普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

再録 超高齢化社会でなにが起きるか?

2019-03-03 23:11:17 | まあまあ社会<的>な
ブログを始めた頃、こんな原稿を書いていました。
なんだか、この時に書いたことが毎日のように現実化し、ニュースになっているのが少し胸が痛いのです。
それでも、これはもう一度読んでいただければと思い、再録します。

◆2011年2月20日付 
 久しぶりです。
 10日間もブログのためにPCの前に座ることができませんでした。
 アラブ世界だけでなく、中国にまでSNS革命とでも言えそうな新しい革命の波が押し寄せているようですね。
 それにしても、なぜ日本ではまったくそうした動きが起きないのでしょうか? 正直なところ、日本は「心身ともに」病んでいるような気がしてなりません。元気の出しようがないという気がします。その理由のひとつは、高齢者の処遇にあります。
 多くの学者や社会活動家が、日本の行く末を解き明かそうと発言しています。超高齢化社会は眼前にまで迫ってきています。
 超高齢化社会ではなにが起きるのでしょうか? 若者が一人で何人もの高齢者の社会保障を支えなければいけなくなるなどということは、そう大した問題ではないと僕は思います。そんなものは社会保障の制度を変えれば済むことですから。
 問題は、高齢者は働き手ではない、社会を構成する要素から外れているといういまのままの考え方でいけば、まったく高齢者は社会構成要素から外れたままになり、二度と社会の構成員として浮かび上がる事がなくなるということです。60歳を過ぎた途端に、まったく就職先がなくなるなどという歪みは、あってはならないことでしょう。高齢者の社会参加意識を鋭利な刃物で削ぎ取っているようなものです。
 なぜ高齢者を中心に据えた社会という考え方ができないのでしょうか? このままでいけば高齢ではあるけれど、多くの有用な労働人口も優秀な頭脳も失われるままになるだけです。
 なにより高齢者の生理ということを考えると、おそらくあと何年もしないうちに、すべてのスピードがいまよりスローダウンするはずです。それを無視すれば、必要以上の軋轢が生じ、不慮の事故や事件が多発するようになるでしょう。そのことの方が、遥かに重大な問題だと、僕には思えます。

 社会というものは、流れの中で変化するものです。国民の意識や生理が国家そのもののありようすら変えていきます。冒頭に書いたSNS革命などもそのひとつの現れでしょう。
 日本人は、すでに何かを諦めてしまっているようにも思えます。そこから崩壊が始まります。日本という国体はすでに崩壊に向かっているようにも感じます。政治などすでに崩壊の初期段階に足を突っ込んでいます。もう後戻りはできそうもありません。経済も浮かび上がる端緒すらみつけられずにいます。そしてこれこそが最も恐ろしいことですが、拝金主義が日本中にいきわたり、思想も哲学も組み伏せられてしまい、息も絶え絶えだということです。
 今の日本が高齢者を脇に追いやる考え方の基本は、合理的という名のやはり拝金主義がベースにあります。
 どうか、政治に携わる皆さんは、高齢者を中心に据えた社会構造を模索してください。それが小さな政府を招こうが、経済の縮小につながろうが良いではありませんか。高齢者が大半を占める世の中を基本に考え、若者がその中で生き生きと活躍できる社会を模索する方が健全です。
 無理矢理に勢いのある若者中心の社会を構築する必要はありません。でなければ、日本は後10年ももたないのではないかと危惧します。

