普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

月旦評③ 所ジョージ

2011-11-20 01:38:33 | 極端な人々<的>な
 なぜ所サンなのか? 自分でもよくわからないのだが、同時代の人間として非常に親しみを感じるのだ。
 フォークシンガー(フォークシンガーコメディアンが正式だったかな?)としてデビューしたての頃に、ナント面白い人だろうと思って、以来ずっとファンな訳だ。
 
 同世代の政治屋どもが、悲しいほどの影響力のなさを露呈している時に、所さんは飄々と、子供達を相手にしようが、天下の北野武を相手にしようが、同じように生き方のロジックを展開する。特殊ではあるけれど、納得できる、説得力のある論理を開陳してくれる。

◆所ジョージ◆
 所さんの「顔」には裏表がない。のっぺりした感じの中に、分け隔てのない、壁のない自然な成り行きが読み取れる。最近のトレードマークになりそうな金髪も、見事な差別化、アイデンティティの表明になっている。

 とにかく誰も太刀打ちができないほどの知識と、自分を救うロジックで身を守っている。そういう意味で言えば、ひょっとすると怖がりかもしれない。自分が批判の対象になるのは我慢できないタイプかもしれない。だからこそ、人の悪口もいわなければ、人をくさすこともしない。淡々と飄々と生きている。

 無理はしない。これが一番の特徴かもしれない。

 「声」は決して良くない。だが声のトーン、ニュアンスが良い。嫌な感じがしない。

 おそらくそれほど運動神経は良くないのではないかと思う。

 それにしても日本の芸能界のトップすべてと対等に渡り合えるのは所サンしかいない。誰も彼もが所サンを嫌いではない。好きだ。これは人徳というしかない。

 好きなことをして生きるのは、勇気がいる。それをすべての根底に据えている所サンは、やはりすごいというしかない。

 音楽も活字も、その表現のスタンスは変わらない。それは日常生活も変わらない。自由で闊達。
 
 所ジョージ! なんだか褒めちぎっているような気がしてきた。でも、まあ、いいか! 適当で。

 

月旦評② 野田佳彦

2011-11-13 15:44:28 | 極端な人々<的>な
 行きがかり上、野田総理を書くことにする。
 本当はあまり書きたくない。なぜなら、良くも悪くもまだそれほどの事績を残しているわけでもなく、そんなもんかなと言った程度のことしか書けないと思ったからだ。

 だが昨日、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉へ参加する方針を表明し、日米首脳会談で米国産牛肉の輸入 規制緩和に向けた手続きを始めたと寝耳に水の発言をするに及んで、ボクの中で野田佳彦は一気に「悪漢」ということになって、書くことにした。

◆野田佳彦◆

 人間ではなく、千葉県産の泥鰌(どじょう、鰌、ドジョウ)であると自称している。1957年生まれというから、54歳。若い。泥鰌にしちゃ長生きか?

 野田佳彦の「顔」は、菅直人が半島系とするならば、大陸系の顔をしている。おそらく三国志に中堅政治家として登場しそうな顔立ちだ。融通の利かない顔をしている。
 泥鰌というわりに、目は爬虫類的な、なにを考えているのか判らない、怖い眼をしている。
 人の話を聞いているようで、実は聞いていない。
 「声」は倍音を含んだ好い声である。菅のよう人をイラっとさせる、人を遠ざける声ではない。これは人を騙すのに恰好の武器である。
 「居ずまい」も悪くない。姿勢が好いのは良いことだ。ただ、相手がフランクな態度で接しても、その姿勢を崩さないという態度は、なにか姿勢そのものも「作り物の一部」のように受け取れる。ぬいぐるみを着ているみたいにも見える。

 総じて何事かをやってくれそうな雰囲気は漂わせるが、最終的にはなにも結果が出ない、出ても国民の望む形ではないという気がする。
 消費税もそうだが、自分の持論を前に出しすぎるきらいがある。そして今度の牛肉ではないが、まさに「どこからそんな話が出てきたんだ?」的な思いにさせられることが、これから先も多々あるに違いないと思う。
 
 要は、独善的な体質ということになるだろうか。

 実はこういう感じの政治家が最も結果として悪辣なことをしてみせる。悪辣というのは、意外に自覚がないまま、むしろ人のために良かれと思った結果が大失敗的な感じだ。
 きっとそんな感じの引き際になりそうな気がする。
 どう転んでも、大物の風格はない。こじんまりした官僚的な空気感を持っている。

 オバマが「一緒に仕事ができる」と言ったのは、言い換えれば「俺の言うことはなんでも押し通せそうだ」ということに他ならない。誉め言葉ではないな。

月旦評① 菅直人

2011-11-11 00:56:50 | 極端な人々<的>な
 後漢の許劭というわけにはいかないかもしれないが、気になる人物をボクなりに腑分けをしてみようと思う。気になる人物というのは、きっと批判の対称になることが多いだろうが、そこはあまり気にせずに。

◆菅直人◆

 まだ存命である。1946年生まれというから戌年か。65歳だから年金受給資格者ということになるか。
 資格放棄すればいい!

