普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

福島原発事故由来のストロンチウム、10都県で初確認

2012-07-25 00:47:21 | 普通な人々<的>な
「東京電力福島第一原発の事故後、大気中に放出された放射性ストロンチウム-90が福島、宮城両県以外の10都県で確認された。文部科学省が24日発表した。茨城県では、2000年から事故前までの国内の最大値を20倍上回る1平方メートルあたり6ベクレルが検出された…」

こんなニュースが流れた。正直「なにをいまさら川端柳」といったところだ。

こうした測定は誰が行い、どのようなルートで公表されるのかは、とても大事な点だ。今回は文部科学省が発表したと言うことで、文科省に関わる機関が計測し発表したものということだろうが、文科省も意外にシレッと発表してくれる。

ご存知の通り、セシウムや、ヨウ素-131の半減期は、セシウム137は30年(135は実は230万年)、ヨウ素は約8日強。今回の測定対象ストロンチウム-90は28.8年と言われる。福島の人災以降、セシウム、ヨウ素にはそれなりに言及されてきた。だが、ストロンチウム-90に関しては言及されずに来た。
なぜなら当初、福島では燃料棒のメルトダウンも水素爆発もなかった、ストロンチウムを生み出すような核反応はないものとされてきたからだ。

ストロンチウム-90は、所謂「死の灰」と呼ばれる、高レベル放射性廃棄物に含まれることの多い物質。ウランやプルトニウムの核分裂生成物として数%程度生成される。

一般人感覚でいえば、ストロンチウムといわれても、そういうものかとしか反応しようもないのだが、その正体が高レベル放射性廃棄物、言い方を変えれば「死の灰」に含まれるものと分かれば、話は別だ

東電・政府の当初の発表が本当であったならば、「ストロンチウム」などという言葉が登場するはずもなかったのだ。

残念ながら、これで「ストロンチウム」が生まれる核反応があったのは事実ということになった。

だれも防ぐことのできない放射性物質の脅威に対しても、政府は「健康への影響はほぼない」という専門家筋の意見を付け加えている。

いつも言うことだが、「ほぼない」というのは「少しはある」ということだ。
どんな発表でも、言葉のごまかしはいい加減やめて、国民の健康を第一に考えた発表をして欲しいのだが、できない相談なのだろうか?
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父・千代三の残してくれた魂

2012-07-20 17:59:25 | 父・加藤千代三の短歌
昔、ボクがまだ20歳代の頃、亡くなった父が生涯でたった一つと言ってもいい助言をしてくれた。

「貧しいときこそ、身なりをきちんとしなさい」

なんだか、分かったような分からないような、そんな印象で聞き流していた記憶がある。
常に貧しかったボクにとっては、なかなか厳しい助言となっていたが、確かにそれはそうだなと思う。

「貧すれば鈍す」という言葉が、頭に浮かぶ。

貧しさは大概の場合人を内向きにするし、人との関わりも思うようには運ばせてくれない。

畢竟自分のことしか考えられなくなり、対外的な感覚は麻痺する。

そのことを、自分で自覚し自省しながら、人と関わっていきなさいということなのだろうと、いまは理解する。人との関わりがある限り、いつか必ず蘇生できるというメッセージと、いまは思う。

父・加藤千代三は、88歳で脳梗塞で倒れ93歳まで闘病し続け亡くなったが、考えてみればいつもダンディだった。もちろん相応に老いていってはいたが、どこか「キチン」としていた。

明治の男の気骨だったかもしれないが、老醜を晒すまいとする胸の内の闘いの顕れだったのかもしれない。

父は、病に倒れ右半身に麻痺が残った。それでも歌を詠み、左手で墨絵を描き続けた。その集中力は半端ではなかった。

老いて、彼のように生きられるか?

