普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

火山の噴火、疫病、豪雨、地震……なんの予兆だ?

2014-09-29 19:04:48 | まあまあ社会<的>な
昔から、こうした天変地妖の原因は、時の為政者の悪政、人心の乱れと相場は決まっていた。

人の起こす「異な事」が、そのまま自然の怒りに直結するということだ。

これは如何にも仏教的な思想であり、キリスト教的には「ソドムとゴモラ」のエピソードのように、悪しき人心の乱れには神の鉄槌が下るということになっている。

それにしても。このところの人心の乱れは甚だしい。であるが故に天変地異も甚だしい。

よく家族は、「まるで良くないことを喜んでいるみたい」と、ボクに言う。

誰がそんなことで喜ぶか!? 

人の営みと自然との切り離しがたい関連を思うだけだ。

少し飛躍がある。自然は怒ったりはしない。人の自然に対する過ちを、自然なりに修正しようとしているだけだ。

そう考えれば、得心もいくということか。








佐井好子 at Mt.RAINIER HALL

2014-09-27 02:37:02 | 音楽にまつわる話<的>な
そりゃ、行くだろう!

ということで、行ってきました!! 佐井(好子)さんの35年ぶりのライブ。

佐井さんの6曲、初めは歌うという気持ちが少し引き気味にも思えたけれど、最後はまるで35年前の佐井好子を聴いているようでした。震えました。

最後に聴いたのは、日本青年館でのコンサート(!)だったかな……。

一曲目の「遍路」から「蝶のすむ部屋」、「春の川」、「人のいない島」、「変わり者」、「白い鳥」と全6曲、しっかりと聴き届けました。

欲を言えば「逢魔ヶ時」、「椿は落ちたかや」、「THEME~母さまのうた」、「酔いどれ芝居」、「二十才になれば」も「あの青い空には神様が住んでる」も「青いガラス玉」も聴きたかった。

正直に言えば、あの頃、佐井さんの歌に抱いた恋心を思い出してしまった。

多くの佐井好子を引きずっている、思いを抱く人々が、マウントレイニア・ホールにはたくさんいました!

35年などという時間は、ほんの一瞬だったんですね、今日、つくづくとそう思いました。

ボクの聴いていた席の後ろで、何人かの若者が「カッコいいよな!」などと話していました。

時間を超えて、聴く者が何かを感じる歌、なんです佐井さんの歌は!

第三次世界大戦の勃発!?

2014-09-25 18:20:50 | まあまあ社会<的>な
もうひとつの驚きの報道。

すでに、第三次世界大戦の勃発という局面に差し掛かったような気がしてならない。

今日国連で行われた「イスラム国」への、アメリカ主導の「徹底殲滅戦宣言」。

これは、明らかに第三次世界大戦の宣戦布告に等しい。

国家・組織の大小ではない。要はその戦いの困難さが、第三次世界大戦なのだ。

国家という括りを外した戦闘組織は、無限に増殖する可能性を持っているのだし、全戦闘員を殺戮し終えたとしても、その宗教的熱情や、政治信条・信念は、消えることはない。たちどころに次の戦闘員を生み落とす基になる。

そんなことはアメリカもヨーロッパ諸国も、おそらく百も承知だろう。良き所でどこかに落としどころを見つけようという予定なのだろうが、この「イスラム国」との戦いは、まっとうな落としどころなどなさそうだ。なぜなら、今でさえ交渉の相手を特定できずに、むざむざと捕虜と言われる人々が殺されている。

戦闘の道具も、今の段階は通常兵器戦で、無人爆撃機等を駆使するアメリカサイドが優位に見えるが、「イスラム国」の欧米勢力に対する憎悪は、なにか半端でなく、欧米が使用をためらう化学兵器や核兵器なども、平気で使いそうな気がする。

報道にもある通り、「最も裕福なテロ組織」なのだから、そうした破滅に至る兵器ですら手に入れることはできるだろうし、躊躇なく使えるタフな宗教精神・信念に裏打ちされた連中だという気がする。

そうした恐ろしさを孕んだ戦いになるということだけは、確かだと思う。

日本も対岸の火事などではなく、あっという間に巻き込まれることになるだろう。

我々のような一般市民は、一体どうすればいいのか分からないという一点で、恐怖である。

疑わしきは、罰せず。……?