読んでいただきたいのは、黄色文字の部分です。

ひとつ付け加えておきます。この当時の日本は民主党政権下で、なにをかいわんや、な時でしたっけ……。

2011年のちょうど今頃、こんな記事を書いていた

2017-02-17 01:48:41 | まあまあ社会<的>な
超高齢化社会でなにが起きるか?
2011-02-20

 久しぶりです。
 10日間もブログのためにPCの前に座ることができませんでした。
 アラブ世界だけでなく、中国にまでSNS革命とでも言えそうな新しい革命の波が押し寄せているようですね。
 それにしても、なぜ日本ではまったくそうした動きが起きないのでしょうか? 正直なところ、日本は「心身ともに」病んでいるような気がしてなりません。元気の出しようがないという気がします。その理由のひとつは、高齢者の処遇にあります。
 多くの学者や社会活動家が、日本の行く末を解き明かそうと発言しています。超高齢化社会は眼前にまで迫ってきています。
 超高齢化社会ではなにが起きるのでしょうか? 若者が一人で何人もの高齢者の社会保障を支えなければいけなくなるなどということは、そう大した問題ではないと僕は思います。そんなものは社会保障の制度を変えれば済むことですから。
 問題は、高齢者は働き手ではない、社会を構成する要素から外れているといういまのままの考え方でいけば、まったく高齢者は社会構成要素から外れたままになり、二度と社会の構成員として浮かび上がる事がなくなるということです。60歳を過ぎた途端に、まったく就職先がなくなるなどという歪みは、あってはならないことでしょう。高齢者の社会参加意識を鋭利な刃物で削ぎ取っているようなものです。
 なぜ高齢者を中心に据えた社会という考え方ができないのでしょうか? このままでいけば高齢ではあるけれど、多くの有用な労働人口も優秀な頭脳も失われるままになるだけです。
 なにより高齢者の生理ということを考えると、おそらくあと何年もしないうちに、すべてのスピードがいまよりスローダウンするはずです。それを無視すれば、必要以上の軋轢が生じ、不慮の事故や事件が多発するようになるでしょう。そのことの方が、遥かに重大な問題だと、僕には思えます。

 社会というものは、流れの中で変化するものです。国民の意識や生理が国家そのもののありようすら変えていきます。冒頭に書いたSNS革命などもそのひとつの現れでしょう。
 日本人は、すでに何かを諦めてしまっているようにも思えます。そこから崩壊が始まります。日本という国体はすでに崩壊に向かっているようにも感じます。政治などすでに崩壊の初期段階に足を突っ込んでいます。もう後戻りはできそうもありません。経済も浮かび上がる端緒すらみつけられずにいます。そしてこれこそが最も恐ろしいことですが、拝金主義が日本中にいきわたり、思想も哲学も組み伏せられてしまい、息も絶え絶えだということです。
 今の日本が高齢者を脇に追いやる考え方の基本は、合理的という名のやはり拝金主義がベースにあります。
 どうか、政治に携わる皆さんは、高齢者を中心に据えた社会構造を模索してください。それが小さな政府を招こうが、経済の縮小につながろうが良いではありませんか。高齢者が大半を占める世の中を基本に考え、若者がその中で生き生きと活躍できる社会を模索する方が健全です。
 無理矢理に勢いのある若者中心の社会を構築する必要はありません。でなければ、日本は後10年ももたないのではないかと危惧します。

「小保方さん」という、真実

2016-02-02 01:24:38 | まあまあ社会<的>な
小保方さんが手記を出版したそうだ。

マスコミがバイアスのかかった斜め読みを紹介してくれているので、まだ買っていないのに読んだ気になっている。

そして、小保方さんはまたぞろ「マスコミにしてやられたな」という印象を持った。もっとはっきり言えば、また騙された。

そんな印象を持ってしまったものだから、買って読もうなどとは金輪際思わない。

小保方さんが書いたものなら、彼女の精神年齢は意味もなく高い。しかもおじさんの精神構造。話自体は小保方さんの言葉を援用しているのだろうが、書いているのは明らかに60歳過ぎのおじさんという印象が拭えない。

もし本当に小保方さんが書いたのなら、ごめんね。

なにしろ一貫して「言い訳のような」「自分の解説のような」文章がうまい具合に並ぶ。達者な筆致だ。

他の要素はほとんどない。これだけ飽きもせず自分を擁護し、誰かに責任転嫁する姿勢は「そうすることを決めて事に当たっている」プロのものだ。

そんなこんなで、小保方さんは「またしてやられて」しまったようだ。

小保方さんは全ての権利も存在意義も奪われ、放り棄てられた。今また、攻撃の材料を提供させられた。もう一度、弱り切った彼女を叩きのめすために。
マスコミは残酷だと思う。

同じことを今ではベッキーにもやっている。

誰か、徹底的にしゃぶりつくすための「スケープゴート」を、血眼になって探している。そのためには、人を騙すことも平気だ。

皆よく考えてみるがいい。他人のラインが平気でマスコミにリーク(いや、マスコミが盗用した?)されたと考えると、これほど怖いことはないと思わないか? 内容は問題ではない。監視されているのだよ? しかもやむを得ない国家権力の介入などではなく、男と女の痴話話だよ。

この構造は、甘利前大臣の事件にも当てはまる。

いい加減止めようよ、騙しは!