 菅直人の「顔」から読み取れるのは、不満と猜疑心。そして決定的な自信のなさ。
 「居ずまい」から読み取れるのは、落ち着きのなさと、人に負けたくないという奇妙な自信を伴った(顔には自信のなさが溢れているのに)高慢さ。
 「声」から読み取れるのは、やはり不満と、疑り深い威圧的な心根。
 「歩き方」には一国の宰相たる品もなかった。
 残念なことだが、この人物に国の舵取りを任せれば、国は国としての品格を失い、他国から信用されることはなくなる。
 なぜなら、ご本人が疑ってかかるわけだから、誰も本音で話そうとはしない。それは国家元首同士とて、一般人と同様だ。

 なにか自分の身を捨ててかかって、物事に対処しようという発想は感じられない。どちらかといえば自己保身が強い。

 結局、「俺はこれほどのことをした」と言いたいためだけに、エイズのこともかいわれのこともあったわけだが、本当に気の毒なことに、3.11東日本大震災が起こり、福島第一原発事故が起きた。どちらも菅直人には荷のかちすぎたことだった。

 結局なすすべなく、菅直人は舞台袖に引っ込んだ。

 小人極まれりといったところだ。

 皆さんは、菅直人をどう判断しますか?

このところ、仕事で毎日、午前様

2011-09-06 12:47:17 | 極端な人々<的>な
野田新首相は、なんとかなりそうなのか? 福島、宮城、岩手と訪問行脚だそうだが、極KYの菅よりはタイミングの取り方はまだましか?
福島第一原発への対応の手腕をみることにしよう。

ところで、ボクはと言えば毎日仕事の終わるのが品川で夜の10時。結局家に帰り着くと12時を回るか回らないかという、微妙な時間。
朝は7時起きで、お弁当制作。それから出かける準備をして8時には家を出る。

結構お疲れなのですね、これが。
しかし、この程度で疲れるなどと言っているから、世のため人のために働くことができないのだと、いい加減判れよというところ。

人生50年はとっくにクリアした。暦も一巡りした。あとは喜寿に米寿に卒寿の白寿……そんなに生きてどうするの? 
ハグする人もいない。もちろんキスする人もいない。なにか、皮膚が甲羅のようになって行く気がする。

能力者。

2011-08-23 12:38:51 | 極端な人々<的>な
 最近、時間をかけてじっくりと色々なサイトを眺める機会があった。
 そして、少し前にも書いたが、地震予知の「松原照子」さんのサイトにたどり着いた。

 その内容は、衝撃的ではあるけれど真摯で真面目な人柄がにじみ出ていて好感が持てた。ただ、それからすぐにそれまでのブログが閉鎖され、一般への発信もしつつ有料というサイトにシフトした。その理由はボクには分からないが、なにかそうすべき理由があったのだろう。

 同じ頃に、やはり地震予知を行なう「みゆ吉」さん、「イオン」さん、「カズ」さん、「小林朝夫」さんなどという人たちがいることを知った。

 松原さんのブログが引っ越したことは書いたが、多かれ少なかれ、どの方のブログもなにやら変化している。ひょっとすると、地震予知という特性上、当たる当たらぬということで、批判を浴びたりすることがあるのかなと、予測する。

 皆さん、さまざまな独自の方法で地震と向き合っている。その予知・予測が当たるか当たらないかは、科学的であると一般には思われている「地震予知連絡会」などの予測データでさえ、ヤマカンの域を出ないわけで、当たるか当たらないかを彼等に求め、その責を問うというのは、言ってみればおかしな話。

 こうした予知のような特殊な能力に対しては、ことに地震と言ったような大きな災害と背中合わせの予知に対しては、「人を惑わす」というような批判もあるようだが、世界の終わりを予言しているキリスト教ほどあほらしくもなく、金を取って人生の指針を下す「占い」ほど、あこぎでもない。
 むしろ、「サジェスチョンしてくれて、ありがとう」というべきだろう。

 それにしても。インターネットの中は、想像もつかない混沌が支配している。この数十億の混沌情報から、瞬時に必要なものだけを選び取ることができれば、生きる上での勝者になれるな。
 検索エンジンがどうしたこうしたと言うことではなく、正しい生き方の指針もクソのような情報と混在しているということを、言っている。