2014-09-25 17:36:42 | まあまあ社会<的>な
今日は1日家にいて、テレビを見ていた。ほとんどの報道番組は「横並び」といった感じで、神戸の少女殺害・遺体遺棄事件を伝えていた。

本当に!! 画面から流れてくる報道を聞けば聞くほど、見れば見るほど、抑えようもない違和感が湧き上がってくる。

よしんば、昨日逮捕されたKという男が真犯人であったとしても、今の段階では真犯人と決めつける報道は、あり得ない。はっきりと、なしだ。ましてや顔写真報道など、本来ならあり得ない。

日本の刑法の精神は「疑わしきは、罰せず」だった。敢えて「だった」と書く。今日見聞きしていた報道のおよそすべてが「Kが犯人に間違いない」というバイアスのかかった報道だった。

その象徴的な報道が、コンビニの防犯カメラに映っていた少女の後を「少女を気にしながら酔っぱらったように歩くKの姿が映っていた」というものと、「夜中の1時に遺体の発見された雑木林の方に向かって歩くKに職務質問して身柄を拘束した」という部分。

これは、Kが犯人であるということの傍証にもならない。近所に住んでいるのだからたまたまであり、偶然だとしても少しも変ではない。

だが報道では、それはKが犯人であることの傍証のように伝えていた。

さらに。多くの人が不思議に思っているだろう、遺棄されたビニール袋の中の診察券とたばこの吸い殻も、写真を公開していたが、これほど都合よく身元が知れるものと、DNA鑑定をしてくださいと言わんばかりの「証拠」物件「だけ」が封入されていたなどと、どこの誰がまともに信じるというのだろう?

もっと気持ちの悪いのは、報道の中に、少女をバラバラにしたはずのKの部屋の様子が一切触れられていないこと。もしそうした事実があるのなら、マスコミは真っ先に「風呂場に血痕の跡」とか「奥の部屋が血まみれ」とか書くだろう。それこそが、Kの部屋で死体の損壊が行われたという動かしがたい「証拠」である。それがない。

それでもKが犯人とは断定できない。他の何物かがKの部屋に侵入してことをなしたかもしれないからだ。

なんだか、Kが犯人という流れができていて、捜査本部がそれに従って報道陣に小出しにリークしている感じが否めない。操作本部? って感じだ。マスコミはその尻馬に乗ってエキセントリックに騒いでいるだけ。もっと冷静に報道すべきではないかと思う。

報道できる事実を粛々と伝える、それが一番必要な報道姿勢だろう。今の報道姿勢は人心を煽り、不必要な詮索とあらぬ予断を世間に与えるだけのもの。

Kが犯人であったとしても、今の段階で、この報道は×?×?×?×?である。









エボラ出血熱 “患者は最大140万人に”

2014-09-25 00:29:55 | まあまあ社会<的>な
こうした報道が、天下のNHKであった。

患者が増え続けるエボラ出血熱について、アメリカのCDC(疾病対策センター)が「感染拡大の勢いが衰えなければ、患者数は年明けまでに最大で140万人に達する可能性がある」と、リベリアなど関係各国の経緯を基にシミュレーションした結果を発表したというのだ。

喫緊で言えば、リベリアとシエラレオネではおよそ20日ごとに患者の数が倍増、今月30日にはおよそ8000人にまで膨れ上がる予測だ。

前にも書いたが、発表される患者数は、ここまで来ると控えめな数字で推移すると思われる。報道でも「患者数は氷山の一角で、およそ2.5倍の患者がおり、感染の勢いが衰えなければ、患者の数は来年1月には最大で140万人に達する可能性」を示唆していた。

同時に医療態勢が整えば、感染拡大は収束するとも。リベリアは日本政府に対して医療チームの派遣を要請したとも伝えられている。国際社会の支援強化が不可欠な、危険水域に達したということか。