小保方さん、残念?

2014-12-20 18:03:28 | まあまあ社会<的>な
2014年は、STAP細胞から始まった。

そして締めくくりもSTAP細胞となった。

昨日、11月末まで続けられた小保方さんが参加したSTAP細胞作製の実証実験は不調に終わったと、記者会見で理研が明かした。

理研の記者会見での姿勢は、これまでとはうって変わって、小保方さんに寄り添うような記者会見で、ボクは好感を持った。

だからどうということもないのだが、不愉快ともいえるマスコミの質問に、理研がようやく科学者集団らしい普通の対応をしただけのこと…。

それはそれとして。

マスコミは「結局STAP細胞はあるのかないのか?」などとまったく訳の分からない質問を、まだ浴びせていた。

そんなもの、わかるわけがない。再現できないから「ない」ということにはならない。マスコミが望んだのは「ない」という言質を理研から取れれば、小保方さんを「嘘つき」「ペテン師」と追い詰めることができるからだ。

別の要素ではあるが、追い詰めたことで笹井副センター長が死んだことを、マスコミはまだ自分の責任だと自覚していない。

再確認するが、STAP細胞は、本来人が死ななければならない要素などどこにもない(大きな利権が生じることで生まれる可能性はあったが…)。

これからは、小保方さんも表舞台に出ることもないのだろう。おそらく渡米するのではないかと、ボクは思う。そうして欲しいとすら思う。日本という国は、小保方さんのような人には、生きにくいところのような気がするから。

ちなみにボクは、小保方さんがSTAP細胞を作成したことを、いまでも信じている。つまりSTAP細胞はあると信じている。そして近いうちに、その存在が明らかになるとも、信じている。



皇室と出雲大社

2014-10-06 15:51:21 | まあまあ社会<的>な
昨5日、出雲大社・権宮司の千家国麿さんと、皇室に連なる高円宮典子さまの結婚式が行われた。

一昔前なら、あり得ない事が起きたのだが、あまりそのことに触れるメディアもない。

ボクの知る限り、出雲大社と皇室の関係は、言ってみれば征服者と被征服者としての関係から始まる。記紀に登場する所謂「国譲り」神話に描かれているものだ。

4月に「故郷・島根のこと」でも「国譲り神話は、土着の縄文系住民と大陸或いは半島からの移住民である弥生系住民との覇権争いの結果惹起した、非常に現実的なパワーポリティクスというか、権力の平和的移譲という事実としてある」と書いたが、土着の大国主命(=大物主命)が、大陸からの移住民である天孫系の先遣隊長とでもいうべき建御雷神(タケミカツチノカミ)に、出雲大社の建設を条件として「国譲り」を承諾したとされるのだが、記紀神話が歴史的な事実とは言わないまでも、歴史の一コマを記したものであるなら、今回のお二人の結婚は、日本と言う国家を揺るがすような、2千数百年を超えたある種の政治的和解の儀式とでもいえるのだ。

百年も前ならこのことは、国民を二分するような議論を巻き起こしていたかもしれない。また百年も前ならそれこそ「お下げ渡し」的な受け取られ方をしたことだろう。

まぁ、いまと言う時だからこそ可能だった結婚なのだろう。

それにしても。これは日本という国にとって、なんらかの意味ある出来事なのだろうなと思う。具体的に「なにか」を言うことはできないけれど、できることなら前向きな何事かであって欲しいものだ。


火山の噴火、疫病、豪雨、地震……なんの予兆だ?

2014-09-29 19:04:48 | まあまあ社会<的>な
昔から、こうした天変地妖の原因は、時の為政者の悪政、人心の乱れと相場は決まっていた。

人の起こす「異な事」が、そのまま自然の怒りに直結するということだ。

これは如何にも仏教的な思想であり、キリスト教的には「ソドムとゴモラ」のエピソードのように、悪しき人心の乱れには神の鉄槌が下るということになっている。

それにしても。このところの人心の乱れは甚だしい。であるが故に天変地異も甚だしい。

よく家族は、「まるで良くないことを喜んでいるみたい」と、ボクに言う。

誰がそんなことで喜ぶか!? 

