普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

ノルウェイの女神=カリの歌うジャズ

2011-02-25 00:53:51 | 音楽にまつわる話<的>な
カリ・ブレムネス
謎めいた謎
OMCX-1001
2548円
95年11月10日発売
オーマガトキ

 昨年末は、村上春樹「ノルウェイの森」の映画化・上映の流れの中で、小説そのものの「原典」ともいえるビートルズの、『ラバー・ソウル』に収められた同名曲への若い世代の関心も高まった。
 ジョージ・ハリソンがおそらく英米のロック/ポップス史上初めてインドの民族楽器シタールを演奏し、その音色の豊かさ、美しさに誰もが耳を凝らし、目を瞠り、感嘆したのがこの曲だった。
 そしてビートルズと共に、映画「ノルウェイの森」で脚光を浴びているのが、まさに北欧・ノルウェイ。
 このノルウェイの音楽シーンは、あまり知られていないのだが(デスメタルの一大産地としては有名だそうですが……)、驚くほど豊穣で、一度耳にすると無視できなくなる。いつか紹介するつもりだが、ハルダンゲルヴァイオリン、ランゲレイクなどの民族楽器の音も特筆ものだ。
 ノルウェイの音楽で、ボクが最も聴いた女性ジャズ・シンガーのアルバムがある。カリ・ブレムネスの『謎めいた謎』(1994)というアルバム。演劇的で哲学的で、しかも独創的。なにより優れた音楽性に驚かされた。
 実はカリ・ブレムネスは、1995年に来日公演を行なっている。その時のステージ台本を頼まれて書いたのだが、もう一人、こちらは民族音楽系の歌を歌うアンネ・カリン・コーサとのジョイント・コンサートだった。まったく趣の違う2人を、どこで折り合いをつけて一つのステージにできるか、頭を悩ませた記憶がある。この時、毎日のように、その時点での最新作として『謎めいた謎』の輸入盤を聴いていたのだ。
 来日したカリ・ブレムネスと、何日間かリハーサルも含め一緒だった。
 長身の、北欧の運命の女神「ノルン」の次女・ヴェルザンディのようなオーラを放っていたのを思い出す(オーラを見たわけじゃないけどね、そんな雰囲気を醸し出していた)。クレバーでハッキリとした意志と強い心を持った女性だった。
 そのカリ・ブレムネスが、2010年12月3日に30周年記念の2枚組ベストアルバムを出した。87年のデビュー作『Mitt Ville Hjerte』から09年の『Ly』までの、オリジナル全13作からピックアップした33曲が収められた『Fantastisk Allerade』。
ただ、日本での発売はなく、オランダ発の輸入盤しかないようで、手に入れ難いかもしれない。
 以前の作品は日本盤が売られているモノもあるので、ここでは古い作品だが、ボクの好きな『謎めいた謎』を紹介する。こちらは手に入れやすいだろう。
 1994年の作品だが、いまでも決して古びない。ゾクゾクする作品だ。

【謎めいた謎 収録曲】
1. ベルリンの愛人
2. フィオラ
3. 謎めいた謎
4. あなたのクロゼットの中に
5. タンジェールのバーで
6. 汽車の歌
7. 光輝く橋
8. 女神たちのおしゃべり
9. 過ぎ去った人生
10. すべての愛らしいものには赤を

<J-CAST NEWS 2010.1.2[音盤見聞録]より再録>

15000PV!

2011-02-22 23:48:08 | 普通な人々<的>な
 ボクがブログから離れているうちに、15000PVを突破していました。
 皆さんに感謝です。
 どの程度のPV数が普通で、どの程度訪問してくださる方がいるのが普通なのか、正直なところわかりませんが、15000PVオーヴァー、7700人オーヴァーという数字は、ボクにとってはとてもあり難く、心強い数です。
 ありがとう御座います!
 しばらくの間は、出たり入ったりが続くと思いますが、今後とも気長にお付き合い下さい。

超高齢化社会でなにが起きるか?