WHO(世界保健機関)も「患者数は11月の初めには2万人超」と予測している。

アフリカ大陸からまず伝播するのはヨーロッパ諸国およびアラブ諸国。この辺りで食い止めなければ、本当にパンデミックということになる。

その危険性にも、そろそろ真剣に対策すべき時が迫っているような気がする。


四連勤は……。

2014-09-24 23:27:05 | 極端な生活<的>な
先週の三連休は湯河原→鎌倉、と楽しい旅行でしたが、何の因果かはたまた楽しい旅行の反動か、土日月火と休み3日潰しの四連勤と相成りました。なかなかに人生は、±0的な結果になるものだなと感じ入ります。

それにしても。神戸の少女行方不明事件の結末の悲惨さは、なんと表現していいかわかりません。時折このブログでも触れる「宮崎勤事件」と「酒鬼薔薇聖斗事件」をいっしょくたにしたような結末。正直なところ、報道を聞いているだけで胸が悪くなります。

少女はなんのためにこの世に生を受けたのでしょう?

この結末を迎えるためだとしたら、あまりにも負が勝ちすぎています。

来世では精一杯幸せになって欲しいと願わずにはいられません。

少しばかり、日本中が心を落ち着かせる時間が欲しい気もします。

被害者の少女とその家族に祈りを捧げます。








三連休は、湯河原→鎌倉②

2014-09-17 13:17:48 | 普通な人々<的>な
さて、昨日の続き。

翌朝、6時には目覚める。いつもと同じ時間というところが、なにやら歳を感じさせるなぁ。

内風呂に湯を張ったままだったなと覗きに行くと、空っぽ。どうやら水栓が緩んでいたらしい。そう言えば、夕べ入った時にも、入れたはずの湯量がなにか少ないように感じたが、緩んでいたというよりは緩い水栓だったということか。それならと、すぐさま風呂につかりに大浴場・露天風呂に。

不思議でならなかったのだが、前日からボクが風呂に入りに来ると、誰もいない。貸切状態だ。嬉しいのだが、奇妙な感じもする。何人かの入浴客にしか会っていない。それなのに、夕食のバイキングは満席だった。あの人たちは、どこで何をしているのだろうか? などと思ってしまう。そして。風呂に行くまでに6階の部屋からエレベーターで3階に下り、曲がりくねる廊下をほぼ端から端まで歩きようやく到着するのだが、何度も通ったが、廊下でも、誰一人会わなかった。そこもなにか奇妙だった。

そのことに関して一つ報告しておけば、ボクらの泊まったホテルは非常に不思議な感覚を覚えるホテルだった。その原因に初めは全く気付かなかったのだが、とても簡単なことだった。5mとまっすぐなところがない。ウネウネとしているのだ。直ぐに曲がり角に行き当たる。廊下の幅も広がったり狭まったりが続く。そして、三段ほどの階段の上に中二階と言った感じの部屋が作られたりしている。なにかアメリカのウィンチェスター家を思い出してしまった。ただ不気味さなどは感じなかったから、ご安心を。

朝風呂で「小原庄助」気分を味わい、朝食に。また、食事には大満足した。おいしかった!

ということで、11時まで部屋に留まり予定を立てる。真鶴に行くか鎌倉に行くかの二者択一。奥さんの「行ったことがない」という一言で鎌倉に。

それじゃすぐに出発しようと部屋を出たのだが、なにか違和感を感じた。奥さんの足元を見ると、靴を履いていない! 「おい」と呼び止め足元を指さすと、奥さん腹を抱えて笑い出した。そしてボクの足元を指さす。人のことは言えない。ボクも奥さんもホテルのスリッパのまま帰ろうとしていたのだ。鍵まできちんと掛けて出てきたのに……。

昼食は鎌倉でということで、すぐに東海道線で藤沢に。藤沢から途中下車しながら江ノ電で鎌倉に行こうという算段。周遊券は600円。というわけで、



江ノ電に。

最初の途中下車は「江ノ島」。歩いて橋を渡り島部まで。人の数が半端ない。ほとんど原宿・竹下通り状態だ。洒落た店が並ぶが、結局店先の縁台でイカの丸焼きをあてにビールで乾杯。ボク等夫婦は、なんというか人と同じことがしたくない、という一点で夫婦。結局江ノ島でも歩いたのは、



