普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その22>唄 序

2017-02-23 00:37:24 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和は「歌」の時代だったかもしれない。

「音楽」ではない、「歌」の時代。

あの時ボクは「演歌」を拒否した。ロックやらフォークやら「音楽」を志向したから、演歌は古臭く、情緒不安定な音楽のように感じた。

だが、今考えれば演歌も含め昭和の音楽は紛れもなく「歌」だった。

そして、今のバカバカしいほどのポジティブな音楽の、それこそ「真裏」にあるようなネガティブな「歌」が、限りなく聞かれた。

なぜか? 誰もが「哲学」してたんだよ!

今のように、何かを考えることなど拒否し倒すような感性が充満している時代とは、それこそ180度違う世界があったのだ。

はっきり言って今の「音楽」は、評論できない。なぜなら評論を拒否しているから。

評論を拒否するとはどう言う意味か?

すべてがプライベートの範疇に囲い込まれ、パブリックな視点が持てないということさ。

歌ってるのは「元気」だの「前向き」だのだけれど、広がりはない。

「15、16、17と、私の人生暗かった」と藤圭子が歌った「歌」には、奥深い人々の心の奥をつなぐ通奏低音があった。

昭和の「歌」を、いつかもっとしっかりと、研究しちゃるけんのぅ!

東京「昭和な」百物語〈その21〉文化なんちゃら

2017-02-21 01:02:46 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和の「文化」を、考察。

洒落でもなんでもなく、「文化」と名の着くモノが結構あった。

例えば、住宅。文化住宅って、どんな住宅なのか? ま、有り体に言えば二戸一。
昭和30~40年代にあちこちで建てられた。関西方面に多かったかもしれない。小ぶりな長屋とでも言えそうな建物で、壁一枚で二世帯が隔てられわさわさと暮らしていた。住んでいる間は良いのだが、やがて改築だという話になるとはなはだ厄介な代物になってしまった。おいそれと好きに改築もできず、あちこちで紛争の種にもなった。阪神淡路大震災後の厄介の種にもなっていたようだった。

文化包丁と言うものもあった。日本で包丁と言えば、様々な用途によって使い分けられる道具であり、その用途に沿った形状をしている。それを、一本の包丁で済ましてしまおうという、戦後の西洋合理主義的要請にきっちりと応えた包丁だ。



菜っ葉も切れれば肉だって、魚だって切れるという一見優れもの。使い慣れればそれで済むのだが、こだわり派は首をかしげながら、ぶつぶつ言いながらも結構便利で使っていた。
ひょっとすると、そんな名称は忘れ去られ、どこの家庭でも今まさに使われている形状の包丁こそ、文化包丁だったりするかもしれない。

文化釜というものもあった。厚手のアルマイト製(アルミニウム合金)で鉄製の羽釜にとって代わった。それというのも、かまどからガスコンロに熱源が変わり、この文化釜は便利なことにガスに対応できるように作られたものだったのだ。
実はいまでも売られている。結構なファンもいるようだが、電気釜の普及で一気に過去の道具になってしまった。

なにやら「文化」と名がつけば、物が売れたという時代だったのだ。昭和のハイソの代名詞が「文化」だったかもしれない。

なにしろ、「文化」といって最も良さげなものは、文化勲章だ。これは戦前に誕生した代物だが昭和の産物だ。勲章をもらって喜ぶという精神構造がよく理解できないのだが、日本の文化人にとって最高の栄誉であることは確かなようだ。