人の営みと自然との切り離しがたい関連を思うだけだ。

少し飛躍がある。自然は怒ったりはしない。人の自然に対する過ちを、自然なりに修正しようとしているだけだ。

そう考えれば、得心もいくということか。








第三次世界大戦の勃発!?

2014-09-25 18:20:50 | まあまあ社会<的>な
もうひとつの驚きの報道。

すでに、第三次世界大戦の勃発という局面に差し掛かったような気がしてならない。

今日国連で行われた「イスラム国」への、アメリカ主導の「徹底殲滅戦宣言」。

これは、明らかに第三次世界大戦の宣戦布告に等しい。

国家・組織の大小ではない。要はその戦いの困難さが、第三次世界大戦なのだ。

国家という括りを外した戦闘組織は、無限に増殖する可能性を持っているのだし、全戦闘員を殺戮し終えたとしても、その宗教的熱情や、政治信条・信念は、消えることはない。たちどころに次の戦闘員を生み落とす基になる。

そんなことはアメリカもヨーロッパ諸国も、おそらく百も承知だろう。良き所でどこかに落としどころを見つけようという予定なのだろうが、この「イスラム国」との戦いは、まっとうな落としどころなどなさそうだ。なぜなら、今でさえ交渉の相手を特定できずに、むざむざと捕虜と言われる人々が殺されている。

戦闘の道具も、今の段階は通常兵器戦で、無人爆撃機等を駆使するアメリカサイドが優位に見えるが、「イスラム国」の欧米勢力に対する憎悪は、なにか半端でなく、欧米が使用をためらう化学兵器や核兵器なども、平気で使いそうな気がする。

報道にもある通り、「最も裕福なテロ組織」なのだから、そうした破滅に至る兵器ですら手に入れることはできるだろうし、躊躇なく使えるタフな宗教精神・信念に裏打ちされた連中だという気がする。

そうした恐ろしさを孕んだ戦いになるということだけは、確かだと思う。

日本も対岸の火事などではなく、あっという間に巻き込まれることになるだろう。

我々のような一般市民は、一体どうすればいいのか分からないという一点で、恐怖である。

疑わしきは、罰せず。……?

2014-09-25 17:36:42 | まあまあ社会<的>な
今日は1日家にいて、テレビを見ていた。ほとんどの報道番組は「横並び」といった感じで、神戸の少女殺害・遺体遺棄事件を伝えていた。

本当に!! 画面から流れてくる報道を聞けば聞くほど、見れば見るほど、抑えようもない違和感が湧き上がってくる。

よしんば、昨日逮捕されたKという男が真犯人であったとしても、今の段階では真犯人と決めつける報道は、あり得ない。はっきりと、なしだ。ましてや顔写真報道など、本来ならあり得ない。

日本の刑法の精神は「疑わしきは、罰せず」だった。敢えて「だった」と書く。今日見聞きしていた報道のおよそすべてが「Kが犯人に間違いない」というバイアスのかかった報道だった。

その象徴的な報道が、コンビニの防犯カメラに映っていた少女の後を「少女を気にしながら酔っぱらったように歩くKの姿が映っていた」というものと、「夜中の1時に遺体の発見された雑木林の方に向かって歩くKに職務質問して身柄を拘束した」という部分。

これは、Kが犯人であるということの傍証にもならない。近所に住んでいるのだからたまたまであり、偶然だとしても少しも変ではない。

だが報道では、それはKが犯人であることの傍証のように伝えていた。

さらに。多くの人が不思議に思っているだろう、遺棄されたビニール袋の中の診察券とたばこの吸い殻も、写真を公開していたが、これほど都合よく身元が知れるものと、DNA鑑定をしてくださいと言わんばかりの「証拠」物件「だけ」が封入されていたなどと、どこの誰がまともに信じるというのだろう?

