昭和33年は、戦後の昭和という時の流れを意味するのみならず、日本総体にとってエポックメイキングな年だった。
この「エポックメイキング」という言葉(とうの昔に死語になっている)も、いかにも昭和だが、昭和33年こそが日本という敗戦国家の「次元」を一つ変えた年なのだ。
西岸良平さんの『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』の作品初期の舞台背景になっている年でもあるけれど、昭和33年をいささかでも記憶にとどめている人は、ある意味幸せだ。それはさまざまな変化の中に、とても前向きで希望にあふれ、それでいて忘れることのできない負の要素も含みこみながら、生きている記憶が鮮明な時だったからだ。
wikiで調べてみると早いが、昭和33年にあったことを、記憶の中から取り出せるだけ取り出してみると、以下の通りだ。
まず薬害。サリドマイド配合の「イソミン」が発売された。
宇宙開発。アメリカの人工衛星「エクスプローラー」が打ち上げられた。
音楽。第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催された。
放送。地方放送局がTV放送を開始した。*
交通。関門トンネルが開通した。
芸能。ナンシー梅木が、ハリウッド映画「サヨナラ」で日本人として初めてアカデミー賞助演女優賞を受賞した。*
売春防止法施行。
長嶋茂雄がプロ野球デビューを4打席連続三振で飾った。相手は国鉄スワローズの金田正一投手。
返還前の沖縄首里高校が初の甲子園出場を果たした。*
日清食品が即席ラーメン「チキンラーメン」を発売した。
アサヒビールが初の缶入りビールを発売した。
東京タワーが竣工、公開された。
電車特急「こだま」の運転が開始された。
皇太子殿下、正田美智子さんとの婚約を発表された。
国民健康保険法が公布された。*
日本初のプラモデル発売(モノは何だったか記憶にない)。
(*wikiを参考にしたもの。それ以外は僕の記憶)
などなど。
どうだろうか?
いまの日本の原景が、良きにつけ悪しきにつけ収まっている年だと思えないだろうか?
そうなのだ。昭和33年(1958)は、良いも悪いも様々が出そろった、のちに語り継がれる要素が溢れる年なのだ。
中でも特筆すべきは、僕の奥さんが生まれた年だということ。
なんちゃって。