万能細胞作成技術が、製薬会社の息がかかった研究者から発表されるに違いない。

理研はその勢力を恐れている。だから小保方さん潰しにも手を貸している。実証実験・研究に小保方さんを参加させないのがその証拠だ。彼女しか知りえないブラックボックスがあることが分かっているにも関わらず、彼女を参加させずにSTAP細胞作製の再現実験などできるはずもない。それは初めから存在を否定するための、予定調和の再現実験なのだ。

ちなみに、「インディペンデントで再現実験に成功した人がいる」と聞いた記者が、「誰か?」と詰問していたが、ほとんど間抜けな記者だ。応えられるわけがない。また答える必要もない。その人が、どんな憂き目にあうか分かりきっているのだから。取材者が殺到し、まともな生活も送れなくなる。悪くすれば小保方さんの共犯者のように扱われ、研究者生命すら奪われかねない。

共同研究者(敢えて名前は書かないが)が、小保方さんに反旗を翻したのも、自分の研究者生命を守るためだろう。それはそれでやむを得ないのかもしれない。だが、その裏切り行為は、必ずやいつか自分に跳ね返ってくることだろう。

ここまで来ると、STAP細胞をめぐる魔女狩りのような雰囲気だ。

初めから魔女と決めつけられた裁判ほど残酷なものはなかった。弁明も許されず、予定調和で死にまで追いやられる。

そういえば、魔女狩りの本当の理由は、教会が、公に人々から財産を奪取することが大きな目的の一つだったのではなかったか。

同じようなものなのだろうな。


なんてこった!?

2012-02-13 18:09:24 | 極端な人々<的>な
 一つ前の記事(削除しました)は、携帯から、さあホイットニーへの思いを書こうとメールを開いた瞬間に、勝手に送信されてしまった。したがって、なにも書かれてはいないのだ。

 失礼しました。

 正直、萎えてしまった。気持ちは秘めておくことにする。

 さて。東電に関しては、突っ込みどころ満載で、前の前の記事のように、思いつくまま書くしかない。

もっと書くことはないのかというところだが、東電ほど書きでのあるモチーフはそうそうない。

 だが今は、やっぱりホイットニーに、追悼の祈りと感謝の思いを送るしかなさそうだ。

誰がホイットニーを殺したか…。いずれここで書くことになる命題。

月旦評⑦ 田中直紀

2012-02-06 22:09:34 | 極端な人々<的>な
 人には「分相応」ということがある。
 それが人の普通の生き方、その場の居方。

 だが、そこを突破できれば人間、一回りも二回りも大きくなっていく。
 「分相応」は楽にそこにいられる状態だが、突破するにはそこに居続けることの何百倍もの労力と努力を必要とする。

 だが、突破することが「天命」であったり「楽し」かったり、決して苦痛でなければ、それはいとも簡単に達成できる。
 要は、心のありどころの問題なのだ。

 なんでも同じことなのだが、その心のありどころこそ、人が人生を上手くコントロールできるか、運命とでもいいたくなる力に翻弄されるかの分岐点なのだ。

 偉そうなことを書いているが、ボクはどちらかと言えばいまのところ運命に翻弄される人だ。頭ではわかっても、心のありどころを肉体化できないのだ。

 だが、諦めたわけではない。すねてもいない。真正面から「分相応」という壁に挑んでみようと思っている。

 忘れていた。【田中直紀】だ。

 失言と言う括りで言えば、まったく双子のような夫婦だ。
 カミさんの真紀子さんの方が、失言上手かもしれない。だが、彼女の場合は失言ではないのだ。意図的なはみ出し。あるいはいくらでも開き直れる範囲での失言。もっといえば、反省など端からするつもりのない、発言。「分相応」を突き破ろうという意志の表れと言っていい。

 それに比べると、直紀氏の方は、明らかな失言。失言し終わった後の、指摘された時の顔が、なんともガキのようである。「えっ?」みたいな感じ。
 国会の質疑の最中に、コーヒー飲みに行っちゃうということ自体、この人の幼児性を如実に表している。

 いい夫婦なんじゃなかろうか? 完全に真紀子さんの掌の上で宇宙を支配している気にさせてもらっているのじゃなかろうか?

