普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

大雪

2012-02-29 18:39:27 | 普通な人々<的>な
 朝、5時半頃に板橋区の志村でも雪はすでに降り始めていた。

 都心から立川に戻ると、わずか1時間ほどで景色は一変、真っ白な雪景色。

 時間経過と共に、その雪の積もり具合は半端ないものとなり、我が家のベランダには昼前には、15センチを超える積雪が。

 ボクはと言えば、少々の睡眠を取り、再び出陣。

 西武鉄道の駅まで、おっかなびっくり歩き着くと、なにやらどこそこで踏切事故だそうで、電車はこない。

 そして、ボクは正直寝足りない頭をバランスだけは上手くとりながら、身体の上に乗せて、30分近く遅れた電車に揺られ、都心に向かっている最中です。

日本の最高学府

2012-02-28 13:58:26 | 普通な人々<的>な
昨日は日本の最高学府を訪ねた。東大。昔訪ねた時と明らかに違う。

なにやら研究棟が所狭しと建ち並び、昔感じた余裕ある教育機関の総本山という印象は薄れてしまっている。なんだかせせこましい印象。もう少し棟と棟との間を広めに取ればいいのに、などと余計なことを考えながら目的地に向かって歩いた。

昨日お会いして話をさせて頂いた先生は、お若いのに独自の視点をもって、日本ではあまり研究する人もないテーマをご自分のものとされている。

結局3時間半もの長時間、あれこれと話にお付き合いいただいてつきなかった。本当に久しぶりに楽しい時間だった。

ボクとは年齢的に干支で二回り違うのだが、なんの違和感もなく相対で話ができた。色々興味深いモチーフを教えいただいた。ボクなりに消化できるよう、勉強しようと意欲も湧いた。

忘れかけていた、生涯勉強という言葉を思い出したぞ!

ご迷惑がかかるかもしれないのでお名前は伏せるが、話しながら、なにか胸の辺りが「さわー」っと、清涼感で包まれた。

またお話しを伺いたいと、強く思っている。

歩く 歩く

2012-02-27 10:26:01 | 普通な人々<的>な
 前にも書いたかもしれないが、最近良く歩いている。
 最低でも4km、多ければ日に10kmは歩く。

 「ちい散歩」ではないが、遊歩道やハイキングロードなどのように、歩くことに特化した道を歩くのではなく、普通の街中を歩くのが面白い。
 「ちい散歩」のように、隣の駅までの一駅を楽しみながら歩くというのも良い。

 もちろんボクのように最近は運動をトンとしないできた、という輩にとっては、運動になるということが大きいのだが、そのことを意識するとなにか歩くことそのものが辛くなることもある。なんでこんなことせにゃならんの? という感じだ。

 それよりは、裏道や横町に潜む「秘密の匂い」を嗅ぎ取ったり、汚いけれどうまそうな店や、看板だけではなんの店なのか不明な店を覗き込むなど、新発見を楽しみながら歩くのが良い。不思議なことに、同じルートでも歩くたびに新発見がある。ましてや5m離れて平行に走っている道を行けば、まったく異なる風景にも出逢う。

 最近最もびっくりしたのは、志村坂上からときわ台まで歩いた時のこと。板橋区前野町の辺りを歩くことになったのだが、実はボクは55年ほど前に上板橋に住んでいた。ときわ台(昔は常盤台と表記した)には母方の祖母が住んでいて、よく遊びに行った。もちろん歩いて行ったのだが、その祖母の家への道と思しき道に出くわしたのだ。

 もちろんかつての面影もない。周辺は家だらけだ。55年前には坂道の途中の、崖崩れが起きても何の不思議もないテラスのような平たい敷地に祖母の家だけが建っていたのだが、常盤台からの方向、その坂道のうねり具合、道の先にあった丘へ抜ける道の感じがまさに「ここだ!」という感じだったのだ。

 これは、別にどうと言うこともないのだが、結構興奮してうれしかった。今度、もう少し時間があったらその周辺を散策して自分の記憶は確かだったと思いたい。

 それと、都電の荒川線の沿線に出向くことが多かったのだが、この沿線沿いに歩いてみたくて何度もトライして「結構大変だ」と思った。それというのも、沿線沿いに道が平行に走っている部分はほとんどなく、ジグザグに歩かなければならないということに気づいたのだ。悪くすると、自分の歩いている位置を見失うこともあった。

