NHKのBSで、「ウッドストック」のディレクターズカットを29、30日と2日にわたり放映していて、つい観てしまった。
もちろん以前にも観ているのだが、なにか以前とはまったく違う印象で観終わった。
リッチー・へヴンスにはじまり、ジミ・ヘンドリクスで終わるのだが、ミュージシャンのライヴよりも、その間の、「ウッドストック」というイベント自体を構成する観客、スタッフ、農場の環境、天候、周囲の保守的な人々(要は大人)…およそあの時代のあの場所に、関わりのあるあらゆるファクターを網羅したような映像と音は、まさにドキュメンタリーとして面白く、またすぐれた映像だと思った。
特にジミへンの演奏をバックに映し出される、50万人の残したゴミの山とそれを片付けるスタッフ(観客かもしれない)の姿を写し続けるエンディングに連なるカメラワークは、かつて観た時とはまったく真逆の印象をもたらした。
かつて観た時にはあのエンディングは、それほど印象にない。あったかどうかも憶えていない。つまりあくまでライヴそのものがメインであり、それ以外の部分には余り意識も目もいっていなかったということだろう。
それが、エコだのなんだのと言われるようになり、今となってはあの壮絶なエントロピーの場を見せられると、「ウッドストック」というできごとの意味合いも、受け取り方として大きく変わってくる。
同じく放映を観たという友人は「なんだか、気恥ずかしかったよ」と、言った。判るような気がする。
ボクら世代のバイブルのようなイベントだった「ウッドストック」。「共感」というキーワードがあったのだが、今では必ずしも共感だけではなく、むしろ「?」がつく感じもある。
できることならもう一度、じっくりと観てみたい。
もちろん以前にも観ているのだが、なにか以前とはまったく違う印象で観終わった。
リッチー・へヴンスにはじまり、ジミ・ヘンドリクスで終わるのだが、ミュージシャンのライヴよりも、その間の、「ウッドストック」というイベント自体を構成する観客、スタッフ、農場の環境、天候、周囲の保守的な人々(要は大人)…およそあの時代のあの場所に、関わりのあるあらゆるファクターを網羅したような映像と音は、まさにドキュメンタリーとして面白く、またすぐれた映像だと思った。
特にジミへンの演奏をバックに映し出される、50万人の残したゴミの山とそれを片付けるスタッフ(観客かもしれない)の姿を写し続けるエンディングに連なるカメラワークは、かつて観た時とはまったく真逆の印象をもたらした。
かつて観た時にはあのエンディングは、それほど印象にない。あったかどうかも憶えていない。つまりあくまでライヴそのものがメインであり、それ以外の部分には余り意識も目もいっていなかったということだろう。
それが、エコだのなんだのと言われるようになり、今となってはあの壮絶なエントロピーの場を見せられると、「ウッドストック」というできごとの意味合いも、受け取り方として大きく変わってくる。
同じく放映を観たという友人は「なんだか、気恥ずかしかったよ」と、言った。判るような気がする。
ボクら世代のバイブルのようなイベントだった「ウッドストック」。「共感」というキーワードがあったのだが、今では必ずしも共感だけではなく、むしろ「?」がつく感じもある。
できることならもう一度、じっくりと観てみたい。
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