普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

例の、UFO画像を

2016-11-28 18:38:41 | 超常現象<的>な
このブログで過去にアップしたモノも、併せて再録します。

これはUFOなどではないという意見もあろうかと思いますが、すべてボクが撮ったものなので、ボクとしてはUFOだと思いたい。なにせそういうの好きだから。

というわけで、上から2010年12月27日目撃のUFO


真ん中は2013年11月3日目撃のUFO
一番下が2016年11月22日目撃のUFO

11月22日は動画で撮っているのですが、データが重いのでキャプチャーした3枚を載せます。時系列は左から右です。電信柱の上の部分に合わせてあります。


以上です。

また、UFO

2016-11-24 01:07:04 | 超常現象<的>な
なぜかこの時期になると、UFOが現れます。

今回は11月22日の夕方。西北の空をゆっくりとした流れ星のように流れていきました。

今回はスマホで動画を撮りました。ただデータとして重いので、ここには載せません。

少し経ったら写真でもアップします。お好きな方はこうご期待。

ついでに、その時に前のものも掲載しておきます。

なぜかというと、どうも同じもののような気がして。

一応ご報告。

UFO?

2013-12-27 16:05:45 | 超常現象<的>な
25日の夕方、UFOを見たと報告したけれど、4コマほどのアニメにしたので、UPします。

以前に見たものと似ているけれど、形状が違う。以前のものは点に近い楕円型だったけれど、今回は線に近い。

一帯なんだろうね? と疑問を投げかけるしかないもんね。

とりあえず。

ちなみに、この移動はおよそ10秒間ほどでしょうか。


久しぶりの、UFO

2013-12-26 01:32:30 | 超常現象<的>な
25日の夕方16時25分頃、UFOらしきものがかなりの速度で、雲一つない晴れ渡った西の夕焼け空を切り裂いて飛んでいた。

2年前の11月にも同じ方向でUFOらしきものの飛行を写真に収めて、このブログにアップしたが、今回も写真に収めたので、あらためて明日にでもUPする。

今回は富士山がきれいに映りこんでいるので、かすかな光の軌道だが、それなりにわかりやすい画像になっていると思う。

1枚目は富士山の右上に映り込んでいるが、それが徐々に左上に向かって移動する様子を、数枚の写真に収めている。

一昨年の時は、光の飛ぶ航跡は右上から左下だったが、今回は右下から左上。

光の形も以前は点だったが、今回は線に近い。

方角は以前とほぼ同じ。違うのは富士山が見えるか見えないかだけ。

ちなみに写真は、ぼくの住むマンションの3階(ボクの居住階)から撮影したもの。それもボクの部屋のドアの前から。

ここでは1枚だけUPしておく。


あれはやっぱりUFO?

2011-10-13 20:40:59 | 超常現象<的>な
 ずっと気になっていることがある。

 9月の半ば頃、仕事の打合せで九段下へ出向いた。
 午後1時から一時間半ほどの打合せを終えて、靖国通りから一本共立寄りに入った裏通りを歩きながら、何気なくビルとビルとの間から覗ける空を見上げた。

 まだ暑さの残る午後で、ボクはうっすらとかいた汗をハンカチで拭っていたのだが、その手をハタと止め、歩みも止めてしまった。
 ボクが見上げたわずかなスペースの空を、銀色の茶筒、シリンダーのようなものが過ぎったのだ。
 翼、プロペラといった装飾などなにもなかった。
 風船のように、当て所ない飛行ではなく、ハッキリとした飛行速度と方向性を持ったもののようだった。

 慌てて、靖国通りに走り出たのだが、向かいのビルに遮られて、その姿形をそれ以上追うことはできなかった。

 ハッキリ言えることは、飛べるはずのない形状のものが、確かに飛んでいたこと。
 こう言うしかないのだが、あれはなんだったのだろう?

 去年の今頃も、UFOを見た。写真にも撮ってブログにも載せた。

 この感じでいくと、来年の夏頃にまた見ることになりそうな気配だ。

トイレの電気が突然……!?