2011-02-20 23:16:07 | まあまあ社会<的>な
 久しぶりです。
 10日間もブログのためにPCの前に座ることができませんでした。
 アラブ世界だけでなく、中国にまでSNS革命とでも言えそうな新しい革命の波が押し寄せているようですね。
 それにしても、なぜ日本ではまったくそうした動きが起きないのでしょうか? 正直なところ、日本は「心身ともに」病んでいるような気がしてなりません。元気の出しようがないという気がします。その理由のひとつは、高齢者の処遇にあります。
 多くの学者や社会活動家が、日本の行く末を解き明かそうと発言しています。超高齢化社会は眼前にまで迫ってきています。
 超高齢化社会ではなにが起きるのでしょうか? 若者が一人で何人もの高齢者の社会保障を支えなければいけなくなるなどということは、そう大した問題ではないと僕は思います。そんなものは社会保障の制度を変えれば済むことですから。
 問題は、高齢者は働き手ではない、社会を構成する要素から外れているといういまのままの考え方でいけば、まったく高齢者は社会構成要素から外れたままになり、二度と社会の構成員として浮かび上がる事がなくなるということです。60歳を過ぎた途端に、まったく就職先がなくなるなどという歪みは、あってはならないことでしょう。高齢者の社会参加意識を鋭利な刃物で削ぎ取っているようなものです。
 なぜ高齢者を中心に据えた社会という考え方ができないのでしょうか? このままでいけば高齢ではあるけれど、多くの有用な労働人口も優秀な頭脳も失われるままになるだけです。
 なにより高齢者の生理ということを考えると、おそらくあと何年もしないうちに、すべてのスピードがいまよりスローダウンするはずです。それを無視すれば、必要以上の軋轢が生じ、不慮の事故や事件が多発するようになるでしょう。そのことの方が、遥かに重大な問題だと、僕には思えます。
 社会というものは、流れの中で変化するものです。国民の意識や生理が国家そのもののありようすら変えていきます。冒頭に書いたSNS革命などもそのひとつの現れでしょう。
 日本人は、すでに何かを諦めてしまっているようにも思えます。そこから崩壊が始まります。日本という国体はすでに崩壊に向かっているようにも感じます。政治などすでに崩壊の初期段階に足を突っ込んでいます。もう後戻りはできそうもありません。経済も浮かび上がる端緒すらみつけられずにいます。そしてこれこそが最も恐ろしいことですが、拝金主義が日本中にいきわたり、思想も哲学も組み伏せられてしまい、息も絶え絶えだということです。
 今の日本が高齢者を脇に追いやる考え方の基本は、合理的という名のやはり拝金主義がベースにあります。
 どうか、政治に携わる皆さんは、高齢者を中心に据えた社会構造を模索してください。それが小さな政府を招こうが、経済の縮小につながろうが良いではありませんか。高齢者が大半を占める世の中を基本に考え、若者がその中で生き生きと活躍できる社会を模索する方が健全です。
 無理矢理に勢いのある若者中心の社会を構築する必要はありません。でなければ、日本は後10年ももたないのではないかと危惧します。

岐路

2011-02-10 14:38:20 | 普通な人々<的>な
 人生とは不思議なものです。
 
 思いもよらぬ方向へと舵取りせざるを得なくなることもあるものです。
 
 しばらく新しい記事を書けなくなりそうです。
 
 楽しみにしてくださっている皆様、申し訳ありません。
 
 暫しの時間と猶予をください。

 できるだけ早い復帰を目指します。

父・加藤千代三のこと 〈4〉

2011-02-06 14:58:42 | 父・加藤千代三の短歌
 本当なら前回書くはずだったのだが、父・加藤千代三の生まれた家について書いておこう。
 加藤の家は名字帯刀を許され、僧籍を輩出した家柄と書いた。聞こえはいいが、千代三が誕生した当時の当主・金五郎は、わずかな田畑も持たない小作農だった。
 金五郎は千代三に常日頃こう語っていたという。
「百姓になるな。貧しくとも、わが家の古く正しいすぐれた家柄を語って、その誇りを忘れるな」
 これは、心のそこまで負け犬になるなという自戒でもあっただろうが、どれほど血筋や家柄を誇ってみたところで、日々の生活は楽になりはしなかった。
 金五郎のわずか二代前には、加藤は小作ではなく名主だった。だが時の当主が放蕩の道楽者だったという。四人の妾を東西南北に配し、己の土地を踏み外すことなく、馬車で通えたという。
 そのことを記憶していた千代三の父親・金五郎が「百姓になるな」といったのも頷ける。とはいえ、プライドを抱えた小作農というのも珍しい。
 だが千代三にとって百姓になる他はない。そういう時代であった。

