普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

肩凝り悪化、書けないかと思った。

2013-11-27 00:11:44 | 普通な人々<的>な
ボクは、おおよそ肩凝りとは無縁だった。

どんなに無理をしても肩凝りにだけはならなかった。筋肉が柔らかいというか、瞬発的に力は入るが入りっ放しということはなく、ある程度のクールダウンをすれば、まったく後を引くこともなかった。

それがこの1年、肩凝りがひどいことになってきている。首が回らないなどという程度ではなく、動かないレベル。

ただ、自分なりのメンテナンス法(ストレッチや体操)でシノイできている。

自分なりに観察していると、肩凝りはそうなる道筋ができていて、一歩でもそのラインに踏み込むと確実に肩は凝るということが分かった。

そしてボクの場合その肩凝りスウィッチは、難儀なことに寝ることだということが分かった。そしてもっと観察すると、枕だということが分かった。

いまボクは、枕をしないで寝ている。

それでも凝ることは凝る。だが少しは楽になった気がする。

このところブログから離れていたのは、実はこの肩凝りが因。

肩が凝って書けないというのではなく、肩凝りからくる頭痛にやられていた。

それでも少しずつ収まってきたので、また書かせてもらうことにする。

明るい(?)未来《003》 名前の不思議

2013-11-27 00:05:30 | 思いもよらない未来<的>な
不思議というと、ちょっとニュアンスが違うかもしれない。むしろ「当たり前」のことなのだが、名前と職業には密接な関係がある。

不思議だな思うのは例えば、宇宙飛行士の「星出彰彦」さん。

「星出」という苗字は、彼が宇宙飛行士になってから付けた名前ではもちろんなくて、彼の何代前かは知らないが、ご先祖様がそう名乗った名前なのだ。それなのにもうこれ以上フィットしようもないほどに、苗字が職業(というより、その人の持ち味、特徴・特技かな)を端的に言い表している。

もちろん偶然かもしれないが、やはり「星出」さんは確率的にも不思議な感じがする。

星出さんは例外としても、見回すと結構「名が体を表」わしている人が多いことに気づく。

大昔は人を呼ばわるときに、その人を端的に言い表すために職業を名前の副詞のように言葉にした。曰わく「蹈鞴の三次」と言った具合だ。

職業と同じように名前の前につけた苗字代わりのものに地名もあるが、それはまた別の機会に。

1870年(明治3年)の「平民苗字許可令」、1875年(明治8年)の「平民苗字必称義務令」によって国民の大多数が苗字を獲得することになる。

苗字を名乗らなければならなくなって、士分以外の農工商身分の者もこぞって苗字を付けるが、坊さんなどの多少の教養を持つと思われる輩や、地域の長などが、適当につけた苗字が横行する。農業を営む人の多くは「田」という字が付く人が多いというようなことだ。この時も、職業を苗字で端的に表現する形をとったのだ。

ただ、それ以前から苗字を名乗ることを許されていた家は、家柄といった家の歴史や伝来の田畑、山と言ったモノも含め多少とも古くからの財産を相続している。さらに歴史を遡れば、そうした家のほとんどは、支配する側に属していたことに気づくのだ。

そしてその構造は、地方へ行けばいくほど変わらない。

そしてよく観察すると、支配者の名前というものが存在し、支配されるものの名前もまたあるということにもまた、気づくのだ。(続)

手が悴む。

2013-11-13 19:06:21 | 普通な人々<的>な
いま家の中で、PCの前に座ってこのブログを書いているけれど、あまりの寒さに手が悴んでいる。

ちょっと体がびっくりするくらいの寒さだね。

一か月前は30度近い気温で、それはそれで難儀ではあったけれど、比較してみるにやっぱり暑い方が良いかなと思ったりした。

「明るい(?)未来」というカテゴリーで原稿を書き始めたけれど、どこがどう「明るい(?)」のかは、まだ不明の状態にしておきます。

「明るい」というのは「明らか」という意味もあるわけで、どちらかといえばそちらの方にシフトしていくのではないかと、自分では舵をとりながら思っている。

また明日から、モチーフを定めて原稿化していく算段。

今日は……寒い!


明るい(?)未来《002》 地域のボス

2013-11-12 10:53:11 | 思いもよらない未来<的>な
 何年間か、東京の郊外で地域に密着したいわゆる「地方紙」の記者・編集者をしていたことがある。
 本当に、東京のみならず全国各地で展開されていた「地域メディア」の代表格であった「地方紙」の衰亡は激しく、筆者が関わっていた新聞も、いわゆるブランケット版(普通の新聞紙のサイズ)1枚の表裏という悲しいまでに質素なものになっていた。
 いまでもその新聞は発刊されているが、定期刊行は難しいようだ。

 そんな話は、横に置いて。

 当時地域内を取材して歩くと、本当に色々なことが目からウロコのようにわかった。
 例えば、市会議員選挙がある。
 筆者が住む地域はことにそうした傾向が強かったのだが、地域にもっとも古く(江戸期から明治期)から住み始めた住人が、おおよその地域の利権を握っていた。彼らの横の連携は強く、「住民」は一握りの古くからの居住民を指し、昭和40~50年代に振興の住居地として建設された一戸建ての住民ですら「新住民」と呼ばれていた。
 そしてこの20年ほどのマンション建設ラッシュ以降に移住してきた住民(筆者もここに属する)は「町内会」にも入れてはもらえず、ある種「住民外」の扱いを受けた。それは今でも変わらない。
 数でいえば圧倒的に最後発の住民が多いのだが、道路整備などの陳情や要求も、最後発住民の多い地域は後回しにされた。
 なぜならば、市会議員選挙に立候補する顔ぶれは「住民」の間で「持ち回り」であり、極端に言えば「次は○○の所のバカ息子にやらせとくか」といった感じで候補者が決まっていたのだ。そして立候補と同時に当選を意味する票割もできていたのだ。当然、彼らの利害が真っ先に優先される議会運営となり、市政になるのは当然の結果だった。