なかなかな難題である。

今、父・加藤千代三の描いた墨絵を整理している。近々、ここで紹介させてもらおうと思う。
加藤千代三の魂の凝縮した墨絵たちだ。



ちなみにこれはその一つ。故郷の島根を描いたもの。半紙に描いたものだから、半紙がよれてしまっているが、なんとかよれを直せないか思案中。

左上に書かれた文章は、
「高盛山の中腹には
 三本松があった。
 ここまでは兄が見送
 ってくれた。ここから
 はひとり山を越えて
 養家に帰っていっ
 た。恐ろしかった。
 少年の日の思い出
      である。」
 とある。
 雲田という本家筋に養子に出された父・千代三が、ある日加藤の家に戻り、再び養家に戻る時に見た故郷の風景を描いている。
 後ろ髪曳かれる思いで辿った道だろうことは、容易に想像できる。
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イジメ報道は、時に「イジメ」である

2012-07-18 14:32:16 | 普通な人々<的>な
イジメはどう抗弁しようが、犯罪である。徹底した撲滅の取り組みが必要だ。

人の痛みがわからないという精神構造は、学校教育以前の、家庭教育段階であらかた素地は作られると、ボクは考えている。それが学校という場で醸成され発現する。

それにしても、と思う。日本人は不思議な国民だなと。

イジメの本当の意味が分かっていないのではないかとさえ思う。

ことにマスコミ。

撲滅の取り組みと、解明は必要だが、マスコミのように「徹底的な追及」が必要とは思わない。

イジメ報道の中で、自分達で報道を加熱させ、誰か人身御供を探し出し、その対象となる人身御供を根掘り葉掘りし、結果的にイジメているのだということに気づかない。
それも、正義の味方面での所業だから、救いようもない。
自分の言ったりしたりしていることが、イジメであるという自覚がないのだ。

イジメが許されないのは、人としての尊厳を奪い、そこにいることすら許さないという仕打ちだからだ。だから死を選ばざるを得ない子どもも出てくる。死を選ばなければならない子供の胸の震え、重圧感は想像もできない。

同じように胸の震えを感じ重圧に押しつぶされそうになっている人々を、時としてマスコミは作り出している。だが、マスコミは、誰にも断罪されない。

そしてイジメの主体者となっても、恥じない。

この国からイジメがなくなることは、今のマスコミが健在である限り、絶対にないと思うのは、果たしてボクだけか?
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110000PVを越えました。

2012-07-15 14:32:08 | 普通な人々<的>な
最近は、なかなかコンスタントに記事を書けずにいますが、昨日気がつくと11万PVを越えていました。ありがとうございます。

毎日150を越える閲覧という計算になります。皆さんがどう受け止めてくださるのか、お気持ちの部分まではわかりませんが、わざわざこのブログにまで来てくださる事実は、重く受け止めたいと思います。

ありがとうございます! 引き続き宜しくお願いします。
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誕生日さ!

2012-07-12 16:15:21 | 普通な生活<的>な
誕生日。60ン回目の。よく頑張っているねと、誉めてやりたいところだが、なんも頑張ってない。淡々と生きているばかり。

これじゃ駄目だ、正直なところ。

生き返る、蘇るくらいの覇気と努力が必要だな。

FBに沢山の祝福メッセージ。ありがとうございます!

憎まれっ子、世に憚る。と、言うけれど、まったくその通り! 良い人、力のある人間、生きていて欲しい人が先に逝く。

それはそうだが、………。

傍迷惑でも、精一杯生きてやります。
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小沢新党!!

2012-07-11 11:42:04 | 普通な生活<的>な
小沢一郎を「壊し屋」という人々がいる。

テレビに登場する政治評論家やコメンテーターの多くも、「壊し屋」という言葉の持つインパクト、言葉にこもる悪意、そういう点におよそ無批判に使っている。

一言でなにかを言い表しているようで、便利で使い勝手が良いから使っているとしか思えない。
だが、小沢一郎は「壊し屋」ではない。小沢の辿ってきた政治家としての筋道は、概ね一貫している。

田中角栄を盟主とする田中派(竹下派)に所属した自民党時代から、新生党、新進党(第2代党首)、自由党(党首)、民主党(第6代代表)を経て、おそらくこれが最後であろう政党の立ち上げを今日発表する。

保守にいながら常に時代に必要とされた「新しい勢力」を、政党という形をとって現出させた。そして政治を変える努力を常に模索していた。

党を割ることが、まるで「悪」であるかのような「壊し屋」という言い草は、小沢には馴染まない。むしろ小沢の資金調達能力に蟻のように群がった他の政治屋連中こそ、侮蔑的な別の言葉で呼ばれるべきだろう。
小沢の力を恐れ、選挙が終われば用済みとばかりに党内から背中を撃つが如き批判をするような連中がまともであるはずがない。