2011-08-16 23:01:53 | 超常現象<的>な
 久しぶりに、「おぉ!? 怖ゎっ!」シリーズ。
 
 あれは今から、ちょうど1ヶ月前の7月の半ば、16日のことだった。
 とある印刷会社の東京近郊にある印刷工場に行った。
 その日は土曜日で、出社する社員も少なく、いつもは大勢いるアルバイトやパートの社員も少なかった。広大な敷地の印刷工場はひっそりとして、いっそ薄気味悪いほどだった。

 例年ならまだ梅雨のまっただ中で、鬱陶しい時節のはずなのだが、すでに真夏の暑さだったが、アーケードの続く日陰のストックエリアは誰もおらず、いつもは走り回るフォークリフトも鳴りを潜め、印刷工場の佇まいの静かさだけが異様な雰囲気を醸し出していた。
 それにも増して、狭い廊下で繋がる印刷棟、校正棟などは数人の人間が巨大な建物のほんの一角で仕事をしているような塩梅で、まことに寂しい限りだった。
 
 僕は3階で校正の仕事をしていた。その場には10人ほどの校正マンが詰めていたが、部屋は校正のためにあるにも関わらず、天井の蛍光灯は、半分が抜き取られていた。節電だそうだ。こういうところは正直、まったく理解はできない。ケースバイケースで臨機応変にできないものかとも思うが、そうもいかないなにか理由があるのだろう。
 
 何時間か経って、トイレに行きたくなった。だがトイレは、ほとんど電気も点いていない廊下を2階まで降り、薄暗い廊下を100mほど行った、建物の端にあった。
 空調も入っていない蒸し暑い廊下を進み、廊下よりさらに暗い階段を下り、さらに続く薄暗い廊下を歩き、ようやくトイレのある場所に着いたが、見事に真っ暗だった。
 
 トイレの扉を開けると、一本の蛍光灯に照らし出された、だだっ広いタイル張りのトイレがそこに広がっていた。「ここも省エネかい」と思った。なぜか窓のあるはずの部分に無造作にベニヤ板が張られて、パタパタと音を立てている。どうにも言いようのない、重苦しく暑い空気が漂っている。
 
 それでも仕方がない、サッサと用をたそうと3つ並んでいる「朝顔」の真ん中の前で一物を取り出し、いままさに用を足すという瞬間、「パキン」と音がして、真っ暗になった。蛍光灯がなぜか破裂した。
 
 出るはずのものも止まってしまった。そのまま、真っ暗な中を扉のあったはずの方向に走り、扉を開けた。と、何かがぶつかってきた。
「フゲーッ」と声にならない声を上げてしまった。

 向うも驚いたろう、トイレのネクストユーザーだったに違いない。だが、中も外も真っ暗だ。
 お互いに、顔もわからない。こちらは怖さのあまり、ただその場から離れたく、脱兎の如く逃げ去ろうとする。
 おそらくのネクストユーザーはわけもわからず、「フニャ」と言った声を出し、その場に腰から崩れ落ちた。
 僕はひたすら逃げた。気がつくと、ズボンの前は開け放しだった。慌てて前を締め、校正室に戻った。もちろんなにごともなかったように。

 部屋の中はクーラーが多少は効いて涼しかった。
 だが、クーラーのまったく効いていない廊下を全力で走り階段を駆け上がったのに、僕は汗のひとつもかいていなかった。
 ずっと、ゾッとしっ放しだったから。
 あの工場へは、二度と行きたくないと、思っている。