 ボクが歩いたのは、いまのところ西巣鴨から早稲田までだが、いつかは三ノ輪まで全線制覇してみようと思う。

 歩くことは本当に良い全身運動だが、油断すると膝や足首、股関節などを痛める可能性もある。自分の限界と相談しながら歩くことをお勧めする。
 それと、歩くというのは、一人がいいかな。まあ夫婦でもいいか……。あまりしゃべりながらというのは、運動として歩くということとそぐわない。プラリプラリと話しながら歩くのは、疲れるばかり。しっかりと早足気味に歩くほうが良い。そして興味ある対象を見つけたときに寄り道ができるという自由は確保したい。そうなると、一人が良いかも。

 まあ、歩かないより歩くほうが良いというのは、当たり前のことなのだが。

誰もが生きていた

2012-02-24 08:47:10 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和45年。1970年。70年安保闘争の敗北が決まり学生も労働者も、気落ちしていた。中には、もはやこの国で生きる価値なしと、ドロップアウトしたまま、身を隠すものまであらわれた。

世界が音を立てて崩れたように感じたのは、ボクだけではなかったろう。

その瞬間から、次のプロセスに移るまで、際限もない時が過ぎたような気がした。たった5~6年のことだったのだが。

活動家の多くは、それぞれの場を模索し生きるための転身を図った。だがそうはいかない連中も多かった。
そんな連中の行き先は、フリーという名の潜在失業者。物書きやカメラマンは絶好の仕事だった。

と、懐かし話を書いていたら、南相馬市で高濃度セシウム汚染が認められる黒い物質が見つかったとのこと。

 具体的にそれがなんなのか情報がないが、安全な物質であるわけもなく、関東圏で発見される可能性も高い。

正直、70年代に日本国内での放射能汚染は、核戦争によるもの以外には考えつかなかった。

まだまだ核に対しては被爆国の国民としての強いアレルギーがあった時代で、一般の生活者レベルでさえ原子力空母の寄港にすら「大きな抵抗感」を抱えていた。
人々は、お笑い番組よりは、まともにニュースや情報に向き合っていたような気がする。

この問題は、日本国にとって大きな瑕疵となりそうな気がする。

徹夜仕事でいま帰宅

2012-02-18 09:31:27 | 普通な人々<的>な
 徹夜仕事でいま帰宅。道が凍り付いていて滑る滑る。それも当たり前で、とにかく寒かった。

 本当のところは比較の対象にもならないのだが、この寒さは今から35年以上も前に訪れた冬の韓国の寒さを思い出させるものだ。当時は韓国も寒かった。漢江が凍りついていた。氷点下10~20度の間だったと思う。

 早い話が、それ以降冬の北海道やら新潟や長野、関西方面のスキー場などにも行ったが、今朝の寒さほどには、肌の痛さを感じなかった。あの時の韓国の朝は確かに肌が痛かった。

 正直なところ、今朝の寒さは、それほどのものではないのだろう。ただ、ボクには相当の寒さに感じられたというだけのことだろう。

 人がヒトシオの寒さを感じるのは、本当に寒いか、気持ちが落ち込んで寒いか、どちらかのような気がする。そんなに落ち込んでいる気はしないのだが、ボクはどこか気落ちしているのかもしれない。

 いま家で、家族がまだ休んでいることもあって1人用の電気ストーブで暖を取っているが、この暖かさもストーブの暖かさなのであって、極めて即物的というかスイッチ一つですぐに失われる暖かさ。

 一方で家・家庭の温もりというものがある。家族のことを思えばどこかがほんのり暖かくなる。家というのは、そういうものだ。

 暖かさも寒さも、気持ちによる部分が多いにあるということだ。

 そういうことが感じられるような人間関係を、家庭だけでなくさまざまなシチュエーションで作ることができたら、本当に嬉しいのだが……。



弁護士の‘匂い’      

2012-02-17 15:52:54 | 普通な人々<的>な
 法律家という職種の人々は、独特の‘匂い’がある。ことに弁護士という人たちには顕著だ。

 京大の法学部在籍中に司法試験をクリアし、国費留学生として数年間イギリスで学び、帰国後は裁判官への道を歩んでいる青年がいる。傍から見れば猛勉強してさぞや顔色も青白い「いかにも」の青年なのだろうと思われるだろうが、これががっしりとした体格をした快活で気さくな青年なのだ。