 まあそれにしてもだ。田中直紀氏は、正直「分相応」の居場所にいた方が傷つかないですむのと違いますか? 彼の場合、「分相応」は大事な言葉だと、思います。

 少なくとも、防衛大臣ではないな。

月旦評⑥ 金正恩大将!!

2011-12-23 15:28:44 | 極端な人々<的>な
 人の顔には、よく言われることだがその人の生きた軌跡が顕れる。
 だがそれは、やはり30歳代の後半以降の話で、20歳代そこそこであれば、その顔には親の影響が色濃く残る。
 北朝鮮金正日の死去で後継者と目される金正恩は、年齢不詳ながらどう見てもまだ20歳代前半の幼さを残した顔だ。
 クムスサン記念宮殿に安置された金正日との別れの映像がいく種類か公開されているが、そこに映された金正恩は、心もとなげで、落ち着きがない。

【金正恩】
顔:まだ幼さの残る、大人になりきれていない様相を如実に表している。それは目に顕著だ。挙動不審を思わせる。そして等身大以上の存在を演じようとする無理が、口元に現れている。気を緩めると震えだしそうな口元。
 一見ふくよかに見える顔の輪郭だが、なにか含み綿をしているかのようにも見える。つまりは無理をしているのではないかと思う。今の自分に最適な身体のありようと言うものを越えて、わざわざ太って見せているようにも思う。ひょっとすると、祖父である金日成を意識するあまりの結果かもしれない。
行動:一人一人と握手をするなどの行動から、この青年の自信のなさがありありと見える。鷹揚に振舞っているかのように見えるが、小心者を思わせる瞬間的な動きの早さが見受けられる。早くその場を切り上げたいような感じ。
 歩き方にも自信のなさが顕れている。上半身が下半身より少し前に出る。何か焦っているようにも思う。これらは経験を積むことで解消される類いのものだ。
 
 いずれにしてもこの青年を中心に北朝鮮は歴史を刻むことになるわけで、バランスの良い政治感覚を期待する。海外を見てきた青年が、その経験をプラスに働かせるかマイナスに働かせるのか、誰も知らないし分からない。
 ひとつだけ気がかりなのは、中国や朝鮮半島の歴史を見れば、概ね三代目はバカばかりが跡を継ぐ。北朝鮮と言う国が崩壊するのは、この金正恩の時代に違いあるまい。もし乗り切れば、まだ先はあるということになるかもしれない。

月旦評⑤ 今週最も輝いていたこの人 防衛大臣・一川保夫

2011-12-09 11:10:16 | 極端な人々<的>な
 今回は、この人しかいないと思ったが、あまりにもしょうもなかった。
 大臣の資質に欠けるだのという以前に、人として問題だ。
 残念なことだが、これがいまの日本を代表する(だって、大臣だからね!)日本人の一人なのかと思うと、寒気がする。
 おそらくなにか国民がとてつもない負の状況に立ち至っても、この人はボーっと彼方を見るような呆けた目で、「専門家じゃないんで、わかりません」といっているような気がする

◆一川保夫
 彼の目は落ち着きがない。そして焦点が合っていない。それは発言問題に対する連日の追求への、意識のシャットダウンをしているからだろうと思う。要するに嫌な事は聞かないようにするための自己防衛術の発動。さすが防衛大臣!!
 とはいえ、国会での追及には、真摯に答えなければならない。だが、この人は答えられない。なぜならば、自分は農林関係で生きてきて、防衛には素人、だからこそできるシビリアンコントロールと、意外に本気で思っているからだ。
 声に現れる浮ついた感じは、この人がどれほど小心者であるかを端的に表している。
 今となっては、誰かに何かを言われることが怖くて仕方がないといったところ。できることなら話もしたくないというのが本音だろう。だから、臨時国会が今日終わるというのは、彼にとっては、あらゆる状況の中で、最も喜ばしい瞬間なのだ。
 問責決議案は可決されるだろうが、一川氏にとっては、何にも増して嬉しい、喜ばしいことなのではないかと推察する。これでこの辛い気分から開放されると、思っているに違いない。
 大臣だから瞬間湯沸かし器的な面は抑えているのだろうが、本当のところ一川氏は、自分の意にそぐわなければ怒りを露にするタイプ。
 昔、民主党のタウンミーティングに参加した一川氏、有権者との意見交換で、参加者が「子ども手当が出来ると配偶者控除がなくなり、生活が大変」と不安を述べると、「(そう言うのなら)民主党を支援してもらわなくても良い」と声を荒らげた。会場の空気は凍り付いたと言う。
 この程度だ。

