普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その番外編>クラシックという喫茶店

2016-07-19 21:14:32 | 東京「昔むかしの」百物語
 その昔、中野に「クラシック」という名曲喫茶があった。ブロードウェイに入る手前を左に入った左手にあった。
 1930年創業のその店は、そう、まるで絵に描いたような絵描きスタイルの、モダンな感じのオーナーが切り盛りしていた。当時既に相当のお歳だった。確かお名前は「美作」さんといった。おそらく岡山出身なのだろうと思っていたが、聞き損なった。
 古びた(アンティークと言った方が良いのだろうか?)椅子とテーブルが並んで、いかにも「クラシック」と言ったイメージ通りの内装だった。
 1970年代初頭は、メニューは紅茶とコーヒーと、ミルクだったかジュースだったか忘れたが、いずれにしても3品だけで、一品100円以下、80円くらいだったような覚えがある。なぜか食券と言うか、丸いプラスティックの札を渡されるのだが、それを手元においておくのはほんの数分で、何のための儀式なのか不思議に思い続けていた。
 そして、その100円ほどのコーヒーか紅茶かミルクを後生大事にチビチビとすすりながら、本を読んだり原稿を書いたり、客の大半は、短くともおよそ半日はそこで過ごした。紅茶は独特で、行平の鍋で茶葉を煮立てて出したもの。だから渋いほどに濃い紅茶だった。それでもなぜか紅茶を頼む人が多かった。
 いまにもくずれそうな階段で二階に上がり、一階を見下ろすことのできる端っこの席に座るのが常だった。ただその席は、寄りかかるとグラリと下に落ちそうなほど不安定な手摺で、いつも緊張しながら座っていた。
 名前の通り、クラシックの名曲が一日中かかっていた。その店ではマーラーの「四季」を聴くのが好きだった。
 聞くところによると、「クラシック」は2005年まで続いていたらしい。不覚にも1990年代で終わったに違いないと、勝手に思い込んでいた。80年代90年代は一番仕事の忙しかった時期で、まったく行くことがなかった。だから、通い詰めた70年代前半までの「クラシック」しか知らない。
 だが、クラシックの名曲はほとんどここで聴いた。なぜかワグナーもよくリクエストした。モーツァルトやベートーベン、ショパンなどはほとんど聴かなかった。そういう時代だったのだ。店の雰囲気が、大仰な曲に良く合った。
 思えば、こうして思い出を書ける喫茶店があることなど、今の若い人には理解できるだろうか?
 なぜ、わざわざ喫茶店などに出向いて音楽を聴いたのか?
 昔はただただ貧しかったのだ。オーディオを買うお金などなかった。そんなものは社会的ステイタスを獲得した後に手に入れるものだった。高価だったから。その代わり、喫茶店などがオーディオ機材を揃え、レコードもかなりコレクションして、良い音で客に聴かせてくれた。
 昭和。音楽との接点は、ラジオと、そこにしかなかったのだ。

度を越したインターバル

2016-07-04 00:47:53 | 普通な生活<的>な
お久しぶりです。

最近は、本当に原稿のインターバルが開きます。

6月には、書きたいことは山ほどあったにもかかわらず、たった1日しか書いていません。

怠けているわけではないのですが、書けません。

なにか書くに至らない理由が、僕の肉体・精神の中に巣くっているようです。

端的に言うと、疲労感みたいなものなのかもしれません。

少しあれやこれやを試みて、再びせめて週1くらいの更新をしていきたいと思います。

その節は、またよろしくお願いします。

それは、明日のことかもしれません。それはそれでまた、よろしくお願いします。