もっと気持ちの悪いのは、報道の中に、少女をバラバラにしたはずのKの部屋の様子が一切触れられていないこと。もしそうした事実があるのなら、マスコミは真っ先に「風呂場に血痕の跡」とか「奥の部屋が血まみれ」とか書くだろう。それこそが、Kの部屋で死体の損壊が行われたという動かしがたい「証拠」である。それがない。

それでもKが犯人とは断定できない。他の何物かがKの部屋に侵入してことをなしたかもしれないからだ。

なんだか、Kが犯人という流れができていて、捜査本部がそれに従って報道陣に小出しにリークしている感じが否めない。操作本部? って感じだ。マスコミはその尻馬に乗ってエキセントリックに騒いでいるだけ。もっと冷静に報道すべきではないかと思う。

報道できる事実を粛々と伝える、それが一番必要な報道姿勢だろう。今の報道姿勢は人心を煽り、不必要な詮索とあらぬ予断を世間に与えるだけのもの。

Kが犯人であったとしても、今の段階で、この報道は×?×?×?×?である。









エボラ出血熱 “患者は最大140万人に”

2014-09-25 00:29:55 | まあまあ社会<的>な
こうした報道が、天下のNHKであった。

患者が増え続けるエボラ出血熱について、アメリカのCDC(疾病対策センター)が「感染拡大の勢いが衰えなければ、患者数は年明けまでに最大で140万人に達する可能性がある」と、リベリアなど関係各国の経緯を基にシミュレーションした結果を発表したというのだ。

喫緊で言えば、リベリアとシエラレオネではおよそ20日ごとに患者の数が倍増、今月30日にはおよそ8000人にまで膨れ上がる予測だ。

前にも書いたが、発表される患者数は、ここまで来ると控えめな数字で推移すると思われる。報道でも「患者数は氷山の一角で、およそ2.5倍の患者がおり、感染の勢いが衰えなければ、患者の数は来年1月には最大で140万人に達する可能性」を示唆していた。

同時に医療態勢が整えば、感染拡大は収束するとも。リベリアは日本政府に対して医療チームの派遣を要請したとも伝えられている。国際社会の支援強化が不可欠な、危険水域に達したということか。

WHO(世界保健機関)も「患者数は11月の初めには2万人超」と予測している。

アフリカ大陸からまず伝播するのはヨーロッパ諸国およびアラブ諸国。この辺りで食い止めなければ、本当にパンデミックということになる。

その危険性にも、そろそろ真剣に対策すべき時が迫っているような気がする。


エボラとデング

2014-09-09 00:31:00 | まあまあ社会<的>な
なんだか、童話のタイトルみたいだな……。

海の向こう、アフリカの大地ではエボラ出血熱。日本国内ではデング熱という、なにか感染症に大いなる気配り、配慮をしなければならないという、近未来のシュミレーションをしているような塩梅だ。

そんなのんきなことを考えているうちに、エボラ出血熱はアフリカという地域の中で感染拡大が止まらない。とうとう死者数は2000人を超えた。

こうした数値は、多くの場合実数の何分の一かの確定数値が知らされるわけで、実数は5倍、いや10倍だという人もいる。

一方、日本でのデング熱は、エボラ出血熱が致死率が極めて高いのとは異なり、風邪の症状を少し激しくした程度のもので、死に至ることなどほぼない。

ただ、誰もが不思議に思っているだろうことの一つを、ボクも非常に不思議に思っているので書くと、当初デング熱を媒介するのは「ヒトスジシマカ」(調べてみたら、ヤブ蚊のほとんどがこいつのようだ)という、非常に限定的な蚊だったにも拘わらず、いまでは、どこにでもいる普通の蚊が媒介しているということになっている不思議。

要は、確定的な要素のように「ヒトスジシマカ」というデータを提示して見せ、だからさほどの感染拡大はない、というような誤った認識を情報として流したマスコミが、いまでは「ヒトスジシマカ」など、口にも出さず、感染は結構な拡大を見せているという事実。

詰まる所、エボラ出血熱にせよデング熱にせよ、確定要素など何もなくて、なにか不思議な出来事を見ているような感覚が拭えない。

ボクは、感染症の専門家でもオーソリティーでもなんでもないので、書くことは適当なものなのだが、一つだけ恐れているのが、温暖化が一つの原因としてデング熱の感染拡大があるのなら、マラリアも有り得るなという危惧。

そこのところはどうなんだろう? もちろんそんなことなどなければいいのだが……。







これまでとは違う、エボラ出血熱流行の形。

2014-08-26 23:47:12 | まあまあ社会<的>な
こんなことを書くと、あらぬ誤解を受けそうな気もするが、敢えて書く。

エボラ出血熱のことを書いた前々回の原稿に、ミミちゃんからコメントがあった。

それは、あのオーム真理教教祖が米軍の攻撃により感染したとする「Q熱リケッチア」は、エボラ出血熱の別名で、オームは兵器としてエボラ出血熱を開発しようとしていたという内容。なにか身近な所に、そうしたことと関わりのあるファクターがあったとのこと。