こんな裏道。

次に途中下車したのは「長谷」。大仏を見たことがないというので、見物に。大仏とは言いながら「それほどでかくはないぞ」と予備知識を提供。

そして、ご対面。



まぁ、こんなものかな。奥さんは大仏さんの背中ののぞき窓が気に入ったよう。「羽だ」と子供たちにLINEで報告していた。ところが、奥さんとはぐれてしまった。電話すると「大仏の右手にいる」という。大仏の正面に立ち右側を探すが、どこにもいない。ひょっとして「右手」って本当に「大仏の右の手」のことか? と思い探すと、いた。

かなり腹も空いてきたので鎌倉へ。まずは若宮大路を辿って鶴岡八幡宮に。何年か前に台風で倒木したという「別当公暁の隠れ銀杏」を見物するも、すでに脚が痛くなってきたのもあって、すぐに店探し。

駅方向に戻りながら店探しをしようと「小町通り」を歩く。だが、こちらは夏の旧軽のメインストリートのようで、入りたい店がない。散々歩いた結果、駅近くの腸詰屋でビールとソーセージ。

気付けばすでに夕方6時を回って、結局、やはり駅近くの居酒屋さんへ。ところがここがまた、絶品の料理。生しらすは予想通り売り切れだったが、刺身も鎌倉野菜を使った料理も素晴らしいもの。長居してしまった。

気が付けば、9時近い。慌てて帰宅の途に。

少し酔ってる。日本酒そこそこ飲んでるものなぁ。帰りはずっと別々の席で。

帰りついたら、11時を回ってしまった。

なにか、重厚な出だしから、最後はさっぱりした感じになったけれども、なんともおいしく楽しい1泊2日!!

またこんな旅ができればいいな、と素直に思えた2日間でした。チャンチャン。

三連休は、湯河原→鎌倉①

2014-09-16 18:17:12 | 普通な人々<的>な
実は、奥さんと一緒になって30数年、あまり旅行にも行けず、近郊の名所・旧跡などにもほとんど行っていない。

ボクは仕事で47都道府県すべてを制覇しているのだが、奥さんとしては不本意であろう。

正直なところ連れて行ってあげたいのだが、ボクは人語に落ちぬ貧乏である。無理! てなことをついつい言ってしまう。

でも今回は、奥さんが連れて行けという。で、ダメもとで当日の朝に予約を入れてみたら空いていた。連休に空いているとはこれ如何に? ついているというよりは、なにかちょいと不安もありつつ、着の身着のままで出かける。

これまでならば、車で出かけたのだが、今回は電車。湯河原のホテルに向かった。

まぁ貧乏であるからそんなに良き所には泊まれない。食事はバイキング、のようなところに泊まるわけだが、やっぱりなというくらいの、珍道中になった。

往きは何で行こうか迷った挙句、新宿からO電鉄に乗った。それも普通の急行。ロ○○スカーがあるのだが、ゆっくり時間稼ぎということで……。それはそれで、楽しかったが、首は一応ひねってみた。

小田原着。ちょうど昼時に着いたので駅前を見回すと、



佇まいの良いお蕎麦屋さん「寿庵」。ここで昼間から蕎麦をあてに酒をくらいながら、うだうだと時間を潰す。

奥さんは日本酒にせいろ、ボクはビールに冷やしタヌキ。なんだか奥さんの方が「通」でげすな。

やがて湯河原に。送迎のバスが駅前の「武将の銅像の前に来る」というインフォメーション。

前とはどこを指すのだ? これなら間違いはなかろう、と銅像の真ん前で待つ。と、ふと思ったのは、この道だと車は昇降口が反対側になるから、違うだろう? という内にそれらしきバスが来て、手前をまがってロータリーに入っていった、やっぱり向こうだと走ると、くるりとロータリーを回り今までボクラのいたところに停まる。ボクらはロータリーを走って一周した計算に。向こう側に回って乗り込む。

ホテルに着くと、元気の良い「高橋さん」という案内係の方が、ホテルの作り、泊まる部屋、バイキング会場などを、そこまで声を張らんでもというくらい元気に説明してくれた。