小沢一郎は、稀有の政治家である。少なくとも「政治屋」ではない。「壊し屋」でもない。

まっとうな政治を見据えている男が、気に触る連中、邪魔だと思う連中がいるのだ。例の政治資金規正法違反に対する検察の、意味もなく執拗な訴追姿勢は、その端的な表れだろう。

小沢の政策の細部はそれぞれに見てもらうとしても、そのブレのなさ(もちろん政党に所属する限りは、その政党の党是に従って発言してきた点はあるが)は見れば分かる。そして今の政治状況の革新的な部分(例えば小選挙区制)の多くは、小沢の切り拓いてきた政治状況であることも分かるだろう。

小沢新党は、おそらく大きな政治勢力にはなれないだろう。それは小沢自身も理解しているだろう。だが、投票行動は別にして、その存在感だけにでも期待する人間が、はっきりと一人ここにいる。
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やっぱり異常だと思う。

2012-07-05 23:39:35 | 音楽にまつわる話<的>な
出だしは唐突だが、話はAKBのこと。

どんな音楽でも大抵の場合、毎日毎日聴いている内に、なんだかすごくいい音楽のような気がしてくるもので、AKBも例外ではない。

それでも今の日本の音楽状況は、異常と言わなければならない。突出した音楽があるのは良い。社会現象になるのも良い。だが、「それだけ」ではダメなのだ。

AKBの総選挙などを見ていると、およそメディアというメディアがこぞって取り上げ、どこを向いてもAKBという案配だった。一般紙のトップ記事になりそうな勢いだった。ここがおかしい。

メンバーの懸命さは認める。彼女たちの人一倍の努力は見ていれば伝わってくる。

だが、それとこれとは別なのだ。彼女たちの発するオーラや生命としてのパワー、集団的統率・拡散と言った発展的エネルギーは、それでも残念なことに、音楽創造というベクトルを持たない。クールな論理性、ロジックとは無縁で、どちらかと言えば、ファナティツク。

モーツァルトの「フィガロの結婚」は正式には「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)、あるいはフィガロの結婚」というのだが、この「熱狂」という言葉が、AKBを表すに最も適切におもえる。

正直なところ、イメージは悪いかもしれないが、全体主義的熱狂に限りなく近いと言わざるを得ない。

AKB48とその一党は、いつかは分裂し、細分化されてやがて消滅していくのだろうが、その時彼女達にどんな称号が与えられているか、その時に初めて、彼女達の真の価値が明らかになるのだろうと思う。
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水爆炸裂。

2012-07-03 12:27:40 | 普通な生活<的>な
今朝方、めったに見ない夢をみた。

気分が優れず、外の新鮮な空気を吸おうと外にでた瞬間、夕方の西、および北北西の空に閃光が走った。と、見る間に、その閃光に促されるように瞬時に二つの雲が湧き上がり、視界一杯に広がっていく。キノコ雲というよりは「天上輪」とでも言うか、水爆特有の輪が広がり、その中に巨大な半球状の雲が沸き立っている。

それは、言葉で言えば、美しいバランスを持った造形物とも思え、しばらく呆けたようにながめていたが、衝撃波に備えろと、頭の中で誰かが怒鳴る。

慌てて部屋の中に戻り、意味もなく鍵を掛ける。家族を机の下に押し込み、和室とダイニングとの境の引き戸を外し、幾重にも盾のように机に立て掛け衝撃派に備えた。

まったく意味もなく、すべてがなぎ倒され、吹き飛ばされた。伏せた体の横を、奇声を上げて何かが吹き飛ばされていった。頭上からは瓦礫の雨が降ってくる。

ボクたち家族は、幸い(それから後のことを考えれば不幸この上ないのだが)無事だった。そして、まず水を確保しようと、瓦礫の原を歩き始める………。

夢は、このあたりで曖昧に終了。うっすらと、消火栓をみつけたような記憶も残っている。

とうとうこうなったか! と、夢の間中思っていた気がする。

今朝の夢の話。
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