 実はボクの甥なのだが、父親は彼が小学校に上がる前に癌で他界した。それから母親(ボクの姉)が女手一つで二人の弟を含めた男の子三人を育て上げた。そんな環境に育ったのだが、前述の通り、優れた資質を発揮して現在に至る。

 それはとても労苦の多い困難な日々だったのだろうが、姉の頑張りにはひたすら頭が下がる思いだ。先日彼が結婚したが、母親思いの甥らしく、母に負担をかけまいとする実に質素でありながら暖かい結婚式・披露宴だった。

 なぜこんなことを書いているのかというと、彼のような法律家がいることで、日本の司法はある意味安心できると思うから。彼であれば人の痛みや思いに正面から対峙できると思うから。

 一方、ボクにはどうしても頭から払拭できない「弁護士」に対する思いがある。それは、これまで出会った弁護士のことごとくが「いかに法律に触れずに、法の網の目を避けられるか」ということに腐心する人々だったと言うことなのだ。

 なぜなのだろう? 確かに法律を良く知ることの結果は、法に抵触する前にその法の裁きを回避する方向に向かうのは、当然と言えば当然なのだが、そのことを法に疎い顧客にさもしたり顔で、指南するかのような弁護士が多い。

 何がいいたいかというと、彼らの多くは「法を護る」というスタンスではなく、「法を破らずにすむ」というスタンスで顧客と対峙する。この差は、結果は同じようであっても雲泥の差がある。

 今度、弁護士を自分の問題で始めてたずねてみようと思う。その時、ボクの前にいる弁護士が、これまで見知った弁護士と同じようなスタンスの弁護士だったら、ボクはどうするだろう? すぐにその場を辞すだろうか? それとも「法を破らずにすむ」というスタンスに同調して、何事かをお願いするだろうか? 

 なんだか自分を試す場のような気がする。

今日も朝帰り

2012-02-14 16:42:36 | 普通な人々<的>な
 (ちょっと前にAT-2000のことを書いた。メールに写真があって紹介したが、本当はこちらを書こうと思っていた)
 
 今日も朝帰り。徹夜のお仕事で。
 呑んで朝帰り、などということではさすがにない。ただそいつは、久しぶりに一度やってみたいことの一つではあるかな…。

 最近毎日のように良く歩く。チャンスがあれば最低でも4㎞は歩く。
 今朝のように、次に予定を入れていない朝帰りのチャンスなどたまにしかないから、結構な距離を歩く。今日は5~6㎞歩いたかな。
 今日は西巣鴨から明治通りを歩き続け、高田馬場まで、およそ5㎞くらいの行程だったろうか? 歩いた感じは5㎞強かな。

 自分でも驚くほど良く歩くし、歩くことが辛くもないし気にもならない。4㎞も歩くと、これまで車で通り過ぎていたさまざまな「見えざるもの」が姿を現してくる。

 さいたまから17号を南下して、西巣鴨を右折して入る明治通りは、比較的良く車で走った道。池袋の六つ又交差点を過ぎて池袋東口前を通過し、目白通りに入って都下を目指す。
 なんでこのルートを良く走ったのか記憶も定かではないのだが、その道を歩いた。

 そして気がついたこと。西巣鴨から六つ又の交差点まで2㎞程あるだろうが、池袋方面に向かって歩くと、コンビニが4件あるのだが、いずれも道を挟んだ反対側にしかないこと。 
 車の時にはほとんど気づきもしなかったのだが、明治通り沿いには、実は昔ながらの商店街のように古い店舗や飲食店が軒を連ねていること。淑徳巣鴨など学校があること。呪術味たっぷりの少林寺という寺と言うか占い所のようなものがあること。裏の方には「千代田湯」という銭湯らしきものがあることなどなど、結構発見がある。
 
 色々なところを、チャンスがあったら歩いてみようと思う。ただし、遊歩道とか観光地じゃなくて、普通の町が面白そうだ。カメラをぶら下げて歩くのも良いかもな……ぶら下げたまま帰ってきそうな気もするが…。

 歩くことの役得が一つ。太らない。以上。

なんてこった!?