リケッチアはダニなどの微生物類による感染症でウィルス感染症であるエボラとは別のものだが、ミミちゃんの言いたいことは、どちらにしても作為的なものだということ。それは間違っていない。

西アフリカでのエボラ出血熱の流行、関連国内での戒厳令とでもいえそうな封じ込め政策と、綻び、ワクチンの開発・効果が取りざたされる中で、先進諸国から未認可のワクチン「Zmapp=アメリカ製」、「T705(アビガン)=日本製」などの提供も考慮され始める事態となっている。

ただ実際に「Zmapp」は感染者に投与されたが、3人の内2人は生還、一人は死亡という結果になっているという。

さまざまのエボラ関連の話をニュースなどから採取し総合的に考えてみるに、ミミちゃんがオームの話として書いてくれた内容はある意味真実で、実は今回のエボラ出血熱ウィルスは先進国のバイオ研究施設(それこそレベル4以上の開発・実験室)で作出され、西アフリカで故意に流行させられているものなのではないかという気がしてくる。

なぜなら、未承認の「Zmapp」の効能・効果を実証するためには、先進国国内の医療機関での実証実験は、プラセボ(偽薬)を与えられた患者が高い確率で死ぬことに対する倫理的な問題が発生するほど、不可能に近く、アフリカという壮大な実験施設で、まさに今実証実験中なのではないかという気がしてしまうのだ。

別株ともいわれるエボラ出血熱の感染・死者が中央アフリカのコンゴでも確認されたという(24日)。この先どうなっていくのか? 注視していたい。

わずか1ヶ月で、死者数が倍増。エボラ出血熱の猛威。

2014-08-24 00:55:29 | まあまあ社会<的>な
8月3日のこのブログで、エボラ出血熱のことを書いた。エボラ出血熱の発生が確認された4月から、7月27日までに730人の死者が出た、と書いた。

あれからわずか1ヶ月、エボラ出血熱による死者は、現在1,427人に上っている(8月20日現在)。まさに急激な倍増だ。患者数は2,500人を超えた。

これはパンデミックの兆し?

WHOは「ピークを越えた」と言うような発表をしたような気がするが、本当だろうか?

エボラ出血熱の拡大を防ぐために、関係国は隔離封鎖という、ある意味常識的な対応を取っているのだが、これが市民の怒りを買い、隔離された病院を武装集団が襲撃、隔離患者を「解放」したというようなニュースまで飛び込んできた。

殊にリベリアでことは深刻で、軍隊が貧民街を隔離封鎖などし、住民と小競り合いが続く。これはパニックに近い、政府の無策と言わざるを得ない。

事を荒立てている印象だ。

感染者数は少ないが、ナイジェリアでは二次感染(直接感染者に触れていない感染)が確認されている。

医療関係者の死者も100人近くなってきているのも、気になる。また各国の医療チームも感染リスク回避のために引き上げを余儀なくされ、現場の環境悪化は想像に難くない。

こうなると、現在の4ヶ国にとどまらない、それこそパンデミックという最悪のシナリオも、考えられるのではないかと、正直恐怖する。

アメリカに戻った医療チームの感染者は完治したそうだ。ワクチンの効果というような話だが、ここのところは正直、信用ならない。

その理由は、また次で。




STAP細胞は、ある! 小保方踏ん張れ!

2014-08-07 00:21:49 | まあまあ社会<的>な
5日朝、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が亡くなった。現在のところ自殺という所見ということのようだ。

まず、ご冥福を祈りたい。そして、深く哀悼の意を表したい。

笹井さんはネイチャー誌へのSTAP細胞論文提出の際の最後の形を整える、つまりは論文の最終チェック担当者、理研などは、有体に言えば「お前のチェックミスだ」と断罪した。マスコミも尻馬に乗って報道を続けた。

笹井さんは死に際し、4通の遺書を残されたそうだが、その一通は小保方さんに対するもので、そこには「(自分が死ぬのは?)あなたのせいではない」「STAP細胞を必ず再現してください」という内容が書かれていると言われる。

小保方さんへの思いやりと、STAP細胞そのものへ、この期に及んでなお期待されていたことを感じさせる内容で、笹井さん自身、STAP細胞でなければ考えられない現象のあることを知悉しておられて、小保方さんに後を委ねた形の遺言になったのだろう。

人は死の間際に、何を思い、何を考え、何を残そうとするものだろう? 

