普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

今日は四ッ谷

2011-09-28 11:54:23 | 普通な人々<的>な
今日は四ッ谷で仕事です。
 つい先日まで品川で仕事していたワケですが、なにか古巣に戻った感じで、リラックスしますね。
 考えてみれば、四ッ谷は音楽雑誌の編集部があったし、数年前には仕事場があった。
 今は依頼されて来ているわけだけれど、気分的には、楽な感じだ。

 環境は、仕事そのものにはさほど影響しないのだが、この楽な感じと言うのは大事で、妙な緊張感を感じる場は疲れるものなのだ。

 ただし、四ッ谷での仕事はいつまで続くか不明。

 また、多少の緊張感を感じる場に出向くことになるやもしれない。ま、それはそれでOKかな。

 なんにせよ、仕事があること、動けることに感謝!

身沁秋風

2011-09-27 14:04:41 | 普通な人々<的>な
 こんな言葉はないのだが、この2、3日でこんなイメージの体感をしている。

 ことに、「サンズイ」に「こころ」と書いて「しみる」と読むのだが、良い意味でも悪い意味でも沁みることが多い昨今だ。
 
 人の世は「金と権謀で動いている」と、知り合いの誰かから聴いた記憶がある。確かにその通りだなとは思うが、それが世の中を動かすすべてとは到底思われない。だが、そういう側面もあるという程度であれば健全なのだろうが、世の中の人の半数以上がそう思えば、世の中は「金と権謀で動いている」と言っても間違いではなくなる。というよりそうだと断言できる。

 そういう意味で言えば、今の世の中は確かに「金と権謀で動いている」。それを「是」として世の中で動き回るか、それを「非」として世の中を動き回るかで、結果はまったく異なる。「非」を「否」とするという積極的な姿勢に転ずれば、実は「是」の裏返しになるのであり、「是」を認めるのと同じことだという意見もある。そうなると、結果も大同小異と言うことになる。

 中国の殷から周へと王朝が変わる時に、殷の伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)兄弟が周の禄を食むことを拒否し、蕨を食べて命を繋いだがついには餓死したという逸話があるが、こうした大儀に順ずるなどという発想は、いまの日本人には微塵たりともない。

 餓死することの良し悪しは別にして、生き方を突きつけられる逸話ではある。

 ニュアンスは多少異なるが同じような人はつい最近の日本にもいた。
 戦後の闇米の売買は明らかな「犯罪行為」であり、国の定めた「配給米制度」だけを頼りに生き、ついには餓死した方が二人もいた(本当はもっといたかもしれないが…)。
 一人は教育者・東京高校(旧制)ドイツ語教授亀尾栄四郎であり、一人は法の番人・山口良忠判事だった。教育者と法の番人。なんと凛とした生き様だろうか。幼い頃に父に教えられ、今でも記憶している(原稿とは関係ないが、教育とはなんと凄い営為なのか!)。
 この二人の死は、まったく評価されなかった。そりゃそうだ。誰も彼もが法律を無視し闇買いに走ったのであって、法律を守って餓死するなぞ、アホとしか言いようもなかったろう。

 だが、本当にそうだろうか? 混乱の極にあったとはいえ、法治国家の元で国の定めた法制度を、遵守したのが、言い換えればたった二人だったと言うことにもなるのだ(もちろん食料生産者や食関連産業の従事者は別だったろうが)。

 身沁秋風。こんな感じの昨今なのは変わりない。

Wingmaker?

2011-09-27 01:13:45 | 音楽にまつわる話<的>な
 Wingmaker……?

 少し興味がある、かな?
 それがなにか、どうにかしたのかな?

 音があるのは知っていたが、聞いたことはない。
 あ、聞けるんだ!?

 そうなんだ!

 一度聞いてみて、改めて感想を述べることに。
 それでOKですか?

 はい、OKです……?