ホテルの部屋は10畳+6畳+サンルーム+トイレに入り口のやたらに広いスペースと、思いもしないほどの豪華版。早速風呂に入り、食事時間までを有効活用ということで、まずは浴衣に着替えて……。

なんということか! 奥さんの浴衣がツンツルテンのまるでバカボン。このホテル、入館すると、好きな柄の浴衣を選ぶ仕組みで、大きさもそこでセレクトするのだが、ジャストのサイズを選んだはずなのに、バカボン。すぐにフロントに行って説明すると、奥さんの選んだMサイズの所から渡してくれたが、これもS。あららということで確認すると、Mの所に置かれた浴衣は、すべてSだったという落ち。

風呂から上がり、少し早いがバイキング会場へ向かう。だが! はっきり説明されたにもかかわらず、会場が分からない。何度もあっちへ行ったりこっちへ来たりとしている内に、どうやら同じように食事会場に行きそうな若者二人。ボクらと同じ場所で迷っている。

声をかけると、案の定、バイキング会場へ行く所。しかし、ボクら以外人の気配がない。それならと、真っ暗な奥へ探索に出かける。すると、3分前にも拘らず、まだ中は薄暗いそれらしい入り口が! 中に入ると、「もう少しお待ちください!」と、あの「高橋さん」。恐縮して奥さんや若者のいるところに戻り、間違いないとウィンク。

やがて、案内係の女性が「お待たせしました」と待っているボクら4人のところに来て電気を点けた、その瞬間、エレベーターの扉が開いて、10数人の人が飛び出してきた。なんという絶妙なタイミング。時間とは、こんな感じで守るものか! と感じ入る。

案に相違して、食べ物はおいしかった。期待していなかった分、非常においしいとまで思った。特にわさび漬けは信じられないくらいおいしかった。

そして部屋に戻り露天風呂などに出向き、旅行気分を満喫して部屋に戻ると、気付かなかった扉が一つ。恐る恐る開けてみると、なんと! 部屋付の露天風呂ではないか!! すぐに湯を張ったのは言うまでもない。だが、ここでひと騒動。

ゴキが出た。散々湯を浴びせいい加減弱ったと思ったのだが、彼は弱っていなかった。

夜中に、気配を感じて目を覚ますと、ボクの布団の横を、よたよたとゴキが歩いているではないか! すぐさま飛び起き、追い詰め、パンと叩いて、申し訳ないが絶命。手を合わせて、トイレに水葬。

色々あるなと思いながら、ようやく落ち着いて、眠りにつきました。

この続きは、また明日。



小学校からの縁

2014-09-10 15:39:07 | 普通な人々<的>な
昨日、小学校時代からの女友達と会った。もう半世紀を超える付き合いだ。

とは言え、彼女は神戸在住で、会える機会を強いて求めたとしても、数年に一度ということになるのだが、その数年に一度の機会を、彼女が今回お膳立てしてくれたわけだ。

ただ、そのきっかけは小学校教員をしていた彼女の、教え子の葬儀。そのために上京するから、会おうということになった。なかなかに切ない思いを抱えての待ち合わせ。

彼女とは、なにか縁があって、ボクが別の女性と同棲をしたり付き合ったりしている時でも、連絡を取り合って話をしたりしていた。

時には夜を徹して飲んだりもした。今でも鮮明に覚えているのが、彼女の寝言だ。

20歳を過ぎて、ボクが高校の同じ部活動をしていた下級生と一緒に住み始めた阿佐ヶ谷の安アパートの部屋に、当時付き合っていた(やがて連れ合いになり、今でも何かおもろい夫婦をしているらしい)大学同窓の彼氏と遊びに来てしこたま飲んだのだが、酔いつぶれた彼女が寝言を言った、それはフランス語だった。

彼女がフランス語を専攻していたのかどうかも分からなかったが、フランス語の寝言だった。

彼氏と顔を見合わせて、あまりにも流暢なフランス語に酔いが覚めたのを覚えている。

そして久しぶりに昨日、面と向かって話したのだが、なぜ連絡をくれたのか尋ねると「色々な人に会っておきたいから」と言った。

それはボクも同じ気持ちだった。人と関わりはじめてから長い人生の中で、常に不義理をしてあらゆる人との関わりを断ってきたボクだが、最近は、許されるものなら多くの人たちと再会したいと思うようになっている。死期でも近づいてきたのかと、ちょっと意外な自分の心根に戸惑いもする。