 まことに残念だが、早く第一線から退いた方が身のため、という人。

月旦評④ 今週最も輝いていたこの人 大王製紙前会長・井川意高さん

2011-11-25 09:30:35 | 極端な人々<的>な
 この人のニュースを見聞きするたびに、浮世離れした感じがして事の善悪を語る気になれない。まぁ、そんな必要もないのだが、どうなんだろう? こんな世の中でこれだけ自由に(奔放だったかは分からない)、三桁の億と言うお金を使うことができた井川さんに、なにか特別なオーラかなにか、感じます?

 正直ボクは感じないのだけれど、一つだけ。おそらく緊張のあまりなのだろうが、表情がない。魂が抜けたような顔をしている(魂の抜けた人の状態って、見たことはないのだが、イマジネーションを膨らませてください)。根の部分に怯えも感じるのだが……。

◆井川意高◆
 「顔」は意外にいい男じゃないだろうか? 女性にはもてそうな甘い顔。
 基本的にいい男は、それだけで得をしている、そう思われがちなのだが、人生を長い目で見ると必ずしもいい男が良い人生を送っているとは限らない。

 むしろ、ブ男だとか背が低いとか、なにかコンプレックスを抱えた男ほど、大きなことをやりとげていたりする。ナポレオンのように。それは、努力、懸命さでいい男に勝るからだ。

 生まれつき裕福な家庭に生まれ、娑婆の苦労を知らないいい男は、大半が身を持ち崩すことになっている。井川さんは目に隙がある。生き馬の目を抜く、といわれる娑婆ではあっという間に肝まで抜かれかねない。報道の映像には明らかに目に力がない。

 おそらく、現役の社長、会長時代は、周囲を睥睨するような威圧感も持っていたのだろうが、こうなると「弱り目に祟り目」ということになる。

 彼から感じる怯えのようなものは、なにに対するものなのか不明。一つは自分がやったことにストレートに警察権力が介入してきたことへの怯えか(おそらくそんなことは絶対にありえないと思っていたのだろう。誰かが自分を守ると思っていたに違いない)。一つは自分の周囲から、引き潮のように人がいなくなったことへの怯えか。なんにしても、大きな喪失感があることだけは確かだろう。

 「居ずまい」もさすが育ちの良さを感じさせるものだが、文字通り「バカ殿」だったわけで、目同様、やはり抜けた感じがある。ことに歩き方からは自信を感じられない。

 大王製紙の創業者一族の頭領だったわけだが、きっと札束を見てもティッシュと同じようにしか見えなかったんだろう。目が悪かったのか!?

 創業から三代目は、なぜ上手くいかないのか? 簡単で、苦労を知らないからということに尽きる。先代、先々代の苦労を言葉でいくら話したところで、本人はなにも苦労していない。言葉で教えられても、身にはつかないのだ。

 こんなことになる前に、井川さんの周辺には「肝まで抜こう」と、取り巻いていた連中が数多いたに違いない。

 付け加えれば、人を見る目もなかったということになるだろうか。それにしても……。

 これは想像だが、井川さん、ギャンブルを仕事だと思っていたんじゃなかろうか? ちやほやされながら、自分の決断で金の流れを決済するわけで、こんなに気持ちよく経営者然としていられる場は少ないのではないか? まぁ、金がすべてというだけの意味においてだが……。それなら三桁の億の金の意味も、少しはわかる。