気になるニュース。

2011-09-24 19:05:18 | 普通な人々<的>な
 ニュートリノが、光速以上で移動するそうです。ビッグバン理論も終わってしまいますね。

 そうなんです。分かりきっていたことなんですが、この世の中で明らかなことなど「なにひとつない」ということだけが真理なんです。

 物理学も限界だらけで、化学も数学も医学も、天文学、考古学も歴史学も、心理学などは適当なことしか言わない。

 およそ分かった風な顔をして何もわかっていないというのが、この世界ですね。

 そうは言っても、なにか他人と共通認識の方法論がなければ、この世の中はなにひとつ進んでいかない。共通の認識なくして社会生活は営めないということも事実で。

 結局、システムだけが共通のものになり、そこに本来ならあるべき真理や真実が備わらないという、世にも恐ろしい状況なんですね、今の世界は。

 おそらく共通の真理というのは、信仰に帰着するのであろうかとは思うのですが、その信仰の最も深いところの真理に行き着くまでのプロセスが違うと、殺し合いまで起きるわけです。

 なにか、気付かされることが多いですね、今年は。

台風一過。

2011-09-22 10:26:18 | 普通な人々<的>な
 昨日の台風、どんな受け止め方をしました?
 
 ボクが子どもの頃って、もっと頻繁に台風の直撃を受けていたような気がする。所謂「台風の目」という無風快晴状態も、何度も経験している。すべて東京暮らしの中でだ。

 なにかベニヤや木材を打ち付けるという、絵に描いたような台風への備えもしたことがある。そして必ずと言っていいほど、停電した。
 
 昨日仕事場で誰かが「電車も止まって、皆なんかイベント的に酒盛り行ったかな?」と言うような発言をしていたが、実際に台風の猛威で被災された方には申し訳ないのだが、子どもの頃のボクらはまさに、台風と言うイベントとして、ワクワクしていた部分もあった。

 自然災害全般にそうなのだが、個人的にはなにか、巡り来る非日常のできごとに対する経験知を教えるために起きていること、そんな感じがしていた。言い換えれば、自然ももっと優しかった気がするのは僕だけだろうか? 要するに、自然災害といっても克服できるものなんだという学びがあった。

 だが12号台風も、昨日の15号台風も、3月の大地震も含めて、なにかこれでもかと言う感じがする。学びどころではない、とても対応しきれない、自然はひたすら恐ろしいものという受け止め方をしてしまいそうな感じ。

 なにが昔と違っているんだろうと考える。そして思った。人間が変わっているだけなんだと。大きな環境の中での台風なのか、自分の生活を脅かす脅威として考えるのか、考える基によって受け止め方は変わる。

 なにか、すべてが鋭く突き刺さるような事どもに変わっている。

ガチャピンになった?

2011-09-20 09:29:07 | 普通な人々<的>な
孫は確かに可愛い。

昨日は息子夫婦から誘いがあったが、仕事で行けず。

奥さんだけ、一人で出かけていった。

何時間か経って、メールが送られてきた。

こりゃあかわゆくないかい? しかも、相当!

さすがに一緒に行けば良かったと、後悔した。

しばし仕事の手が止まった。

こんな、皆さんにとっては退屈かもしれない話が、時には登場しますが、悪しからず。

韓国の流行歌

2011-09-18 23:38:30 | 音楽にまつわる話<的>な
 韓国という国は、「お隣り韓国」だの「兄弟の国」などと、さまざまな言われ方をする。この20年ほどの間に急激な成長を遂げ、日本を凌駕するほどになった。