父・加藤千代三のこと 〈3〉 孤高の姿

2011-02-03 22:10:30 | 父・加藤千代三の短歌
 加藤千代三を描こうとする時、彼のどの部分に光を当て、どの部分を影として描けばいいのか、迷う。
 彼の生涯は、真実のものであったが、決して世俗の成功を収めたものではない。お金という物差しが計る今の日本の価値観から判断すれば、むしろ敗者かもしれない。そういう意味では、彼の生涯は、暗く荒んだもののように思われる。確かに最晩年の加藤千代三は、苦悶していた。己の貧しさを嘆くこともあった。
 だがその一方で、彼は常に世の中を見ていた。『僕は十年先を見る』、よくそう言っていた。そしてその作業は、死の間際まで続いた。
 何のために、十年先を見ようとしなければならないのか? 問題はそこにある。
 加藤千代三は、晩年に至っても、十年先が今よりより良い社会でなければならない、真剣に、本気でそう思っていた。そのために何ができるかを、半身不随の体を何とか立ち直らせようと必死にもがきながら、毎日模索し、ペンを取ることで行動しようとしていた、ペンを動かない右手から不自由な左手に持ち替えて。
 それはまさに孤高の人の姿だった。

ちょっと怖い話〈12〉 畳の凹み

2011-02-02 10:18:58 | 超常現象<的>な
 20歳で家を出て、一つ年下の高校の後輩だった女性と同棲した。阿佐ヶ谷のボロアパートだった。1970年のことだ。
 そのボロアパートに引っ越したその夜、案の定金縛りにあった。
 4畳半と6畳のニ間あるにもかかわらず、トイレは共同という二階建てのアパートで、もちろん風呂はない。部屋の入り口には立てつけの悪い扉があるばかりで、鍵もフック式でまともなものではなかった。それでも新婚気分で楽しかったし、芝居に打ち込める環境が整った気がして、ここから未来が開けていくとも思った。
 引っ越したばかりで、荷解きもしていない状態のまま荷物を端に寄せ、入り口に面した4畳半ではなく、奥の6畳間に布団を敷いて、さあ寝ようと電気を消した。
 彼女と並んで手が触れるか触れない程度の間を空けて寝ていた。しばらくすると、背筋に悪寒が走った。次の瞬間金縛りにあった。
 それはそれまでに経験したこともない激烈な金縛りだった。声は出せない。指すらぴクリとも動かせなかった。
 すると、フック式とはいえ鍵をかけたハズの部屋の扉が開いた音がした。そしてミシミシと畳がきしむような音が聞こえてくる。足音?
 身体は動かないが、目は動く。音のする方を見ると、ちょうど人が歩くように畳が凹み、徐々に近づいてくるではないか。それがなにを意味するのか、頭はパニックで何の判断もつかないが、見えない相当の重量のものが近づいてきているのは確かだった。
 脂汗が流れる。するとその畳の凹みはボクらの寝ていた布団を迂回し、ボクの頭の上でしばらく停止したが、やがて窓の方へと移動し抜けていった。
 次の瞬間「あがッ」と大声が出た。金縛りが解けた。
 あわてて起き上がり電灯をつけた。彼女は「どうしたの?」と訊ねたが、ボクは息が上がった状態で、ぜいぜいと荒い呼吸をしていた。そのボクの様子を見て、尋常ではないと思ったのか、彼女は立ち上がりボクを抱きしめた。
 それで少し落ち着いた。部屋の扉はキチンと閉まったままだった。そして部屋の様子になにも変ったことはなかった。ただ一つ。
 翌朝気がついたのだが、一番窓際に畳の凹みがひとつだけ残っていた。元々あったものかもしれないが、それは夕べ目にした畳の凹みが移動した、確かに最後の場所だった。
 このことがあって、ボクは夜電気をつけたまま寝るようになった。しばらくは一人でトイレにも行けなかった。できれば寝たくなかった。
 僕が夜型人間になったのは、実のところこの体験が理由だったのだ。
 この部屋には、それから1年間住んでいた。毎晩誰かが遊びに来ていた。ご近所には申し訳なかったが、そうでないと、怖くてならなかったのだ。