11月17日。記憶に残る1日となりましたでございます。
核P—MODELの『回=回』発売記念ライブ最終日。ZEPPの正面入り口はとんでもない人の数でした。
入場は制限され、人数を切って少しずつ入場が開始されましたが、全然減らない。
こんなP—MODELライブの入場風景は初めて見ました。
ライブの様子などは、おそらく多くの皆さんがSNSなどでさまざまな報告をされるでしょうから、ボクは書きません。
はじめに書いた、ボクの「記憶に残る」ファクターが何だったのかを書こうと思います。
それは2つのことです。
一つは、1曲終わるごとの観客の「雄叫び」にも似た歓声の凄さです。
天井が高く、ほぼ何も遮るものもない四角い箱という、会場としてのZEPPの特性もあるのかもしれませんが、雄叫びは会場を揺らすほどのものでした。
P-MODELのファンは過激な人々ではないにも関わらず、それは空気が震え、音の圧力すら感じさせるものでした。
実はそこに、ひょっとすると音楽の原点があるのではないか、そう思いました。
音楽を成す者と、それを受け取る者との精神の打ち合いのような印象を受けたわけです。
ライブ後、楽屋を訪ねて平沢先生と話しましたが、先生も「あれは何だったのだろうか?」と、次のステップを模索し始めていました。決して負の印象ではありません。
もう一つは、これはボク個人の大雑把な印象ですが、ほぼ120を刻むリズムの連続です。これがなんとも心地良く、気が付けば始まりから終わりまで壮大な1曲を聴き終えた満足感に包まれました。いつもそうですが、音の演劇舞台です。
もちろん1曲1曲それぞれに、進先生らしい細かくシャープでこれぞ平沢進という繊細な音色彩が施され驚かされるものでしたが、ボクには壮大な1曲と思えました。
そして、白会人(白松 / 白鶴)はまるでボクの好きなアニメ映画(タイトル忘れてしまった! 人形アニメのダークファンタジー。思い出したら書き込みます)の長老たちのようで、ちょっと心が震えました。
平沢進という並外れた才能は、何者も寄せ付けない、そんな印象を抱かせるライブでした。
そして1月(半ば頃だそうです)に追加公演が決定という話もありました。
今回不参加を余儀なくされた方、なんとしても参加してくださいませ。
価値ある時間が手に入りますです。
核P—MODELの『回=回』発売記念ライブ最終日。ZEPPの正面入り口はとんでもない人の数でした。
入場は制限され、人数を切って少しずつ入場が開始されましたが、全然減らない。
こんなP—MODELライブの入場風景は初めて見ました。
ライブの様子などは、おそらく多くの皆さんがSNSなどでさまざまな報告をされるでしょうから、ボクは書きません。
はじめに書いた、ボクの「記憶に残る」ファクターが何だったのかを書こうと思います。
それは2つのことです。
一つは、1曲終わるごとの観客の「雄叫び」にも似た歓声の凄さです。
天井が高く、ほぼ何も遮るものもない四角い箱という、会場としてのZEPPの特性もあるのかもしれませんが、雄叫びは会場を揺らすほどのものでした。
P-MODELのファンは過激な人々ではないにも関わらず、それは空気が震え、音の圧力すら感じさせるものでした。
実はそこに、ひょっとすると音楽の原点があるのではないか、そう思いました。
音楽を成す者と、それを受け取る者との精神の打ち合いのような印象を受けたわけです。
ライブ後、楽屋を訪ねて平沢先生と話しましたが、先生も「あれは何だったのだろうか?」と、次のステップを模索し始めていました。決して負の印象ではありません。
もう一つは、これはボク個人の大雑把な印象ですが、ほぼ120を刻むリズムの連続です。これがなんとも心地良く、気が付けば始まりから終わりまで壮大な1曲を聴き終えた満足感に包まれました。いつもそうですが、音の演劇舞台です。
もちろん1曲1曲それぞれに、進先生らしい細かくシャープでこれぞ平沢進という繊細な音色彩が施され驚かされるものでしたが、ボクには壮大な1曲と思えました。
そして、白会人(白松 / 白鶴)はまるでボクの好きなアニメ映画(タイトル忘れてしまった! 人形アニメのダークファンタジー。思い出したら書き込みます)の長老たちのようで、ちょっと心が震えました。
平沢進という並外れた才能は、何者も寄せ付けない、そんな印象を抱かせるライブでした。
そして1月(半ば頃だそうです)に追加公演が決定という話もありました。
今回不参加を余儀なくされた方、なんとしても参加してくださいませ。
価値ある時間が手に入りますです。