 「歴史認識」などという政治的背景を語らなければならない点はそっと置いておいて、最近の韓国から流れ込んでくるK-POPについて思うところを書いてみよう。

 結論を言えば、なにか釈然としない。KARA、少女時代などの女性グループも、多くの男性グループも、嫌いではない。よくできた音楽だと思う。

 だが、どこか釈然としない。なにかに踊らされている感覚がつきまとう。決して日本のリスナーが自分の趣味志向で選び取った音楽という感じがしない。

 簡単に言えば、流れ。誰が作った流れなのかといえば、明らかに電・博的マスコミ操作を感じる。それにメディアの代表としてフジが乗ったという構図か。

 韓国はK-POPを国策として輸出品目に入れているという話を聞いたが、まさに日本はその術中にはまったということなのだろう。

 K-POPではないのだが、ボクがひたすら愛する韓国音楽は、韓国トロット歌謡の一ジャンルと位置づけられているポンチャック。

 中でもイ・パクサ(李博士)は面白く、日本でも電気グルーブが彼を取り上げていたことがあった。イ・パクサをどう言葉にすれば良いのかと思うが、本国ではポンチャック・テクノという表現を使われている。

 彼は元々観光バスの中で20年間、ほとんどエンドレス状態のポンチャックを時間つなぎで歌っていたというから、まるで綾小路きみまろのようでもある。

 インターネット上で彼の音楽はいくらでも聴くことができる。
 是非一聴をお勧めする。



 ちなみに日本で発売された彼の音源のほとんどは、既に廃盤である。

40000PV突破しました!

2011-09-18 01:34:49 | 普通な人々<的>な
 予想より1ヶ月早く40000PVを突破しました! ありがとうございます。

 ますます精進して行きます。
 
 なにが正解なのかはわかりませんが、40000という数字にはビックリたまげた感があります。
 
 これからも色々な事どもを書いていこうと思いますので、応援をよろしくお願いします。


印刷の歴史。を書きたいわけではないのだが……

2011-09-17 10:58:05 | こんなことを考えた
 最近、校正の仕事をしている。種々の出版物の文字やら、さまざまな構成要素が適切なものであるかを見るという作業。間違っていれば正す。

 ボク自身が出版に関わり始めた1970年代半ば頃までは、まだ活版印刷が残っていた。週刊誌でも活版で印刷しているものがあったし、単行本などはほとんど活版だった。
 だから校正は、活字(鉛で作られた一文字一文字の判子のようなもの)を取り替えることを指し示すことが役割だった。つまり「この判子は天地がひっくり返ってますよ」とか「『か』の字と『さ』の字が入れ替わってますよ」とかいう指示だった。
 そして、文字の体裁は判子そのものにさほどの種類もないわけで、重きを置かれるのは、体裁ではなく中身だった。要するに文章の良し悪しであり、校閲が大事だった。

 それがたちどころに写植という新しい印字の方法に変化した。グーテンベルグ以来500年を経た活字での印刷の歴史はあっけなく、ほぼ十年で駆逐された。
 それはアナログの延長線上にあったものの、ある意味印刷の革命であり、以後30年の歴史を刻む印字方法になる。

 なにが変わったといって、文章周辺の地のデザインや、文字そのものの種類の豊富さから来る印刷物としてのインパクトが、活字印刷とは明らかに異なった。
 簡単にいえば一字一字の判子だったものが、ページ単位の判子が作れるようになったと言うことなのだが、その判子を作るための道具である写植機と写植(文字種)とそのオペレーターは、時代の花形になった。文字は種類ごとに高値で売られ、写植文字の開発合戦すら仕事になった。
 だからこの写植時代の校正は、文字から面としての校正に意味合いがシフトした。文字は大切なのだが、それと同じくらいレイアウト、デザイン校正が重要になったのだ。

《この稿続く》

父を知る人、その後

2011-09-17 00:07:04 | 父・加藤千代三の短歌
 昨日、生前の父を知る方からブログにコメントをいただいたと書いた。
 その方は、島根県在住の中尾隆義さんとおっしゃる方だった。
 今日は思いもかけず、電話をいただいた。
 