ちょっと怖い話〈12〉 畳の凹み

2011-02-02 10:18:58 | 超常現象<的>な
 20歳で家を出て、一つ年下の高校の後輩だった女性と同棲した。阿佐ヶ谷のボロアパートだった。1970年のことだ。
 そのボロアパートに引っ越したその夜、案の定金縛りにあった。
 4畳半と6畳のニ間あるにもかかわらず、トイレは共同という二階建てのアパートで、もちろん風呂はない。部屋の入り口には立てつけの悪い扉があるばかりで、鍵もフック式でまともなものではなかった。それでも新婚気分で楽しかったし、芝居に打ち込める環境が整った気がして、ここから未来が開けていくとも思った。
 引っ越したばかりで、荷解きもしていない状態のまま荷物を端に寄せ、入り口に面した4畳半ではなく、奥の6畳間に布団を敷いて、さあ寝ようと電気を消した。
 彼女と並んで手が触れるか触れない程度の間を空けて寝ていた。しばらくすると、背筋に悪寒が走った。次の瞬間金縛りにあった。
 それはそれまでに経験したこともない激烈な金縛りだった。声は出せない。指すらぴクリとも動かせなかった。
 すると、フック式とはいえ鍵をかけたハズの部屋の扉が開いた音がした。そしてミシミシと畳がきしむような音が聞こえてくる。足音?
 身体は動かないが、目は動く。音のする方を見ると、ちょうど人が歩くように畳が凹み、徐々に近づいてくるではないか。それがなにを意味するのか、頭はパニックで何の判断もつかないが、見えない相当の重量のものが近づいてきているのは確かだった。
 脂汗が流れる。するとその畳の凹みはボクらの寝ていた布団を迂回し、ボクの頭の上でしばらく停止したが、やがて窓の方へと移動し抜けていった。
 次の瞬間「あがッ」と大声が出た。金縛りが解けた。
 あわてて起き上がり電灯をつけた。彼女は「どうしたの?」と訊ねたが、ボクは息が上がった状態で、ぜいぜいと荒い呼吸をしていた。そのボクの様子を見て、尋常ではないと思ったのか、彼女は立ち上がりボクを抱きしめた。
 それで少し落ち着いた。部屋の扉はキチンと閉まったままだった。そして部屋の様子になにも変ったことはなかった。ただ一つ。
 翌朝気がついたのだが、一番窓際に畳の凹みがひとつだけ残っていた。元々あったものかもしれないが、それは夕べ目にした畳の凹みが移動した、確かに最後の場所だった。
 このことがあって、ボクは夜電気をつけたまま寝るようになった。しばらくは一人でトイレにも行けなかった。できれば寝たくなかった。
 僕が夜型人間になったのは、実のところこの体験が理由だったのだ。
 この部屋には、それから1年間住んでいた。毎晩誰かが遊びに来ていた。ご近所には申し訳なかったが、そうでないと、怖くてならなかったのだ。 

ちょっと怖い話〈11〉 心霊写真?

2011-01-24 23:38:35 | 超常現象<的>な
 ボクがはじめて出版に関わる仕事をしたのは、主婦と生活社のムック「船の旅」を制作することだった。まだ編集の何たるかなど知らないにもかかわらず、概ね一人で、およそ180ページほどの本を1年がかりで作った。
 その時、船旅の写真をまとめてあるフォトエージェント(当時はまだそれほど多くなかった内の一社)から借りることになっていて、ボクは足繁くその事務所に出向き、風景写真をそれこそトータルで2万枚以上も見ただろうか。
 そうした作業の間に、何度も背筋がゾクッとするような感覚を憶えた。
 というのも、いまでは心霊写真などといっても「ああ、あれか」程度の受け取られ方だが、当時はそうした写真の存在はそれなりに認知はされていたが、一部好事家や研究者のものであり、一般の人間が眼にするものではなかった。その心霊写真らしきものがあったのだ。
 それがそのフォトエージェントの作品の中に、以外に高い頻度で存在したのだ。
 一番多かったのは、沖縄の写真だった。健児の塔や姫百合の塔周辺の写真に多かった。学生服を着た青年が写り込んでいたり、木の枝の間から覗く少女の顔もあった。
 結局、30枚以上の俗に言う心霊写真とお目にかかった記憶がある。
 それはほぼ日本全国に散らばっていて、当時の東尋坊といった自殺の名所(船旅の本なので、海に近い観光地なども紹介する頻度が高かった)写真も掲載するわけで、ボクはできるだけ、そうした写真を避けて写真をセレクトしたものだ。
 写真に写りこんだものを地縛霊だの、怨念などという。
 見つけた瞬間は確かにボクも背筋がゾクッとはしたけれど、たくさん見ているうちに、なにか日本という国土には、霊的な地場があるのではないかと思うようになった。
 なにか霊的なものの溜まり場のようなところがあるのではないか。
 最近パワースポットがブームらしいが、あながち無関係ではなさそうな気もする。
 なにかボクがそのフォトエージェントでみた霊らしきものたちは、概ねそこにあるがままにいるというか、そこにしがみついているという印象はなかった。
 別に行き場所がないから、そこに居るというような印象。一番近い印象としては宮崎駿監督の「もののけ姫」に出てくる「コダマ」だろうか。
 なにか八百万の神々を見るような印象でもあった。
 

