普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

暑さが遠のきました。お久しぶりです

2018-09-02 23:26:21 | 普通な生活<的>な
とうとう8月は一本の原稿も書きませんでした。

こんなことって、滅多にあることではないのですが、なにかそうするしかないという感覚でした。

7月の終わりに体調を崩しましたが、さすがに体温40度が3日続くというのは、年齢的にはきついものがあったようです。

自分自身ではそれほどの負担とは感じていなかったんですが、どうやら結構堪えていたようです。

暑さも相当に負担だったようです。

ただボクにとって太陽光は大きな栄養というか、何ものにも代えがたいもので、太陽が輝いている時にはできるだけ、光を浴びるようにしていたいのです。

そんなわけで、光を浴びることの代償として、なんとなく暑さにやられた感もありました。

それにしても、今年の暑さはやばいものがありました。38度って何なんでしょうか?

実際に体感してみようと、仕事の合間に外に出てみましたが、10分もいられませんでした。さすがに人っ子一人いませんでした。

9月に入って、今日などは上着が欲しいくらいの涼しさでしたが、この急激な湿気や温度変化は、ますます極端なものになっていくのだろうと思います。

気候の変動が人の命を左右するほどに激しいものになるなどとは、これまで考えたこともありませんでしたが、これからはそれが普通になるのではないかと、危惧しています。

皆さんも、できる限りの体調管理をされんことを!

少し涼しくなって、原稿を書く意欲が戻ってきました。

またよろしくお願いします。




誕生日前後

2018-07-29 22:43:13 | 普通な生活<的>な
毎年書くことですが、誕生日前後には何かが起こります。

体調の変化、生活の変化、人間関係の変化などなど。

それは、やはり今年もそうなのでありまして、10日ほど前には足の裏が突然切れて、歩きにくくなり、この木曜日には校正の仕事中に突然悪寒が襲い来たり、校正の赤を入れるどころか自分のサインも書けず、それから足掛け3日間、体温は40度近い推移で12号台風の接近にリンクしているような印象でした。

台風一過の本日は、平熱に戻っております。何だったのでしょうか?

年齢を重ねると様々な症状の病を経験するものですが、今回の高体温は記憶にありません。

実は悪寒を感じた仕事場では、医者だの救急車だのといった話も出ましたが、あの環境で医者に行けば「熱中症」と端から決めつけられ兼ねないので、固辞しました。

全然自覚症状違うし。

早退して、しっかりした足取りで地下鉄にも乗り家まで帰りつきました。

頭には何のダメージもないのですが、体温だけは高く、少し変な感じの3日間でした。

本日からまた仕事に復帰します、です。

緑の中の、一点の赤

2018-05-26 00:06:13 | 普通な生活<的>な
時々、FBにふらりと歩いて目にした風景をUPしている。

今年の春、隅田川の畔を歩いていると、春めいた緑の中に、真っ赤な花が一輪咲いている。

それは、なかなかにドキリとする眺めで、カメラワークで言えば、この赤い花には何かあると、一気にクローズアップするような感じだった。

花は真っ赤なチューリップで、ボクは暫しその場にしゃがみこんで、つややかな花の赤さに見とれていた。



それから一カ月半ほど経った一週間ほど前、家の近くを散歩していると、30坪ほどの更地に生い茂った草の緑の中に、また一輪の真っ赤な花を見つけた。

更地の周囲には柵があり、近づくことができず花の種は分からずじまいだったが、やはりスーッと引き寄せられるような存在感があった。



先の真っ赤なチューリップ、そしてこの名もない真っ赤な花。二度あることは三度ある、とよく言うが、もう一度同じような風景に出あったら、なにか意味があるのではないかなとふと思った。

どんな意味なのかは判然とはしないが、決して悪い意味ではなさそうな気もした。

そして、昨日のこと。花ではないのだが、良く見かける生け垣の緑の中に、たったひとひらだけ真っ赤に変色した葉を見つけた。



とうとう三度目だなと観念した。

ちょっと変な感覚だが、観念した感じが一番近い。

だからと言って昨日今日と、何か変わったことが起きているわけでもない。トランプくんが我が儘を言ったくらいだ。長野で大きな地震もあったが、どちらも緑の中の赤が示唆するものとは違うようだ。

この一週間程度は、なにか緑の中の赤が意味することに、気を配りながら生活することにしようと思う。

慶応義塾大学湘南キャンパス

2018-05-17 00:52:12 | 普通な生活<的>な
ボクは、早稲田大学Ⅱ文演劇科を中退した。昭和45年のことだ。

昭和42年に入学したが、大学紛争の真っただ中、2年間で種々の授業すべてで正味40数時間しか受けていない。革マルによるロックアウトで授業がなかったのだ。だから進級はテストではなく、すべて論文の提出だった。

