普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

行く年、来る年

2017-12-31 02:49:58 | 普通な生活<的>な
2017年が、ゆきます。。

良い年でした。皆さんにとっては、いかがでしたか?

ボクにとっての今年の重大ニュース、特にありません。

この何もなさと言うのは、善き哉善き哉、と言う感じです。

一字に凝縮すれば、「境」でしょうか。

様々な事共の「変化の境目」の年だったという事でもありますし、なにか自分自身、境目を超えて新しい次元に飛び込んだような感覚もあります。

実は、師走に入り山崎貴監督の「DESTINY~鎌倉物語」を、奥さんと一緒に観てきました。

ボクたち夫婦は、映画は好きですが、それほど映画館に足を運ぼうという気にはならない夫婦で、一緒に観に行った映画は、片手で収まる程度です。

でもなぜかこの「鎌倉物語」はボクから誘って観に行くことにしましたが、奥さんも観たいと思っていたそうです。

妖怪と共にある鎌倉の日常という物語の荒唐無稽さに、まったく違和感を感じることもなく、また、ボクたち夫婦が送っている日常と少しも遜色がないことに驚きつつ、楽しく観終わり、にこにこと家路につきました。

この映画を観たことも、今年の一字が「境」になった遠因でしょうか。

小栗虫太郎に「人外魔境」という秘境探検小説がありますが、2017年に再読しました。それも「境」の一字を想起させる遠因であったでしょうか。

なににしても、今年も多くの皆さんにブログを通してコンタクトできたことを感謝しつつ、2018年を迎える準備を、したいと思います。

ありがとうございました。

新年のご挨拶は、改めて。

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2017年、初物尽くし

2017-12-19 22:17:31 | こんなことを考えた
長いこと生きてきて、「やりきれない」ことってたくさんありました。

「やりきれない」と言っても、マイナスイメージは持たないでください。「やってられない」と言うことではなくて、「終りまで全うできない」という意味です。

それは例えば、一つの消しゴムを最後の最後まで使い切ったことがない、と言う程度の軽い感じ。

そういう軽い感じの事でも、なかなかに「やりきれない」ことはあったわけです。

それらを踏まえてみるに、自分史上初のできごとだらけの1年だったわけです。

齢70を積み重ねても、できなかったこと。

●手帳を使い切ることがなかった
●消しゴムを使い切ることがなかった
●シャープペンシルの芯を使い切ることがなかった
●ボールペンを使い切ることがなかった
●目薬を使い切ることがなかった
●ノートを使い切ることがなかった
etc

これらのことは、本当に不思議なことに、いくら気にしながらいても全うすることができないことでした。

それが! なんということでしょう!! 世界が変わったかのように、書き出した6つの事すべてを、今年は「使い切った」のです。

これは正直、驚天動地の出来事でした。

さして努力することもなく、自然と「使い切った」わけですね。

それだけでも、なにかスカッとした1年でしたよ。

2018年は、もう少し「実のある」感じがあると良いですね。

皆さま、良い年を迎えてくださいね。
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500000PV Over!!

2017-12-11 23:55:21 | こんなことを考えた
気付いたら、PVが500000を超えていました。

ただただ皆さんに感謝です。

2010年の10月からはじめたこのブログです。10年も経たずにこの数に到達するとは思いもよりませんでした。

今日からまた、100万、目標である200万に向かって精進します。

再び、感謝、です。
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東京「昭和な」百物語<その32>カラクリ

2017-12-04 00:41:59 | 東京「昔むかしの」百物語
戦後。

太平洋戦争が終わり、進駐軍(GHQ)が日々日本人の生活のそこここに影を落としていたような時代。昭和20年代中頃。

それこそ陰謀と呼ばれるような事件が頻発した。例えば、国鉄(今のJR。昔主な鉄軌道は国の経営だった)三大ミステリー事件と呼ばれた無人列車の暴走・脱線事件「三鷹事件」(1949年7月15日)、国鉄総裁謀殺事件「下山事件」(1949年7月6日)、故意の列車脱線転覆事件「松川事件」(1949年8月17日)など。

ここで気づくのだ。例えばこの国鉄三大ミステリー事件が起きた日付は、ボクの誕生日(1949年7月12日)を挟んでいずれも一カ月前後で立て続けに起きている。

ま、それがどうしたという話だが……。

国鉄の三大ミステリー事件だが、当時の国鉄は労働組合天国だった。労組を領導する共産党の天国と言ってもいい。当時の共産党は武闘路線で党勢を拡大し、衆院で35議席を獲得するほどの勢いを持っていた。