ちょっと怖い話⑩ スキー場にて

2011-01-08 22:38:25 | 超常現象<的>な

 ある冬の1日。新潟のスキー場にいた。
 夕方、しこたま地のどぶろくを飲んだ。気が大きくなったのか、宿泊した旅館のベランダの手すりを乗り越えて、なんとなくぶら下がった。3階の部屋だった。
 下は白銀の世界とはいえ、どの程度の積雪があり、部屋の下に何があるかは分からない。ぶら下がっているうちに急に恐怖感が湧いてきた。このまま落ちたらどうなるのか? ひとつには雪がクッションになって大したこともなく笑い話で済む。ひとつには下になにか致命的な、例えば刃をもった道具があって、肉体的な損傷を受ける。とりあえず、想像以上のことは起きない。
 まあ、いくつかの可能性があったけれど、ボクとしては、落ちずにベランダに這い上がることを選択した。ところが、壁に足を掛けようとするが、ツルツル滑る。壁の材質がツルツルだった。腕力もそれほど長くは続かない。腹筋が弱っていたのか、べらんだの金具に足をかけることもできない。
 もがけばもがくほど、ドツボにはまっていく。
 そのうち、彼女が、ボクの異変に気付いたのか、上から覗き込む。ボクは、「たすけてくれ」と懇願する。ようやく異変に気付き、一緒にいた友人が手を差し伸べてくれた。
 その瞬間である。ボクの腕を握っていた友人が「アッ!?」と声をあげて、手の力を緩めた。だがすぐに友人はボクの置かれた立場を重々に理解していて、落ちる寸前にもう一度ボクの腕を握りなおし、引っ張り上げてくれた。
 なぜ手を離したのか? 後から友人に聞いた。
 すると彼はこう言った。
「離したほうが良いと、誰かが言った」
 ……離さないでいてくれてありがとう!! きっと離されたらボクは大怪我を負っていただろう。それは分かる。だが、誰が友人に「離せ」といったのか?
 それは今でも分からない。
 

ちょっと怖い話⑨ あるアパートで

2010-12-14 13:48:52 | 超常現象<的>な
 これは自分のアパートの話ではなく、25歳当時仲の良かった友人が引っ越そうと見つけたアパートの話。

 若い頃、杉並区に住んでいた。実家が荻窪だったこともあり、阿佐ヶ谷、荻窪周辺にアパートを借りて住んでいた時期が結構あった。

 友人が、「どうせ一緒に遊ぶんだし、出来ることなら杉並で、お前のアパートに近いところで借りる」とアパートを見つけてきた。杉並区の清水の方だった。

 ところが一度下見に行った友人が「一緒に行って下見してくれ」という。なにがどうということもないのだが、なにか違和感があるのだという。

 そのアパートは、昭和30年代に建てられた古いタイプで、廊下の両側にまるでハモニカのように部屋が並んでいた。共同炊事場、共同便所、風呂なしという、まあ安い一般的なモルタル2階建てのアパート。部屋数は上下で16室。

 そこの2階の端の部屋を借りようとしていたのだが、ボクは友人とそのアパートの入り口までいって、即座に契約するなと言った。

 周囲は住宅街で、アパートは木に囲まれ、一見静謐としたいい環境の中にあった。

 だが、入り口を見るなり友人が感じた違和感の正体が分った。

 不動産屋の言うには住人の大多数は「学生さん」だそうで、一緒に行ったときも、入り口には10足ほどの靴があり、明らかに、少なくとも10人は人がいるはずなのだが、あまりにも静かなのだ。人がいることで感じる空気の揺らぎのようなものがまったくない。

 背中がゾクゾクした。なによりボクが違和感を感じたのは、脱がれた靴だった。10足ほどの靴が、きれいに並んでいるのだ。軍隊でもこうはいかないというぐらい、きれいに並んでいるのだ。大家でも近くにいるのかと思ったが、そうではないらしい。

 ただキレイ好きの住人がいるだけかもしれないが、この生活感の無さと、靴の並びは異常だ。それでボクは「止めろ」と言った。
 少なくとも、友人を訪ねてこのアパートに遊びに来たくはなかったから。

11月3日のUFO?画像を、6枚アニメ化してみました<2>

2010-12-10 12:34:29 | 超常現象<的>な
 昨日アップしたUFOのアニメ化画像は、ゆれが激しいと言う意見もあり、見やすく作り直しました。
 改めて11月3日のUFO?写真画像をアニメ化したものをUPします。昨日のものは削除します。