 そしてお話を伺ううちに、いまから20年以上も前、父がそれほど優れない体調を押して「島根に帰る」といって帰郷したことがあったのだが、その折に、島根に父を呼んでくださり、彼の地で父の面倒を見てくださった方だとわかった。
 そして、彼の地で父の事績を探り、父の残した作品などを収集して下さっている方だとも知った。
 なんということだろうか! 不肖の息子としてはただただ頭を垂れるのみだ。

 なんとか父の事どもを、中尾さんと共有させていただければと思う。できるだけの資料をボクも探してみることにしようと思った。

父を知る方

2011-09-16 17:05:29 | 父・加藤千代三の短歌
生前の父を知る方が、このブログにコメントを寄せて下さった。

なんと有り難いことだろう。

もちろんボクはその方と面識はない。お名前すら存じ上げなかった。母が存命であれば、あるいは存じ上げていたかもしれないが…。

それでもなにか、胸の内が暖かに、懐かしい気持ちになっているのはなぜだろう?

島根の方だが、お幾つになられるのだろう? 新聞社関係の方だろうか?

できるものなら、お会いして、お話しを伺いたいものだと思う。

やっぱり怖いものだな!

2011-09-15 19:14:50 | 普通な人々<的>な
17時10分頃に、地震があった。

ないことに高層ビルの15階で仕事をしていた。

大した揺れではなかったのだろうが、さすがにちょっと揺れた。

やっぱり高層ビルは嫌だな、ちょっと怖いものだなと思った。

奥さんにその旨メールしたら、「良かったね、低層階住民で」との返事。

なにか釈然としないが、なんとなくは、納得。

孫は可愛いというけれど…

2011-09-14 22:34:00 | 普通な人々<的>な
 本当に可愛い!! なんでなんだろうね? 何でもしてやりたくなるよね!

 息子と娘を育ててきた。どちらも本当に大好きだ。軽口を叩かれようが、悪態をつかれようが、本当に嫌いになんぞなれない。無条件に好きだ。
 
 その感じを、もう一つゆるくした感じが孫に対する感覚だろうか。箍が外れても、とでも言えば良いのか。

 なんにしても、そんなことは置いておいて、息子、娘への信頼は揺ぎない。
 これは孫に対してはない感覚。やはり孫と娘、息子に対する感覚は根本的に違うかもしれない。
 
 息子と娘はそれぞれ10年以上、親としての楽しさを味あわせてくれた。無条件に楽しかった。
 その続きを味わえるのかな? どうなんだろう? 

 ま、いずれにしても、テラ可愛ゆす!!!

品川に、ジャンゴ!

2011-09-12 20:09:59 | 音楽にまつわる話<的>な
今、仕事を終えて品川駅江南口のペデストリアンデッキ上にさしかかると、ゴキゲンなジャンゴ・スイングが聞こえてきた。
写真の彼がサンプルのリズムギターに乗せてとはいえ、まことにゴキゲンなギターソロを聴かせてくれた。
日本のサラリーマンばかりのこんな場所で、マヌーシュというかロマというか、ヨーロッパの匂い漂う音が聴けるとは思わなかった。
疲れもとんだ。
もしや名のあるアーティストかもしれない。
明日もいればいいのに! そうすれば声をかけるのに!
残念ながら今日は先を急いでいるのだよ!

ジージ。

2011-09-11 10:25:35 | 普通な人々<的>な
 昔、近所に孫たちから「バーバ」と呼ばれて慕われていたおばあちゃんがいた。
 ある時、なんの弾みか「いつもお孫さんに『ババー』とよばれる気分は?」と聞いてしまった人がいた。

 「ー」の入り場所一つで、印象はこうも変わるものかと驚愕した覚えがある。

 いまからまた息子のところに行こうかと思う。もちろん孫の顔を観に。

 「ジージとバーバが行くからな、待ってろよ」という思いなのだが、どこかで「ジジーとババーが行くからな、待ってろよ」という声が聞こえてこないとも限らない。

 心して。