従って友人など作りようもなかったが、御当人が覚えているかどうかはともかく、唯一できた友人が山本益博だった。食のエキスパートとして一世を風靡したあの山本益博だ。早稲田に通っていた。

学生の頃は、農民詩人として知られた松永吾一宅に寄宿し、さまざまな文学的エッセンスを吸収していた記憶がある。

やがて卒業論文に書いた落語家「桂文楽の世界」がそのまま書籍化され、演芸評論家として世に出ることになったのだが、食への興味が昂じて食の評論家になった。この分岐点頃までは、よく家に連絡があった。

いわく「加藤の論文を使って教授が授業をしているぞ」とか、「本が出たから読んでくれ」とか……。

彼が卒業し社会人になり、疎遠になってしまった。

そんなことはともかく。

今日は、三田にしかないと思っていた慶応義塾大学の湘南キャンパスに行ってきた。出向いた理由はともかく、そのキャンパスはまるでアメリカ西海岸のLA辺りを思い起こさせる、広大な敷地とモダンな校舎。最近の大学は、かくもイカシタものなのかと、ちょっと驚いてしまった。

ボクの知りうる限りの大学は、都市型のそれで、狭い敷地にゴチャついた、まるで迷路のような建物の連なりだった。東京六大学の明治、立教、法政、東大、慶応、早稲田いずれもその例にもれなかった。

まあ、1960年代の終わりから70年代初頭にかけての印象しか記憶にないのだが。

学生、というより子どもの数が年間100万人を切ってしまった日本で、有名大学といえども学生を確保し教育環境を維持することが困難になってきているわけで、慶応義塾大学湘南キャンパスのような環境整備は必須のものなのかもしれないと、何とはなしに理解した、今日でした。


ゴールデンウィークは関西

2018-05-06 23:31:46 | 普通な生活<的>な
2018年のGWは、関西におりました。PCは持参せず、更新できませんでした。

関西でのベースは、奥さんの実家がある神戸。

車で東京・神戸間を往復しました。久しぶりの運転で疲れましたが、気分は爽快でした。

これまで足を向けることのなかった奈良に出向き、大仏さんにお目通りしてきました。

でかい。

写真にするとその大きさをあまり感じ取れないのですが、その理由が非常に単純なことだと気づき、大いに納得しました。

要するに、周囲の法具なども同じようにでかいということでした。

2年前には京都中心に関西を楽しみましたが、今年は奈良、そして大阪中心に出向きました。道頓堀や黒門市場、法善寺横丁などなど、旅行者気分で歩きまわりました。

奈良・大阪・神戸の新三都物語でしょうか。

地元の神戸も、南京町やらセンター街、元町と完全な観光旅行気分。

古くからの友人にも会い、飲み交わしました。三宮の高架下の2階にあるそこそこディープな飲み屋をはしごして、大いに気分も盛り上がりました。

写真はたくさん撮りましたが未整理で、近々アップしようと思います。

またまた、ここから再出発いたします。





行く年、来る年

2017-12-31 02:49:58 | 普通な生活<的>な
2017年が、ゆきます。。

良い年でした。皆さんにとっては、いかがでしたか?

ボクにとっての今年の重大ニュース、特にありません。

この何もなさと言うのは、善き哉善き哉、と言う感じです。

一字に凝縮すれば、「境」でしょうか。

様々な事共の「変化の境目」の年だったという事でもありますし、なにか自分自身、境目を超えて新しい次元に飛び込んだような感覚もあります。

実は、師走に入り山崎貴監督の「DESTINY~鎌倉物語」を、奥さんと一緒に観てきました。

ボクたち夫婦は、映画は好きですが、それほど映画館に足を運ぼうという気にはならない夫婦で、一緒に観に行った映画は、片手で収まる程度です。

でもなぜかこの「鎌倉物語」はボクから誘って観に行くことにしましたが、奥さんも観たいと思っていたそうです。

妖怪と共にある鎌倉の日常という物語の荒唐無稽さに、まったく違和感を感じることもなく、また、ボクたち夫婦が送っている日常と少しも遜色がないことに驚きつつ、楽しく観終わり、にこにこと家路につきました。