2011年のちょうど今頃、こんな記事を書いていた

2017-02-17 01:48:41 | まあまあ社会<的>な
超高齢化社会でなにが起きるか?
2011-02-20

 久しぶりです。
 10日間もブログのためにPCの前に座ることができませんでした。
 アラブ世界だけでなく、中国にまでSNS革命とでも言えそうな新しい革命の波が押し寄せているようですね。
 それにしても、なぜ日本ではまったくそうした動きが起きないのでしょうか? 正直なところ、日本は「心身ともに」病んでいるような気がしてなりません。元気の出しようがないという気がします。その理由のひとつは、高齢者の処遇にあります。
 多くの学者や社会活動家が、日本の行く末を解き明かそうと発言しています。超高齢化社会は眼前にまで迫ってきています。
 超高齢化社会ではなにが起きるのでしょうか? 若者が一人で何人もの高齢者の社会保障を支えなければいけなくなるなどということは、そう大した問題ではないと僕は思います。そんなものは社会保障の制度を変えれば済むことですから。
 問題は、高齢者は働き手ではない、社会を構成する要素から外れているといういまのままの考え方でいけば、まったく高齢者は社会構成要素から外れたままになり、二度と社会の構成員として浮かび上がる事がなくなるということです。60歳を過ぎた途端に、まったく就職先がなくなるなどという歪みは、あってはならないことでしょう。高齢者の社会参加意識を鋭利な刃物で削ぎ取っているようなものです。
 なぜ高齢者を中心に据えた社会という考え方ができないのでしょうか? このままでいけば高齢ではあるけれど、多くの有用な労働人口も優秀な頭脳も失われるままになるだけです。
 なにより高齢者の生理ということを考えると、おそらくあと何年もしないうちに、すべてのスピードがいまよりスローダウンするはずです。それを無視すれば、必要以上の軋轢が生じ、不慮の事故や事件が多発するようになるでしょう。そのことの方が、遥かに重大な問題だと、僕には思えます。

 社会というものは、流れの中で変化するものです。国民の意識や生理が国家そのもののありようすら変えていきます。冒頭に書いたSNS革命などもそのひとつの現れでしょう。
 日本人は、すでに何かを諦めてしまっているようにも思えます。そこから崩壊が始まります。日本という国体はすでに崩壊に向かっているようにも感じます。政治などすでに崩壊の初期段階に足を突っ込んでいます。もう後戻りはできそうもありません。経済も浮かび上がる端緒すらみつけられずにいます。そしてこれこそが最も恐ろしいことですが、拝金主義が日本中にいきわたり、思想も哲学も組み伏せられてしまい、息も絶え絶えだということです。
 今の日本が高齢者を脇に追いやる考え方の基本は、合理的という名のやはり拝金主義がベースにあります。
 どうか、政治に携わる皆さんは、高齢者を中心に据えた社会構造を模索してください。それが小さな政府を招こうが、経済の縮小につながろうが良いではありませんか。高齢者が大半を占める世の中を基本に考え、若者がその中で生き生きと活躍できる社会を模索する方が健全です。
 無理矢理に勢いのある若者中心の社会を構築する必要はありません。でなければ、日本は後10年ももたないのではないかと危惧します。

ちょっと、立ち寄りな感じで

2017-02-14 01:50:03 | 普通な人々<的>な
昨日の日曜日、72歳と70歳と68歳の高齢者トリオで酒を飲みました。

このメンツでは半年ぶりくらいの邂逅です。

話の内容は……まるで20歳代の青年のような、明日を見据えた話ばかり。

すごいなと思いました。

これが二人で会っていると弱気な話になるのですが、三人寄ると明日の話になるわけです。

人間はどこまで行っても前を見て生きる生き物なのだと、つくづく感じました。

そして常に一歩でも前に進む限り、年齢は生きることにはまるで無関係であるということも自覚できるわけです。

とても良い一日でした。

ただ、三人でおよそワインを4本空けました。

帰りはグダグダでした。なにをしていたのかわかりませんが、普通なら1時間15分で帰るところを、2時間半もかかっていました。

よくぞご無事で、という感じです。

そうそう、前のこの原稿で「時間の経つのが遅い」と書きましたが、2月に入った途端、急激に早くなりました。2月に入ったばかりだと思っていたら、もう半ばです。

時間とはまったく不思議なものです。