2012-02-13 18:09:24 | 極端な人々<的>な
 一つ前の記事(削除しました)は、携帯から、さあホイットニーへの思いを書こうとメールを開いた瞬間に、勝手に送信されてしまった。したがって、なにも書かれてはいないのだ。

 失礼しました。

 正直、萎えてしまった。気持ちは秘めておくことにする。

 さて。東電に関しては、突っ込みどころ満載で、前の前の記事のように、思いつくまま書くしかない。

もっと書くことはないのかというところだが、東電ほど書きでのあるモチーフはそうそうない。

 だが今は、やっぱりホイットニーに、追悼の祈りと感謝の思いを送るしかなさそうだ。

誰がホイットニーを殺したか…。いずれここで書くことになる命題。

徹夜仕事。

2012-02-12 17:09:41 | 普通な人々<的>な
 最近、徹夜の仕事がある。校正の仕事なのだが、印刷の現場に出向きその場で校正をするような感じ。出張校正とはまた別で、校正のオーソリティとして参加する。

 そこでさまざま思い出すことがあって、いまは家だが眠い目を擦りながら書くことにする。

 いまから40年近く前(正確には37年)、ボクは廣済堂出版の新雑誌の編集者で、板橋の志村坂上にある凸版の印刷工場に出張校正でよく出向いた。
 当時はまだ活字印刷も残る時代だったが、廣済堂自体親会社が印刷企業であり、当時最先端だった電算写植を売りにしていたこともあり、凸版と協働していたが、むしろ凸版を凌駕するほどの力関係だった記憶がある。廣済堂が凸版に資金注入を行なうような感じだった。

 それはそれで置いておいて。

 印刷技術の流れとしての活字印刷、写植印刷、DTPの違いなどは以前ここでも書いたので省くが、写植の時代に入ると、印刷所も活字の時ののんびりとした感じは失せ、一気に大量消費的システム感溢れる現場になったようだった。その証拠に、当時の印刷現場は「過労死の温床」とまでいわれていた。自殺者も多かった記憶がある。

 確かに大変な仕事現場だったと思う。なにせ雑誌メディアはやがて最盛期を迎える時期で、百万部を越える雑誌など何誌もあった。一つ一つの活字メディアは、こちらも出版と言う社会の木鐸的意識で仕事をしていたから、ほんの少しの意見の食い違い、理解不足でも刷り直し(いまのような値段を間違えたからすり直すというレベルではなかった)などしていた。その割には写植の工程はアナログで、すべて手作業に近いものだった。
 編集部でも写真版の切り張りなどを、編集の仕事の一環としてやっていた。
 それだから、夜中になるのは当たり前で、出張校正はむしろ非日常的な現場で楽しかった記憶すらある。

 後に別の雑誌編集に移り、大日本印刷での出張校正となったが、どちらも同じような現場だった。工場と言う現場感溢れたところはどちらも同じだった。

 いま出向いている現場も同様なのだが、なにか昔と異なる。完全にシステムの一部になり、その出版物への思い入れもなにもなしに、ただ文字や絵柄を追う。当たり前のことだといま仕事に携わる人は思っているだろうが、文字を追うのであり文を追うのではない。伝える内容を吟味するのではなく、情報スペックの齟齬のなさ、正確さを吟味する。

 印刷の現場だけでなく、おそらくすべての産業の現場で、同じような印象を受けるのだろうが、大事なのはそれこそ、内容などに拘泥することではなく、齟齬のなさが至上命題。責任回避という一点に、校正の全精力が注がれる。

 校正とは、そういう仕事だったのだなあと、改めて再認識させられている。

 校正という言葉の意味も、昔とは雲泥の違いがあるのだよ。

75000PV! 35000IP! 同時に来ちゃいました。

2012-02-08 19:57:14 | 普通な人々<的>な
 また忙しさにまぎれて、PVとIPの数を見忘れていました。

 なんと! 同時に切りの良いところを通過していました。

 本当にありがとうございます。

 皆さんのますますの発展と、このブログの継続を祈念して!

 カンペイ!!!

