*この原稿は、J-CAST「音盤見聞録」で4月に掲載したものです。
冨田さんは、弘前大学の准教授でもあるけれど、非常に多彩な音楽的土壌をベースに活動されているアーティストでもある。その多彩さは、驚くほど豊穣であり、コスモポリティックな広がりを持っている
。今回はその一つの反映に過ぎないのだが、これがまた壮大な音世界と、それを支える緻密な労作業
という冨田さんならではのプロセスと結果。できれば音源を用意して聴いてもらえれば、もっとよくわかると思うのだが……。
冨田 晃
『月の光 ドビュッシー作品集/冨田 晃』
OMCA-1141
2200円
4月27日発売
オーマガトキ/コロムビア
冨田 晃という名前を聞いて「知っている」と思われた方は大勢いると思う。
例えば弘前大学の准教授として、例えば津軽三味線研究家として、例えばグラスハープの啓蒙家として、例えばスティール・パンの伝道士として、例えばジャズ・サックス・プレイヤーとして、例えば第1回ナショナル・ジオグラフィック・ジャパン・フォトコンテスト大賞受賞者として……意外にもそれぞれが知っていると思っている「冨田 晃」は、微妙に「別人」のような気がするかもしれない。
今回のインタビューは、もちろん4月27日に発売されるCD『月の光 ドビュッシー作品集』のプロモートが目的で行なわれたわけで、ミュージシャン・冨田 晃が主人公であるのは確かなのだが、これまでの冨田像とはまた、まったく別の顔を見せる。
無遠慮に「なにが本業?」と聞くと、「それが一番嫌いな言葉」と冨田。
冨田「生業というのは社会的なものが発達し、都市という場所で役割分担されて成立するものですが、見方を変えると人間の原始の状態に一番反していると思うんです。だから専門という言葉も嫌いですね。中米のホンジュラスという国に長く暮らしていたんですが、そこではそもそも暮らしの分業化もなく、自分ですべてやるしかなかった。いまの僕も同じです。自分で録音して発信しなければいけない。新しい音楽を創り世に放つために、コンプセプトづくりから、演奏、録音、編集、ジャケ写、パッケージデザイン、そしてレコード会社への売り込みまで、すべて自分でやる。夢を語るより形にすることにしか興味はないんですが、あんなことができるこんなことができるかもと言ってる暇があったらとっととやってしまって、売り手を捜すのが僕のやりかた。たとえ、その『とっとと』が何年かかろうとも」
今回はまた、まったく新しいコンセプトでの音楽創造がテーマと言って良い。これまでに誰かがやっていたようで実はやっていないという、音楽創造の新たな方法論を1枚のCDに結実させた。波形編集という聞きなれない言葉が主役。できあがった音を聴いても、我々一般人には波形編集という言葉の輪郭も見えないのだが、音そのものが、これまでに聴いたことのない音として迫ってくる。映像で言えば被写界深度のような、音像の深み、広がりを感じさせる。
冨田「僕のこだわりの部分でもあり、コンピュータ・ミュージックが低迷している理由でもあると思いますが、いまの電子音楽のMIDI音源は、ある音をサンプリングしその音をベースに他の音を作るわけで、まあクローンみたいに違いがほとんどないわけです。その上音量にしても音のタイミングにしても、結局楽譜にしたら譜割りどおりにどこかに入れ込むじゃないですか。僕が求めるのは、人間的というよりさらに風そのものだったりという自然的なもの。例えば風を音に変えていくのに適するものといえば風鈴ですね、水だったら鹿威し。ただ自然そのものを感じたいと思っているわりに、現代人の能力はそれほど高くない。その橋渡し役として風鈴や鹿威しはあるわけですね。その部分を僕なりのつなぎ方をしたいと思ったときに、楽器のくせも取り入れよう、生のものであるがゆえに電子化すると排除されるような、一つ一つの音のばらつきや音色の違いも入れてしまおうと思ったんです。ですからMIDIで作業するのではなく、あえて一音一音を録音して、それを貼り付けていく方法を選んだんです。で、その音を貼り付ける時に、音楽化する一番の方法は歌うことですから、自分で歌って、そのタイミングとか音量の波形を作って、それを別の楽器に置き換えていきました。考えてみれば非常に素朴なやり方だと思います……大工の仕事に似ているかもしれません。楽譜が設計図とするならば、まず設計図を見て素材を探してくる。どこを切り取ってどこをつなぎ合わせるかと考えながら音を組み立てていく、そういう作業です。設計図を見ながら、どの音を使うかを探して音の大きさ長さ、途中の減衰の仕方とかを自分で作り直していくわけです。大工さんです」
コンピューター上で波形編集を施し、まるで“ゆらぎ”までも感じさせる音に仕上がっている。実際の波形編集という作業はどんなものだったのだろう?
