普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

校正

2017-03-29 02:10:46 | 極端な生活<的>な
3月20日の「原稿3」と題した記事で、最近の仕事について書いたのだが、その中で「構成は仕事に」と記述した部分があったが、当然そこは「校正は仕事に」が正解。

これではいくら「仕事を引き受けますよ」といったところで、説得力がない。なにせ「校正します」というのに、その「校正」の文字が間違っているのだから。

お騒がせ、です。

まあ恥も外聞もなく、といったところで。

お忘れくださいませ。



2017-03-25 04:27:44 | 普通な人々<的>な
というわけで、「血」で思いついたのは、以下の言葉でした。

血道 血しぶき 血まみれ 血刀 血潮 血だらけ 血走る 血豆 血沸き肉躍る 血抜き 血で血を洗う 血みどろ……

次は「知」でいってみます。

それでは、おやすみなさい。

寝ながら考えます。

最近の、独り遊び

2017-03-25 03:54:07 | 普通な人々<的>な
最近密かに独りで楽しんでいることがある。

それは別に大したことではないのだが、自分的には大いに楽しんでいる。

このブログを始めたころ、回文をよく作っていた。今でも時々作るのだが、大した作品はできない。

そういう意味では、最近の楽しみも「言語遊び」で、なにやら物書きっぽい趣味ではある。

それはとても簡単で、何でも良いから漢字一字をピックアップする。

例えば「山」。これを使った熟語を作る。それだけ。ただし、「やま」と読むのだったら「やま〇〇」という熟語にする。「さん」と読むものは×だ。そして「〇〇やま」もダメ。必ず選んだ漢字が頭にくる。名前はダメ。

そうすると、山際とか山ほととぎすとか山津波とか山肌とか山なみとか山男とか……まあ幾つか思い浮かぶ、それをどうしても10個考える。時間も区切る。今ボクはおよそ30分を目途にやっている。

結構ボケ防止に役立つ。あっ、ボクがぼけているという話ではないからね。言葉の綾ね、あや。

この言葉遊びは、ボクのオリジナルだと思うけれど、結構イラつきもし、すっきりもし、そこそこの達成感もある。

是非やってみてください。

今から、血(ち)をやってみようと思う。

血道だろ、血だらけだろ、血しぶきだろ……。

なんかスプラッターだな……。

原稿3

2017-03-20 21:35:16 | 極端な生活<的>な
このところの土日は、友人との本作りの原稿書きでマンパンでしたが、楽しく依頼を受けたすべての原稿を書き終えました。ついでに校正までやらせてもらいました。

こういう仕事は楽しいですね。原稿は様ざまなジャンル、テーマ、モチーフを書き続けて40年、校正は仕事にし始めて正味4年が経ちました。

どちらも何時まで経っても慣れるということがなく、その都度その都度緊張気味に仕事をしております。

なにかご用命があれば、このブログからも受け付けますよ。インタビューから小説まで。

結構本気ですよ。

0×0-5478-977×に「ブログ見ましたが……」と連絡ください。

以上営業でした。

原稿2

2017-03-12 22:59:26 | 極端な生活<的>な
3.11。語る言葉も見つかりません。もう丸6年も経過したなんて……。祈るばかりでした。

話は変わり。

土曜日から今日、日曜の朝にかけて、何年振りでしょうか、徹夜しました。

徹夜そのものはそれほど苦でもなかったんです。ただ、原稿を書くために椅子に座り続けたわけですが、車で1600㎞を一人で走破した時ですら平気だった腰が、固まってしまって痛くて立ち上がれないなどという為体。

さすがに衰えを感じましたが、約束の原稿無事に書き上げました。まだもう少し追加でオファーが来るようで、ちょっと腰の運動をしておこうかと……。腰の運動って、何だろうかと……。

それにしても、韓国。とうとう虎の尾を踏んだというか、滅びに向かってまっしぐらの印象を受けます。

朴槿恵前大統領は、2度も救国の思いを国民に踏みにじられた格好ですね。能力はなかったかもしれないけれど。彼女は売国奴ではないと思えますがね。

これからは北とのルンルン関係が築かれていくことになるんでしょうかね?

アメリカが、極東地域の安全保障上の問題であんぐりと口を開けっぱなしにするといった瞬間を招きそうで、ちょっと不気味ですね。

朴槿恵さんの後釜大統領が、韓国を売りさばくことのないように、卑近な同盟国の一国民としては、これまた祈るばかりです。

全然、祈る意味は違いますが。

こういうのは、やっぱりあんまり書きたくないなぁ……。

長らくのご無沙汰です

2017-03-09 23:54:43 | 普通な生活<的>な
書きたいことは山ほどあったのですが、書く時間及び心意気というものが、やや欠けておりました。

そんなこんなではありますが、これは書いておきたいと思うわけです。

先週の土曜日(2017年3月4日ですね)、ボクは再び飲み倒したわけです。それも、およそ30年ぶりに再会した友人夫婦と、ボクたち夫婦で夕方の(といっても真っ暗ですが)6時半から、二夫婦の地元ともいうべき懐しの荻窪で、飲んだわけです。

友人夫婦とは30年前まで、本当に毎日のように飲んだり遊んだりしていた間柄でしたが、ふとしたきっかけでほとんど会うこともなくなってしまいました。

それがまた、ふとしたきっかけで会おうということになったわけです。

どんな再会の時間になるのかなと、期待やら心配やら様々でしたが、会えば会ったで当時のままの人間関係がそこには現出するわけで、いらぬ心配りでした。

友人夫婦がよく行くという、荻窪の刺身のおいしい店に案内され、刺身だけでなく確かにうまい肴をあてに、日本酒、ビール、焼酎とあの頃と同じように飲むわ飲むわで……。

いまでも荻窪に住まう友人夫婦の家に招かれて、そこでもまた飲んで。

ボクは、やばいと思っていました。これは飲みすぎだなと。

気が付くと奥さんが駅のホームを歩いている後ろから歩いているのですが、どうやらまっすぐ歩いていない。これはホームから落ちるなと、中央寄りに歩くという冷静さは持っていましたが、まっすぐは歩けないという……。

乗り換えの度に何度も奥さんがボクを起こしてくれたおかげで、無事に家までたどり着きましたが、やばい。

これは、ボクの本意ではないと。

それはそうなんですが、楽しかった!

この楽しかったがある限り、本意ではないと言いながら、きっと痛飲するんでしょうね、これからも。

これが、一つ書いておきたかったこと。

まだありますが、またこの次に。