以前にも書いたが、おそらくは、笹井さんの気持ちとは裏腹に、STAP細胞はなかったものという結論ありきの検証が進められているのだろう。そのことは笹井さんも重々承知の上での遺書ではなかったかと、推察する。

その上で「STAP細胞を必ず再現して」と言い残された。これは正直に言ってSTAP細胞存在の大きな根拠となるのではないかと思う。あまりに情緒的すぎるかもしれないが、心底そう思う。小保方さん、踏ん張れ!

それにしても。マスコミは「笹井氏はなぜ死ななければならなかったのか?」という報道スタンス、論調だ。

開いた口がふさがらない。

はっきり言うが、問題とされてから以降であっても、STAP細胞は人が死ななければならない要素など、皆無だった。今日の「悲劇」を招いたのは、他ならぬ自分たち自身だということに思いも至らないマスコミに、唾を吐きかけてやりたいと、それこそ心底思ってしまったヨ。

パンデミック? エボラ出血熱

2014-08-03 15:53:18 | まあまあ社会<的>な
ちょうど2年前の8月30日に、アメリカでの「西ナイル熱」の流行に関する記事を書いた。

そして今年は、西アフリカ一帯で猛威を振るっているエボラ出血熱の記事を書こうとしているわけだ。

このエボラ出血熱は、映画『アウトブレイク』(ウォルフガング・ペーターゼン監督、1995年)のモチーフになっていて、必要以上に恐ろしい印象を我々は持っているのだが、実際のところ爆発的で際限のない感染には至らないというのが、世界的な見解。

というのもエボラ出血熱は、空気感染しないと言われ、体液などの接触感染が主だというのだ。ただ感染による致死率は50 - 90%と非常に高く、治癒しても重い後遺症(失明など)を残すとも。

それでもウィルス株に特段の変異でもない限り、体液などの接触感染である限り、感染経路は特定しやすいわけで、対処法もそれなりにあるということのようだ。アメリカの研究機関ではすでにワクチン(Zmapp)が完成しているとも言われ、日本でも開発されているとも聞く。

いまのところ、西アフリカの4ケ国(ギニア、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア)にとどまっている感染範囲を、これ以上に拡大させない措置として、関係諸国は隔離封じ込めを対処法として対応を始めた。シエラレオネなどでは、軍隊による感染重点地域の封鎖措置も取られているという。映画そのもの!

だが冷静に眺めてみると、パンデミックには至らないという見解が本当なのか、ちょっと信じられなくなってくる。まず直近の感染者数の激増ぶり。今年3月から7月27日までで、感染地域4カ国での死者は計730人に上っているのだが、この数週間、毎週100人前後が感染していると言われている。

対応治療にあたっていたアメリカの医師団の医師も感染死亡、一人は帰国治療という事態に至っている。

またCNNによれば、米疾病対策センター(CDC)は7月31日、感染被害が顕著なギニア、リベリア、シエラレオネへの渡航注意の水準レベルを2から3に引き上げた。CDCがこれまでレベル3を発令したのは2度。03年に中国などで大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)流行時と、10年に起きた中米ハイチの大規模地震時の2度のみ、だという。

西アフリカでの流行は、風土的な要因、宗教的な要因、先進医療への無理解など、それこそさまざまなファクターがあるとはいえ、日本はというと、なにか対岸の火事とまでもいかない呑気な父さんぶりで、そんなことが起こってるのくらいのものだが、接触感染とは言いながら、もしいったん感染者が日本に上陸すれば、その感染速度は西アフリカ諸国の比ではないだろう。

日本の感染症に対する水際作戦はこれまで見事に功を奏しているのだが、これから先もそうとは限らない。なにせ日本人の人間力は、確実に落ちているから。

人のことに目を向けられる人が、人の痛みに気付く人が、どんどん減っているからなぁ。

電車の中で、なにか辛そうな人を見たら、無視するのだけはやめて一声かけるくらいの人間力は保持していたいものですね、っと。