愛してる。と言えなくて…

2012-02-08 18:55:04 | 普通な生活<的>な
 自分の奥さんや娘に、この言葉を伝えられない。言葉だけでなく、態度で示すことすらできない。

 原因はよくわからない。ただひとつ言えるのは、なにか怖い。

 思い返してみれば、昔っから思いを伝えるのは苦手だったかもしれない。

 伝わるのは、思いとは裏腹の、それこそ思いもかけない誤解を生むようなことばかりだったような気もする。

 自分の気持ちが前に出ている内は気にもならなかったが、ふと立ち止まったり、振り返ったりすることがあるようになったいまは、そのことが妙に気にかかる。

 愛してる。

 文字にはできるのだがなぁ!

 なにが怖いのだろう? 誤解されること? 家族なのになぁ…。

 なんにしても、このまま朽ちたくはないな。

月旦評⑦ 田中直紀

2012-02-06 22:09:34 | 極端な人々<的>な
 人には「分相応」ということがある。
 それが人の普通の生き方、その場の居方。

 だが、そこを突破できれば人間、一回りも二回りも大きくなっていく。
 「分相応」は楽にそこにいられる状態だが、突破するにはそこに居続けることの何百倍もの労力と努力を必要とする。

 だが、突破することが「天命」であったり「楽し」かったり、決して苦痛でなければ、それはいとも簡単に達成できる。
 要は、心のありどころの問題なのだ。

 なんでも同じことなのだが、その心のありどころこそ、人が人生を上手くコントロールできるか、運命とでもいいたくなる力に翻弄されるかの分岐点なのだ。

 偉そうなことを書いているが、ボクはどちらかと言えばいまのところ運命に翻弄される人だ。頭ではわかっても、心のありどころを肉体化できないのだ。

 だが、諦めたわけではない。すねてもいない。真正面から「分相応」という壁に挑んでみようと思っている。

 忘れていた。【田中直紀】だ。

 失言と言う括りで言えば、まったく双子のような夫婦だ。
 カミさんの真紀子さんの方が、失言上手かもしれない。だが、彼女の場合は失言ではないのだ。意図的なはみ出し。あるいはいくらでも開き直れる範囲での失言。もっといえば、反省など端からするつもりのない、発言。「分相応」を突き破ろうという意志の表れと言っていい。

 それに比べると、直紀氏の方は、明らかな失言。失言し終わった後の、指摘された時の顔が、なんともガキのようである。「えっ?」みたいな感じ。
 国会の質疑の最中に、コーヒー飲みに行っちゃうということ自体、この人の幼児性を如実に表している。

 いい夫婦なんじゃなかろうか? 完全に真紀子さんの掌の上で宇宙を支配している気にさせてもらっているのじゃなかろうか?

 まあそれにしてもだ。田中直紀氏は、正直「分相応」の居場所にいた方が傷つかないですむのと違いますか? 彼の場合、「分相応」は大事な言葉だと、思います。

 少なくとも、防衛大臣ではないな。

仕事は楽しや!

2012-02-06 13:50:29 | 普通な生活<的>な
いま都心に出て、お仕事中。

なにが辛いと言って、日がな一日やることもなく、漫然と過ごす日の辛さといったらない。

もちろん、時間は如何様にも使える。普段書けない原稿を書くとか、行きそびれていた気になる店に行ってみるとか、なんでも充てられる。

だが違うのだ。要は気持ちなのだ。

仕事の様なものを創ることはできる。だが誰かに必要とされる仕事とは、本質的に異なる。

そういう意味での仕事は、いつまでボクを生かしてくれるだろうか?

希望と言う未来は、ボクにはそれほど先まではないが、どこまでも未来を見続けていよう!

ツイッターのアイコンについて

2012-02-03 19:51:20 | 普通な人々<的>な
 ボクのツイッターのアイコンは、ずっとミカンに顔を描いたものだった。娘がまだ小学校の頃に描いてくれたボクの似顔絵だ。
 これがそうだ。



 これが頗る似ている。だが、少し飽きてきたので、自分の顔をそのままアイコンにしたら、先日会った知り合いに、「前の方がいい。本当に良くできたアイコンだったのに」と言われてしまった。

 「なんだか、良い男をさりげなくアピールしているような感じで、僕は好きではない」とハッキリ言われてしまった。そんなつもりは毛筋ほどもないのだが……。

 あらら、そんな感じなんだ……と、元に戻そうかなと真剣に考えている。

  どんなもんだろうか?