普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

思うところもうじき10年

2020-02-10 12:01:42 | こんなことを考えた
政治的傾向の強い記事を、このブログで書いていた時期があった。
北朝鮮や、当時の民主党内閣への思いなどを書いたのだが、止めた。

だからといって、ボクが政治に興味を失ったということではない。むしろ逆だ。

いまの世の中は、誰も彼もが自由になんの躊躇も言葉の選択もなく意思を発信できる。それを自由と言い、民主主義だということに、ボクは抵抗を感じるのだ。

トランプのツイッターにしろ、日本の程度の低い政治家のツイッターにしろ、芸能人のインスタにしろ、節度のない発言に辟易するのだ。同じ土俵に乗ることに、大いに抵抗がある。

だから、そうした側面に対する発言を自分で封じた。

それが良いことなのか、はたまた悪い結果を招くのか、わからない。

それでもこのブログ、もうじき始めてから10年が経とうとしている。

様々な思いは置いておいて、おぉ⁉ ってなもんだ。

東京「昔むかしの」百物語(昭和編)<その59>麻雀

2020-02-08 01:53:48 | 東京「昔むかしの」百物語
麻雀は、普通の遊びだったが、ささやかな賭け事でもあった。

法に触れることではあったが、暗黙の了解でお金をかけ、よほどのことがない限り警察沙汰になることもなかった。一度のゲームで、多くて数万円、少なければ煙草一箱があちらへこちら行き来する程度のもので、家族内で、友人同士で、また同僚と、サラリーマンや学生、主婦などあらゆる社会生活者の手が届く、はたまた少しは小遣い稼ぎになる遊びだった。

どこの町にも、必ず雀荘というものがあった。そこには「プロ」の雀士がいたりもしたが、普通は仲間同士4人で連れだって、少しの悪徳を感じながら少しだけお金をかけて、妙なテンションで遊んでいた。

何時の頃から、廃れたのだろう。もはやどこの町にも雀荘など見当たらない。昭和の頃は本当にどこにでも雀荘はあった。

ほとんどの週刊誌や雑誌には、麻雀のページというものがあり、有名な雀士、強いと言われた著名人、作家(麻雀専門の小説家も存在した)などがフィーチャーされて、毎号麻雀の試合を再録するなど大いに盛り上がっていた。

ボクも麻雀は好きだった。役者仲間と徹夜で麻雀に興じることもしばしばだった。強い奴は強かった。カモになる奴はいつも決まっていたが、たまにバカ勝ちすることもあり、止められなかった。勝った奴のおごりでそのまま飲みに行ったりもした。僕は強くもなく弱くもなく、統べれば±トントンといった成績だった。

1970年代に雑誌の記者だった頃は、ほぼ毎日会社帰りに麻雀をうっていた(麻雀は“うつ”というのだ)。時にはそこに名人と呼ばれるような作家や、編集部の上司なども参加したが、麻雀の時だけはイーブンで、皆真剣そのものだった。編集部が新宿の歌舞伎町のはずれにあった時代は、それこそ毎日4人の面子を揃える算段が仕事終わりの“仕事”だった。

賭け事と言えば賭け事なのだが、ゲームとしても破格に面白いものだった。最近ではどこの家庭でも麻雀などやりはしないのだろうが、我が家は正月などに家族で遊ぶ。

もちろん賭けたりはしない。純粋にゲームとして遊んでいる。遊べば遊ぶだけ、おもしろさが分かってくる。ただし賭けないと、役作りに走り負けることに抵抗がなくなる。それは麻雀というものの性質からして、どうなのかなとも思う。やはり、勝ち負けにこだわってこそという気もする。

だからといって今の世の中、賭け麻雀は厳に禁止。