「11月3日に、これってUFOか?と写真を3枚載せてみましたが、その時撮った6枚の写真をアニメ化してみましたので、公開します。
 ほんと、なんだと思います? マンションの階段を上っている時に、西の空に光る点があって、なにか動いているような気がしたので家からカメラを持ち出し撮影しました。この後、下の雲に隠れるわけですが、この6枚の写真を撮影した時間は、ほんの15秒程度です。
 ちなみに空気が澄んでいる日は、この光点の場所に富士山が見えます。」

[アニメ作成には、GIFアニメ工房さん(http://www.animegif.net/)のGIFアニメ作成ソフトを使わせてもらいました。感謝]

11月3日のUFO?画像を、6枚アニメ化してみました

2010-12-09 14:57:36 | 超常現象<的>な
 11月3日に、これってUFOか?と写真を3枚載せてみましたが、その時撮った6枚の写真をアニメ化してみましたので、公開します。
 ほんと、なんだと思います? マンションの階段を上っている時に、西の空に光る点があって、なにか動いているような気がしたので家からカメラを持ち出し撮影しました。この後、下の雲に隠れるわけですが、この6枚の写真を撮影した時間は、ほんの15秒程度です。
 ちなみに空気が澄んでいる日は、この光点の場所に富士山が見えます。

記憶

2010-11-25 23:41:09 | 超常現象<的>な
 60歳を越えたが、不思議で仕方ないことがある。それは、記憶。
 皆さんは、幾つくらいの時からの記憶があるのだろう? 是非コメントにして教えて欲しいのだが、僕はおそらく生まれた瞬間からの記憶がある。その有様は次のようなものだ。
 父が島根新聞の編集局長だったこともあって、以前にも書いた松江の城を囲む堀端の、島根新聞の社宅のような一軒家でボクは生まれた。
 それは夏の夕方だった。空はオレンジ色だった。ボクは縁側にいる。盥があり、ボクはその中に入れられる。暖かい感触。それが産湯だった。
 その前、ボクは母の腹から出ようともがいていたが、出られない。足がうまく外に出てくれないのだ。逆子だった。
 ボクは病院ではなく、自宅で産まれた。産婆も間に合わず、母は半ば立ったまま自然分娩で逆子のボクを産んだ、とかなり大きくなって聞かされた。
 ボクの記憶の中で、瓦礫の山に乗り上げる戦車の写真というのがある。それは1950年6月に勃発した「朝鮮動乱」を報ずる写真だと、かなり大人になって父に教えてもらった。それまで、なんの写真かまったく不明だったのだが、胸の痞えが降りた。生後11ヶ月の記憶。
 ボクは4歳で松江から家族で上京した。だから松江の記憶は4歳までのものだが、その記憶を書けといわれれば、優に原稿用紙100枚は書けるだろう。
 真剣に。皆さんの記憶を教えて欲しい。

ちょっと怖い話⑧ 忌むべきモノ・鼠

2010-11-25 23:34:54 | 超常現象<的>な
 松江で、幼い頃の僕と父の遭遇した〝事件〟だ。
 ある日、台所の上がり框で、ボーと僕は立っていた。まだ二歳位だったと思う。おそらく母が夕飯の支度をしているのを見ていたのだろう。そのうち、母が竈の辺りを覗き込むようにしていたかと思うと、急にキャッと叫んで尻餅をついた。その時、母の着物の袖の下辺りから、直径十五㎝くらいの黒い影が物凄い勢いで僕めがけて飛んできた。その影が、ツンツルテンの着物の裾から一気に僕の体を駆け上り、兵児帯を締めているのに着物の中で駆け回り始めたのだ。
 母の声に驚いて、父が「どうした?」と台所に駆け込んできた。
 母は、腰を抜かしたまま僕のほうを指差して「アワアワ」言っている。
 父は僕が泣きもせず立っているのを不審そうに見ていたが、着物のあちこちが膨らんだりするのを見咎め、慌てて僕の着物の懐に手を突っ込んだ。
 おそらくその辺りが動いたのだろう。そして、袖口からも左手を突っ込んだ。その時、父もギャッと叫んだ。父の動きが止まり、袖口から突っ込んだ手を静かに引き抜いた。その中指に、体長十五㎝はあるだろう大きな溝鼠が喰らいついていた。ブランと父の中指にぶら下がった溝鼠の体を伝って、血がぼたぼたと三和土にたれた。
 父の中指は、あと少しで食いちぎられるほどの重症だった。その指のまま、父は鼠を三和土に叩きつけて殺した。
 絶命した溝鼠を、僕はじっと見ていた。母は父の指の治療をするために、薬箱を取りに奥へ走った。父は三和土にしゃがみこみ、左手首を押さえながら止血し、痛みをこらえていた。
 溝鼠が、一瞬首をもたげ、僕をにらみつけた。
 その瞬間に、僕は大声で泣き出した。一連の騒動は、何がなんだかわからなかったのもあって、どうということもなかったのだが、そのときの溝鼠の目が怖かったのだ。
 それ以来、鼠も僕の忌むべきもののひとつになった。