 ところが「住民外」住民が市会議員選挙の票をまとめることができるようになっていった。
 それは例えば創価学会の支える公明党であり、生活者ネットワークの台頭によってである。そうなると、これまでの選挙に対するアプローチの仕方は大きく変わらざるを得ず、中には「一抜けた」と言わんばかりに、そうした選挙利権構造から抜け出す者もあらわれた(ちょっと話は飛ぶが、実はこの人々がかつての民主党の支持母体になった)。

 ただ、実のところ古くからの「住民」が抱く「住民外」住民のイメージは、サラリーマン家庭などの土地とは無縁の非定着民であり、行政的には確かに「住民」として管理されている存在だが、地域としては定住者としては認めがたい存在であり、その感覚はある意味正しい。なぜなら、何時でも家庭や仕事の都合でその家から離れていく住民ばかりだから。

 筆者の居住する地域のボスは、かつては小作農だった農家を営む人々。彼らがボスとなった最大の理由は広大な土地・農地がいつの間にやら自分のものになったこと。
 戦後の1947(昭和22)~50年にかけて、GHQの指令によって行われた農地改革による。かつての地主は土地の所有を制限され、小作農が制限された地主の土地をタダ同然で所有することになったのだ。
 この瞬間から、彼らは「金を生む資産」を手に入れたのだ。そして戦後続いた農業への保護政策が彼らを地域のボスに仕立てていった。
 面白いことに、筆者の居住する地域の幼稚園、医者などはほとんど地域のボスの係累の経営である。この傾向は、よく観察すればどこの地域にも共通の実態だろう。

 こうした地域の構造は変わらない。日本中にこの構造は定着している。
 そして、それは国家的規模でも変わりはないのだ。

明るい(?)未来《001》  〈血筋〉、〈家柄〉

2013-11-09 16:26:46 | 思いもよらない未来<的>な
昔、お世話になった方に栗林さんという方がおられた。

栗林さんは、自動車黎明期の50~70年代にいすず自動車で営業に従事、No.1営業マンとして知られた人だった。

この方の地方での営業方法は、当時「目からウロコ」という感じで、栗林さん独特のものだった。

それは、簡単に言うと「その地域の過去を知る」ということだった。

栗林さんは営業で乗り込んだ地域で、まず初めに役所と図書館に行った。その地域のかつての支配階層である武家の屋敷エリア、名主など江戸期の支配階層がどこに居を構えていたかを調べる目的だ。

古地図なども眺めた。

その中から、今でも同じ地域に居を構える、いってみれば地域の殿様、かつての高級武士=官僚を探し当てると、そこをベースに営業を展開していったのだ。

百発百中。かつての殿様、高級官僚家を落とせば、その地域はほぼ一帯すべてが栗林さんの軍門に屈した。

「栗林という人が車を売りたいそうだ。俺は買ったが、そっちも話だけでいいから聞いてやってくれよ、俺の顔を立てて」

今でも殿様の影響力は大きいのだ。それは揺るぎようのない、確固としたヒエラルキーの存在を示すものだった。

そうした状況が良いとか悪いとかではなく、厳然と家柄や血筋の良し悪しが今でも地域の支配被支配の構造を決しているということなのだ。

もっと言えば、かつての支配者一族の言葉は、かつての被支配階層に対して今でも有効なのであり、それは当分有効であり続けると言って良い。

詰まる所、ドラスティックに昔の話と切り捨てるほどには、歴史の重みは振り払えないということと、家柄、血筋といった糞の役にも立ちそうもないことが、実は地域で生きる人間にとっては非常に重要な生きるための物差しでありファクターだということなのだ。

それだけみても、栗林さんの営業方法は、間違ったものではなかったということがわかるではないか。

その地域の特質は「過去を見る中に明らか」というのは、正しい判断なのだ。

家柄が良いというのは「金にし得る資産がある」ということであるし、血筋が正しいというのは「正当な支配者として(地域が)認める」ということに他ならない。

よく観察すれば、日本の何処に行っても市会議員の大半は、地域の有力者、すなわち「家柄が良い」、「血筋の正しい」者が大半を占めている。

支配の構造、システムは変わっても、それを支える「人」の部分は、そうそう変わらないのだということがよくわかるのである。




ブログの大きなモチーフとテーマ、

2013-11-05 01:20:17 | 普通な生活<的>な
が、少し形を現してきました。

これまではあまりここには書いてはこなかったことですが、まとまれば一冊にしようかとも思えるモチーフです。

このブログで、少しずつ形にしようと思います。

未完の原稿を載せる形になると思います。

テーマは「明るい(?)未来」です。モチーフはそれこそ千差万別ですが、なにか一つに収斂していくようです。

第1回目は「ATMの示唆した未来」

近々掲載します。

少々お待ちを。

80000IP OVER! またまた感謝!

2013-11-05 01:12:17 | 普通な生活<的>な
2日前に、訪問してくれた皆さんの総数が、延べ8万人を超えました。

ありがとうございます。励みになります。

世の中の移ろいの中に、書きたいことは山ほどありますが、どうも意固地な感じがしたり、嫌なおっさん風の匂いがしたりと、自分で書きにいけないモチーフもあります。

だからと言って何の差しさわりのないモチーフに言及するのも、このブログを訪れてくれる皆さんになにか不義理をしているような気にもなるので、なかなか筆が向かない。

自分らしく書けばいいか? などと思っている今日この頃。

それにしても、8万人はすごい数です。

いよいよ書くという責任を感じる日々でもあります。