冨田「体力勝負。視力は落ちるし、肩はこるし……。自分の歌った波形を見て、その波形にあわせて別な音を張り合わせていくというやり方を採用しました。冨田勲氏は『大工道具を見てどんな家が建つかを考えるなどばかげた話だ。だからシンセサイザーを見てどんな音がするのかと問うのも意味がない』と言います。冨田勲氏と基本の考え方は一緒なのかなと思います、シンセサイザーは音を作る道具ですから。ただ今回、音はサンプリングした楽器そのものに託しました。音は作らない。録音するだけ。どんな音楽を創りたいかという目的に特化したんです。その場合に作曲からはじめるとやるべき要素が多すぎて、作曲をやりたいのか音楽を創りたいのかわからなくなる。それで、ドビュッシーを設計図として使うことにしたわけです。
例えて言えば、ガウディの描いた設計図を外尾悦郎さんが形にしていかれているのと同じように、ドビュッシーの設計図を僕が形にしていく作業ですね。作品自体は7、8年前に取り掛かって、3、4年かけて制作し、完成は4年前」
冨田は、冒頭でも書いたとおりマルチに才能を発揮する人。自分でテリトリーやカテゴリーを決めてかからない。あるがままにあるがままのものに対峙するとでも言えば良いのか。水琴竹を発明した高野昌昭を手伝っていたこともあるという。
冨田「水滴の音というのは、ヒトラーが拷問に使ったといわれるように、それだけ聞いていると人間は耐えられなくなるんです。ある意味人間の本質を突く規則性と揺らぎをもっている。しかし水滴の音をいくつか重ねてあげると、今度は入ってくる音に変化するんです。高野昌昭の水琴竹のような、あんな音を創りたいとずっと思っていました。僕にとって音楽も美術もなんの境界もない、芸術と自然の境界も作らない。文化的なもの、自然そのものにも境界を作りたくない」
そして、その思いは見事に結実しているように思える。
冨田「『これが本物でしょ?』とリスナーはある完成形を求めてくるんですが、それを良い意味で裏切りながら……ただし裏切りすぎるとビジネスにもならない。ある程度は売れながらも、かといって期待にはあまり応える気はないという矛盾を抱えつつ、自分の仕事をこなしていくようですね」
三味線。スティール・パン。ガムラン。サックス。グラスハープ。水琴竹。そして波形編集……冨田 晃のフィールドは広がり続けるようだ。冨田の次は?
冨田「今回はスティールパンとグラスハープを使ったのですが、今度は楽器を変えてみようかと考えてます。ガムラン系とか……」
本当は、この何倍かの話をしている。ここでは今回のCDに特化した話を原稿化した。そうでなければ、誌面はどこまでもふくらみ続けるから。
ちなみに、CDジャケットも冨田が「月の光」をテーマに撮りおろしした写真群が飾っている。
最後に、一言。“すごい音”それだけはハッキリしている。
【月の光 ドビュッシー作品集 収録曲】
1. 月の光
2. 亜麻色の髪の乙女
3. パスピエ
4. 小さな黒人
5. レントより遅く
6. 月の光(ver.)
7. 夢
8. ゴリウォーグのケーク・ウォーク
9. 雪は踊っている
10. シランクス
11. 二つのアラベスク第1番