いま必死で音楽に関わる原稿を書いている。
詳細は出版社のある種「マル秘事項」でもあり書くわけにはいかないのだが、できあがれば相当面白い、というかこれまでになかった類の出版物になりそうだ。
その原稿を書くので、昔のことを思い出し思い出ししている。
考えてみれば、昔どこの町にもクラシック喫茶だとかジャズ喫茶だとか、ロック喫茶も、遡れば歌声喫茶などというものもあった。そのすべてに行っているわけだが、歌声喫茶以外は、なにかそれぞれの音楽ジャンルに相応しい客層というものがあった。
ロック喫茶は、もう絵に描いたようなヒッピーだったし、ジャズ喫茶は前髪をたらして目が悪くなりそうなシニカルな印象を与える連中が多かった。クラシック喫茶は、基本は良いところの坊ちゃん嬢ちゃんで、たまに何かを思いつめたような奴がいた。
なぜそんな喫茶店が流行ったのかといえば、皆金がなかった。だからレコードを聴くためのオーディオなぞ買えるはずもなかった。初任給2~3万円の時代に良いオーディオは20万円ほどもした。それにLP(音盤)1枚が3000円位はしたと思う。それこそ家で自分ひとりで音楽を楽しむなんて無理な相談だった。だから喫茶店の店主は、客を呼ぶために先行投資で良い機材を入れLPを仕入れた。ただ、LPを買うにしても結局のところ自分の好きな音楽の傾向性に引きずられるのはあたりまえで、店の店主は店で流す音楽のことは、誰よりも詳しくなければならなかった。
だからあちこちに名物店主がいた。
1960年代~70年代初頭までの話だ。
歌声喫茶は、それより少し遡り、ちょうど共産党の民主青年同盟(ボクも当時は民コロさ!中学生だったが)が元気だった時代で、もうそんなタイプの連中が店で元気に歌を歌っていた。コーラスの練習場のようなものだった。しかもかの共産中国で毛沢東がカリスマに祭り上げられていた文革前夜。さらにソ連ではスターリンが死に、集団指導体制の中で巨大な「北方の白熊」として、社会主義的一つの到達点にたどり着いた時でもあった。
歌声喫茶は雨後の筍のようにあちこちにできた。新宿にも何軒かあった記憶がある。
そこではお決まりのようにロシア民謡が歌われていた。あの総じて暗いロシア民謡は、共産主義的なるものの一つの表象だったのかもしれない。
文化は時代時代で異なる様相を見せるのだが、それはあくまでも枝葉であり、太い幹の部分は形を変えずにあり続けているようにも思う。
それは、なにかといえば、哲学であり宗教かな。一時は政治思想だというような時代もあったが…。
哲学にしても流行りはあるが、真理にアプローチしようとするという営為そのものが哲学であり、宗教という気がする。その部分が形を変えずに幹として残っているように思う。