ちょっと怖い話⑦ 逢魔ヶ辻か?

2010-11-19 09:44:44 | 超常現象<的>な
 三十路に手のかかる頃、杉並区荻窪に住んでいた。JR荻窪駅(当時は国鉄だった)の南口から三分ほどのマンションの二階で一人暮らしをしていた。ただ、マンションの隣りの部屋が空き、結婚を約束したばかりの今の妻が引っ越してきていたから、一人暮らしとはいえ、壁を隔てた同棲とでもいえたかもしれない。
 彼女の部屋は、僕の部屋で一緒に過ごすことが多かったこともあって、家具などほとんどなく、ガランとしていた。ソファとカラーボックスがいくつか置いてある程度。
 それでも時には、何もないから広々とした部屋で、二人でゴロゴロと過ごすこともあった。二人きりで好きなレコードを(CDではない)ポータブルプレーヤーで聴いたり、本を読んだりしていた。
 そんなある日、彼女の部屋でその当時飼っていたマルチーズのココと、三人でのんびり過ごしていた。のんびりしたいときに、生活感のない部屋でゴロゴロするのは何よりの贅沢と、その時は思っていた。
 いつの間にか夏場の少し汗ばむような、トロンとした夕闇が忍び寄ってきた。部屋の灯りを点けようとソファから立ち上がりかけると、突然ココがパッと跳ね起きた。そして、玄関ドアに向かってうなり声を上げるのだ。やがて何もない部屋の白い壁に向かって数歩進み、今度は尻尾を振り始めたのだ。そして小さくワンと吠える。それは何かを威嚇するような吠え方ではなく、むしろ親愛の情を感じさせた。
 だが僕は、部屋に得体の知れない空気が満ちてくるのが分かった。どうやら彼女も同様らしく、玄関から続く壁の、高さ一メートル辺りの部分を凝視している。
 僕には「得体の知れない空気」と感じられたものだったが、ココと彼女には別の「実体」が見えていたのだ。
「空気」は、動いている。なにか流れを感じる。玄関から何も置かれていない壁伝いにベランダにゆっくりと風のように抜けていく。僕はベランダのサッシが少し開いていることに気がつき、閉めようとベランダのほうに行きかけた。すると彼女が僕を制止する。
「今は動かないで」
 口元に指を当て「シッ」と言った。僕はサッシを開けるでもなく閉めるでもなく、そこに立ち尽くしていた。やがてココが尻尾を振りながらベランダ近くまで来ると、外に向かって「ワン」と鳴いた。彼女は「フウ」と大きく息をつきベランダに出てしばらく外を見ていたが、部屋に戻るとこんな事を言った。
「すごく奇妙な集団。ほとんどが動物なんだけれど中に子供が二人。二人とも裸でおよそ二十頭ほどの犬や牛や豚と、仲良さげに笑顔でゆっくりと玄関からベランダに抜けていったわ」
 抜けていったその集団は、二階からなんの矛盾も感じさせず地表に降り立ち、マンションの建つ一角から30mほど離れたところにある四ツ辻で、何かに吸い込まれるように消えていったと、彼女は言った。
 それが何なのかは、今もって分らない。ただ近くに生肉屋があったことだけが、なんとなくあの一団が現れた合理的な説明になりそうな気がしたが、それでも二人の子供の意味は不明だ。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>