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東京「昭和な」百物語<その45>飲み屋・ツケ

2018-09-26 23:49:48 | 東京「昔むかしの」百物語
いまは、飲み屋さんのほとんどは、チェーン店である。

もちろん個人経営の飲み屋さんもあるのだが、昭和の飲み屋さんはほとんどが個人経営だった。

マニュアル化された営業形態の店など、知り得る限り「養老の滝」くらいだった。

チェーン店の特徴は、マニュアルに従ってとても分かりやすい会計システムであること、ほとんどが廉価であること、その代わり店と客との距離は決して近くはないこと。

昭和の飲み屋は、決して安くはなかったが人と人との距離は近かった。酒を飲むと言うよりは、誰かと会いに、話しに出向いたという言い方が正しい。

ボクにも新宿、荻窪、阿佐ヶ谷近辺に行きつけの店が何軒かあった。

そして今では信じられないことだろうが、ツケが利いた。

ツケという言葉自体いまの若い人はわからないのではないかと思うのだが、店で飲んだその日の料金は支払わず、後日まとめて支払う形を「ツケ」といった。つまり、よく行く店、店側としては、よく来る客にしかツケはできない、させないということ。

ツケというのは、帳面に「書き付けておいて」という意味(歌舞伎が語源という話もあるが、考えすぎにも思える)で、その日に手元が不如意でも、とりあえず店への支払いをせずに、店が書きつけておいた金額の総額を、月末の給料日辺りにまとめて払うのだ。

それは、お互い相手を信頼することで成り立つ支払いのシステムということでもあろうか。

店は客が支払いすることを信頼し、客も店による支払金額の水増しなどがないことを信じて、支払うわけだ。

飲み屋は人を見てツケを許し、客は店に通うことを約束する。

ただ形だけを見れば、いまのクレジット払いと同じようなものかもしれない。だが、ツケにはすでに書いたように、人と人の間を取り持つ情け、思い、信頼のようなものが存在していた。

それこそ、昭和までのアナログ人間の特性だったと言っていいかもしれない。

平成(今となっては、平成も過去となる最後の時を過ごしているのだが)という、人間関係すらデジタル化した時代には、まったくそぐわない習俗だったというべきか。

ツケを通じた人と人の関りは濃密であり、悪くすれば犯罪を助長する側面もあった。

それでも、ボクなどは今でもツケが利く店はないものかと探しているくらい、心が動く言葉なのだ、ツケという言葉は。




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