昨日、半世紀の付き合いの彼女とは2時間を超えて話した。もちろん話しつくせる時間ではないが、今度はボクが神戸に出向いて話をしようと、約束した。要するに、なにかまだ先にも時間がありそうな気がしたのだ。

それにしても。彼女の人生にも耐えなければならない苦慮、苦渋があったのだということを、これまでも薄々は知っていたが、詳しく知った。長く生きれば生きるほど、それは誰でも高い頻度で出くわすものなのだが、耐え難い苦しみでもあったのだろうと、言葉もなかった。

だが、そうした営為は、爺、婆になってそれを口にすることが、少しでも互いに、「癒し」どころではない心の「浄化」に繋がれば良いとは思う。むしろ、そのためだけに人と会って話すのも良いとすら思える。

人間関係とは、それほど大事なものなのだと、思う。

エボラとデング

2014-09-09 00:31:00 | まあまあ社会<的>な
なんだか、童話のタイトルみたいだな……。

海の向こう、アフリカの大地ではエボラ出血熱。日本国内ではデング熱という、なにか感染症に大いなる気配り、配慮をしなければならないという、近未来のシュミレーションをしているような塩梅だ。

そんなのんきなことを考えているうちに、エボラ出血熱はアフリカという地域の中で感染拡大が止まらない。とうとう死者数は2000人を超えた。

こうした数値は、多くの場合実数の何分の一かの確定数値が知らされるわけで、実数は5倍、いや10倍だという人もいる。

一方、日本でのデング熱は、エボラ出血熱が致死率が極めて高いのとは異なり、風邪の症状を少し激しくした程度のもので、死に至ることなどほぼない。

ただ、誰もが不思議に思っているだろうことの一つを、ボクも非常に不思議に思っているので書くと、当初デング熱を媒介するのは「ヒトスジシマカ」(調べてみたら、ヤブ蚊のほとんどがこいつのようだ)という、非常に限定的な蚊だったにも拘わらず、いまでは、どこにでもいる普通の蚊が媒介しているということになっている不思議。

要は、確定的な要素のように「ヒトスジシマカ」というデータを提示して見せ、だからさほどの感染拡大はない、というような誤った認識を情報として流したマスコミが、いまでは「ヒトスジシマカ」など、口にも出さず、感染は結構な拡大を見せているという事実。

詰まる所、エボラ出血熱にせよデング熱にせよ、確定要素など何もなくて、なにか不思議な出来事を見ているような感覚が拭えない。

ボクは、感染症の専門家でもオーソリティーでもなんでもないので、書くことは適当なものなのだが、一つだけ恐れているのが、温暖化が一つの原因としてデング熱の感染拡大があるのなら、マラリアも有り得るなという危惧。

そこのところはどうなんだろう? もちろんそんなことなどなければいいのだが……。







このまま、秋に突入!?

2014-09-04 00:29:52 | 普通な生活<的>な
・桐一葉、落ちて天下の秋を知る。

・天高く、馬肥ゆる秋。

・女(男)心と秋の空。

・秋茄子は嫁に食わすな。

・秋の扇。

・秋深し、隣りはなにをする人ぞ……。

・物言えば唇寒し秋の風。

・秋の陽は釣瓶落とし。

などなど、秋にまつわる言葉はそれなりにあるが、何とはなしに負のイメージがあるのはなぜだろう?

秋という季節が、夏のポジティブなイメージから、冬の寒さというネガティブ・イメージに向かうプロセスにあるからだろうか?

だが一方で、少し背筋が伸びるようなイメージもある。

秋は好きだ。

今年の秋は、意外にずるずると長いような気がする。

冬も長いような気がする。

どう身の縮むのをプラスに転換できるだろうか?

暑さのぶり返す日もあるだろうが、確実に秋という季節が見えてきている。

どうやら、このまま秋に突入するような気配。