この映画を観たことも、今年の一字が「境」になった遠因でしょうか。

小栗虫太郎に「人外魔境」という秘境探検小説がありますが、2017年に再読しました。それも「境」の一字を想起させる遠因であったでしょうか。

なににしても、今年も多くの皆さんにブログを通してコンタクトできたことを感謝しつつ、2018年を迎える準備を、したいと思います。

ありがとうございました。

新年のご挨拶は、改めて。


1ヵ月のご無沙汰で。

2017-12-01 00:17:29 | 普通な生活<的>な
トランプ大統領の来日以降、まるで、この約1カ月の間、何もしていなかったような事になっています。

ブログを書くというルーティンが、ボクの中でちょっと崩れていました。

たったそれだけの事なんですが、まるでボクはこの世から、暇に任せて並行世界ににでも行っていたような感じになっているわけです。

実際のところそんなことは全然なくて、2週間前の土曜日には、若い頃に一緒にお芝居をしていて、今では踊りの家元になっているナベちゃんが、国立小劇場で開いた踊りの会を観賞しに行って来ましたし、そこで同じ仲間だったフー子や志村さんと会って話もしました。

また先週の日曜日には、奥さんと久方ぶりに横浜へ出かけてスーパー銭湯に入ってきました。

こう書くと、なにかどうということもないことなのですが、踊りの会は都合7時間半の長丁場で、日本の古典芸能と、そこから派生した今様の芸能をすっかり堪能できました。

また、スーパー銭湯の方は入場制限があるほどの混みようで、30分も並んでいました。ボクも奥さんも「並ぶ」という行為が殊の外苦手で、やむを得ずディズニーランドのアトラクションに並ぶくらいしかしたことがなかったのですが、どうした弾みか、この時は苦もなく並んでいました。

思い返せば、ひょっとすると、本当に並行世界に行っていたのかもしれません。

他にも書くことは数多あったのですが、どうしたことか「ブログを書く」という行為自体に思いが至りませんでした。

すっかりこっちに帰ってきたようですので、またブログを書かせてもらいたいと思います。

とりあえず、今日はここまでということで。




我が家の玄関からの眺め Air Force One

2017-11-06 00:20:40 | 普通な生活<的>な
11月5日。アメリカ合衆国のトランプ大統領がアジア歴訪の端緒として来日しました。

朝10時40分前、横田基地に降り立ったわけですが、その直前、横田基地の滑走路にアプローチする大統領専用機Air Force Oneの機影を、我が家の玄関から撮影することに成功しました。


雄大な富士山をバックに着陸ラインに侵入してきた大統領専用機


垂直尾翼に合衆国の国旗が、はっきりと見て取れる

ほんの数秒の出来事でしたが、ハワイを出発した時間から計算して、およそ10時半に到着するだろうと予測し、カメラを持って玄関で待機すること12分。

見事にAir Force Oneを撮影できたわけです。

それがどうしたという意見もあるでしょうが、なにか自分の家の玄関から、ある意味歴史的な一瞬を撮影できたということに、なにやら言い知れぬ満足感を得てしまうわけです。

トランプ大統領の功罪は別にして、合衆国大統領の東アジア歴訪が、経済的な側面は別にして、うまくいくことを願うばかりです。

直ぐにアップしようと思ったのですが、「道具」が見当たらずこのタイミングになってしまいました。

1ヵ月は、長い

2017-08-14 04:27:37 | 普通な生活<的>な
およそ1ヵ月のご無沙汰です。
この間、ずっと仕事をしておりました。
何も書けないという環境下にあったわけではないのですが、書けませんでした。

いまの仕事は、同じ校正でも目を酷使することこの上なく、家に戻ると、食事をして風呂に入り、寝る、という時間の使い方しかできませんでした。

世の中は様々な出来事が惹起し、裏も表も慌ただしいことこの上ないわけですが、最も気になるところは、やはり北朝鮮とアメリカの、駄々っ子の言い争いといった様相を呈している国家同士の諍いでしょうか。

なにしろ日本の頭越しにICBMが飛び交おうかという情勢のように見えます。

広島・長崎の日をまたぎ、終(敗)戦記念日を迎える中で、なにやら不穏です。

まあどちらも余程の阿保でない限り、戦端を開くことなどしないでしょうが、よく見るとどちらも相当阿保のようで、心配は尽きないわけです。

そればかりでなく、一見すれば自然災害のように思える災厄が続いています。5号台風にしても、なんだか何者かにコントロールされて日本にたどり着いた感がありますが、あちこちでひっきりなしに起こる豪雨、突風、土砂崩れもなんだかまともな感じはしないですね。大きな意味では、人為的な災害のようにも思えます。

経済情勢も表向きはそれほどの変化はありませんが、なにか不穏な感じがしないでもありません。アメリカと中国、ロシアの三角関係は、ほんの少しの軋轢で一気に崩れそうですし、それぞれの国内事情も分断がキーワードのようで不穏です。