要するに左派天国。三大ミステリー事件も左派勢力によるものとされた。

冒頭にも書いたが、当時は連合国軍占領下にあった。やがてGHQによる思想統制とでもいえるレッドパージへとつながっていくのだが、国鉄の人員整理をしやすくするために、GHQが事件を起こし国鉄労組や共産党に罪をなすりつけた事件ともいわれた。

これには、さまざまな意見もあるのだが、左派の仕業と考えるのが最も論理的だろう。GHQの陰謀とする意見もあるのだが、そんな小細工をする必要がないほどGHQの力は強大だった。

わざわざ左派勢力に罪を擦り付ける必要などない。現に、昭和28年にはレッドパージが始まり、左派勢力は壊滅的な打撃を受ける。こんなミステリアスな事件を起こす必然性がない。

逆に左派勢力の仕掛けたカラクリ、トリックだったかもしれない。武力革命を標榜していた当時の左派勢力が、自己顕示を目的に領導した事件と考える方が、素直に受け入れられる。

後々に、連合赤軍や日本赤軍が引き起こした、ハイジャックや数々の暴力事案のルーツになった事件と考える方が分かりやすい。

やがてボクも気づくことになるのだが、日教組などの左派勢力が画策した「左派勢力の主張、行動は歴史的にも社会的必然としても正しい」といったカラクリは、目の前で起きているが、あまりに近すぎて気が付かない。そんな時代だった。

これらの事件以外にも、帝銀事件など不可解な事件も起きている。昭和23年1月26日に帝銀椎名町支店で、男が赤痢の予防と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませ殺害し、現金16万円と小切手を奪った大量殺戮事件だ。この事件では、自称テンペラ画家(テンペラは画材の一つ)・平沢貞通が犯人とされたが、当初の自白を翻し無実を主張するも死刑が確定、しかし刑務所で95歳まで死刑の執行を受けることなく生き続け、老衰で死亡した。なぜ死刑の執行が行われなかったのかが、謎とも言われている。

不可解、深い闇、謎……こんな言葉が似あうのが昭和40年代までの日本だった。

もちろんボクにとってオンタイムでの出来事ではなかったが、それらの事件の影は昭和50年代半ばまでは続いた。つまりボクが30歳代になる頃まで。20歳代の半ばにジャーナリズムの世界に入ったボクにとっても、これらの事件はまだまだ色鮮やかな時代を彩るモチーフであり、これらの事件に関わる書籍などもよく読んだ。

昭和という時代はアナログの時代であり、始まりがあれば終わりがあるという時間の流れ、空間の制限があった。事件は解決しなければならないものであり、解決のためには必要な時間をかけたのだ。

結局未解決ではあったのだが、そうした事件を記憶しておくべき事象(当事者の存在、マスコミの継続報道)は、平成になるとなぜか掻き消えた。

そして、そうした事件があったことすら人口に膾炙することもなくなった。

小難しい話は、これくらいにしておこうかな。

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1ヵ月のご無沙汰で。

2017-12-01 00:17:29 | 普通な生活<的>な
トランプ大統領の来日以降、まるで、この約1カ月の間、何もしていなかったような事になっています。

ブログを書くというルーティンが、ボクの中でちょっと崩れていました。

たったそれだけの事なんですが、まるでボクはこの世から、暇に任せて並行世界ににでも行っていたような感じになっているわけです。

実際のところそんなことは全然なくて、2週間前の土曜日には、若い頃に一緒にお芝居をしていて、今では踊りの家元になっているナベちゃんが、国立小劇場で開いた踊りの会を観賞しに行って来ましたし、そこで同じ仲間だったフー子や志村さんと会って話もしました。

また先週の日曜日には、奥さんと久方ぶりに横浜へ出かけてスーパー銭湯に入ってきました。

こう書くと、なにかどうということもないことなのですが、踊りの会は都合7時間半の長丁場で、日本の古典芸能と、そこから派生した今様の芸能をすっかり堪能できました。

また、スーパー銭湯の方は入場制限があるほどの混みようで、30分も並んでいました。ボクも奥さんも「並ぶ」という行為が殊の外苦手で、やむを得ずディズニーランドのアトラクションに並ぶくらいしかしたことがなかったのですが、どうした弾みか、この時は苦もなく並んでいました。

思い返せば、ひょっとすると、本当に並行世界に行っていたのかもしれません。

他にも書くことは数多あったのですが、どうしたことか「ブログを書く」という行為自体に思いが至りませんでした。

すっかりこっちに帰ってきたようですので、またブログを書かせてもらいたいと思います。

とりあえず、今日はここまでということで。



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