 いちばん必要な情報を阻害するのは、嫉妬、意味のない批判、愚かな自慢……要は、自分を正義だと思い、他者を排斥しようとする態度、言動、思想、哲学。

 だからといって、そうした傾向の情報があることを否定はしない。ただ、それを取捨選択できればなとは思う。

恐怖の喫茶店

2010-11-20 22:10:35 | 極端な人々<的>な
 昔々、奥さんと結婚する前のこと。神戸在住だった彼女に会いにでかけた。むろん、地理は不案内で、三宮がどこだかだけを頭に叩き込んで、約束の時間まであちこち歩き回った。
 70年代後半の三宮は、当然震災の20年近くも前で、昔の神戸の面影が残っていた。
 どこをどう歩いたか、喉が渇いて喫茶店を探していると、道の少し先にどうやら喫茶店らしいものが見えた。何気なくその店のドアを開けた。
 中はカウンターと二人がけのテーブル席が3つほどあるこじんまりしたもの。7~8席あるカウンター席は半分埋まり、テーブル席も2つが埋まっていた。えらく繁盛しているような印象を受けた。
 ただ、妙な違和感を覚えた。それは客が全員、男だということと、その客たちのヘアースタイルが独特だったこと。7人の客のうち3人がほぼ坊主に近く、4人がパンチパーマだった。服装はラフで派手目な色柄のシャツスタイル。その上にブレザーを着るか着ないかくらいの差。全員だぶだぶの印象を受けた。
「いらっしゃい」
 マスターらしき人がそう言ったのだが、客全員が、ボクをねめ回すような視線を投げかけてきた。
「あ、まちがえました」
 この言い草はあるか? ないよな! でもボクはそう言って、後ろ向きのままドアから外へ出た。
 神戸はY組の本拠地だった。選りに選って、組関係の喫茶店に紛れ込んだらしい。実際店の2階は組事務所だったようだ。
 そんな事が分ったのは、ずっと後のこと。
 この時はただ「やばい!」と思って、間違えた事にしたのだ。この判断は、間違っていなかったと今でも思っている。

クラクション?

2010-10-28 09:50:45 | 極端な人々<的>な
 車に乗るのを止めようかなと思っている。
 なぜかというと、車を運転していると、自分が本当に嫌な奴だと思えてくるのだ。それこそ、自分以外の誰も彼もの運転がド下手に思えてくる。そう思うと、わずか100m走る間にも突っ込みどころ満載で「何やってんだ!?」「おいおい…」「どうしてそうする?」「ド下手!」と、際限もなく口を吐いて出てくる。
 断っておくが、ボクは40歳過ぎて免許を取得した。いろいろいきさつもあって免許を取らなかったのだが、それは置いておいて…。たまにはスピードを出したりもするが、遅くに免許を取ったから、普段はあまり無理な運転はしない。それほど上手いとも思わない。
 それが、突っ込みどころのある運転手に出遭うと、性格も運転も荒くなり、アドレナリンが噴出するような気もする。ということは、いまの感じだとのべつ幕なし運転が荒いということになる。
 これは問題だ。自覚はあるが、止められない。
 この間、裏道の細い道と交差するやや太めの道に出る手前で、横丁から軽ワゴンがフワッと出てきた。慌てて急ブレーキを踏み込み、クラクションを鳴らした。軽ワゴンは何事もなかったかのように交差点の手前で右折のウィンカーを点す。その交差点に信号はない。左右の見通しも悪くない。その時、左右からの車の姿は見えなかった。右から自転車が来ていたが、交差点まで40mはある。ところが前の軽ワゴンは一向に動く気配がない。
 既にイラついている僕は、イラついたクラクションを鳴らした。それでも動かない。が、突然運転席の扉が開き、ピアスを3つくらいした若い小柄のお兄ちゃんが降りてきて、こちらに向かってくる。
 ボクは頭にきた。こちとら、急いでいるのだよ。お兄ちゃんは「なんだ? なに鳴らしてんだよ」とボクを威嚇し始めた。ボクもイラついている。「早く行けよ」。すると「自転車が来てるだろ?」「いま通り過ぎたところじゃないか。いくらでもいけただろう。とにかくさっさと行ってくれ」「降りろよ」「嫌だよ、急いでいるんだ。文句があるなら後で電話でもしてこいよ」「なんだ、この野郎?」「それなら、オレがいまから電話するから、警察に」といって窓を閉め、携帯に手をかけ電話をかける素振りを見せると、「馬鹿野郎」と捨て台詞を残して、自分の車に戻っていった。なんのこっちゃ? というやりとり。
 ここで問題は、どちらが悪いかとか言うことではない。ボクの態度だ。なんだか嫌な奴の感じがしないか? 自己嫌悪だ。
 とにかく車を運転していると、こうした自分のロクでもないファクターが顔を覗かせる。それが嫌でしょうがない。だから、運転を止めたいのだが、当分は止められそうにない。なんというか、運転そのものは、大好きなのだ。なにせ東京~神戸くらいならノンストップで運転できる。それも緊張感を失わずに。ようするに、運転が好きなのだ。
 どうしたらいいんだろうね、このジレンマ?