だからといってなにがどうなのかといえば、別段なにがどうでもありません。

そういった情勢を横眼で見つつ、再びブログと向き合っていこうと思うわけです。

またよろしくお願いします。








450000PV Over

2017-04-01 02:03:35 | 普通な生活<的>な
先ほど、このブログを訪れてくださる皆さんが眺めてくれた記事の総数(とは限らないか…)が45万を超えていました。

すごい数です。ありがとうございます。

そのお礼にといっては何ですが、さらに目標を高みに設定することにしました。

死ぬまでに200万PV、です。

あと155万もあるぞと言われればその通りですが、これまでのおよそ3倍強頑張れば良いわけです。

これまでに6年半を費やしてきましたから、およそあと20年。

結果僕は88歳の米寿、善き歳を迎えている計算になります。

それは2037年。巷で2036年から来た未来人という方が話題になっていましたが、そこを超えるわけですね。

その歳までは、物が考えられ、書けるようでありたいという思いも込めて……。

長らくのご無沙汰です

2017-03-09 23:54:43 | 普通な生活<的>な
書きたいことは山ほどあったのですが、書く時間及び心意気というものが、やや欠けておりました。

そんなこんなではありますが、これは書いておきたいと思うわけです。

先週の土曜日(2017年3月4日ですね)、ボクは再び飲み倒したわけです。それも、およそ30年ぶりに再会した友人夫婦と、ボクたち夫婦で夕方の(といっても真っ暗ですが)6時半から、二夫婦の地元ともいうべき懐しの荻窪で、飲んだわけです。

友人夫婦とは30年前まで、本当に毎日のように飲んだり遊んだりしていた間柄でしたが、ふとしたきっかけでほとんど会うこともなくなってしまいました。

それがまた、ふとしたきっかけで会おうということになったわけです。

どんな再会の時間になるのかなと、期待やら心配やら様々でしたが、会えば会ったで当時のままの人間関係がそこには現出するわけで、いらぬ心配りでした。

友人夫婦がよく行くという、荻窪の刺身のおいしい店に案内され、刺身だけでなく確かにうまい肴をあてに、日本酒、ビール、焼酎とあの頃と同じように飲むわ飲むわで……。

いまでも荻窪に住まう友人夫婦の家に招かれて、そこでもまた飲んで。

ボクは、やばいと思っていました。これは飲みすぎだなと。

気が付くと奥さんが駅のホームを歩いている後ろから歩いているのですが、どうやらまっすぐ歩いていない。これはホームから落ちるなと、中央寄りに歩くという冷静さは持っていましたが、まっすぐは歩けないという……。

乗り換えの度に何度も奥さんがボクを起こしてくれたおかげで、無事に家までたどり着きましたが、やばい。

これは、ボクの本意ではないと。

それはそうなんですが、楽しかった!

この楽しかったがある限り、本意ではないと言いながら、きっと痛飲するんでしょうね、これからも。

これが、一つ書いておきたかったこと。

まだありますが、またこの次に。

異変?

2017-01-29 01:46:25 | 普通な生活<的>な
今年に入って、どうも去年までと違うなと感じるところが一つだけ。

いやに時間の経つのが、遅い。

去年までの時間感覚で言えば、すでに建国記念日(あ、2月11日ね)は、過ぎているところだ。

あれ? まだ1月だっけ? てな感じ。

皆さんはどうですか?

そんなことはありませんか?

思うに、明らかに時間の進みが遅くなっているのだろうと、ボクは思う。

量子論的には、時間はないものなのだそうだ。

現在も過去も、実は現在に集約されるものであって、概念としては存在するとしても実際にはないのだそうだ。

そのことを、実は仏教でははっきりと言葉にしている。

因果倶時。

すごいよね、3000年近く前に説かれた概念ですよ。

時間というものは、確かに自分にとっての物差しではあるし、他とのある種の共通認識のための単位ではあるけれど、実は自分だけのものであって、それは自由気ままに伸び縮みさせることもできるものというわけだ。まるで輪っかの様に無限ループさせることもできる理屈だ。

因果倶時だから、時間を止めてしまうこともできる。一瞬の点にすることも可能ということになるな。

それだから、ふと気づくと自分の都合が良いように、時間は歩みを変えているということなのだろうな。

いま、時間の経つのが遅いと感じているわけで、ボクにとってどんな都合があるのだろう?

そこのところは、自覚のない無意識領域の話なわけで、この不可解さが、堪らないわけですよ。

今年も、こんな感じなんだろうかな?