最近、校正の仕事をしている。種々の出版物の文字やら、さまざまな構成要素が適切なものであるかを見るという作業。間違っていれば正す。
ボク自身が出版に関わり始めた1970年代半ば頃までは、まだ活版印刷が残っていた。週刊誌でも活版で印刷しているものがあったし、単行本などはほとんど活版だった。
だから校正は、活字(鉛で作られた一文字一文字の判子のようなもの)を取り替えることを指し示すことが役割だった。つまり「この判子は天地がひっくり返ってますよ」とか「『か』の字と『さ』の字が入れ替わってますよ」とかいう指示だった。
そして、文字の体裁は判子そのものにさほどの種類もないわけで、重きを置かれるのは、体裁ではなく中身だった。要するに文章の良し悪しであり、校閲が大事だった。
それがたちどころに写植という新しい印字の方法に変化した。グーテンベルグ以来500年を経た活字での印刷の歴史はあっけなく、ほぼ十年で駆逐された。
それはアナログの延長線上にあったものの、ある意味印刷の革命であり、以後30年の歴史を刻む印字方法になる。
なにが変わったといって、文章周辺の地のデザインや、文字そのものの種類の豊富さから来る印刷物としてのインパクトが、活字印刷とは明らかに異なった。
簡単にいえば一字一字の判子だったものが、ページ単位の判子が作れるようになったと言うことなのだが、その判子を作るための道具である写植機と写植(文字種)とそのオペレーターは、時代の花形になった。文字は種類ごとに高値で売られ、写植文字の開発合戦すら仕事になった。
だからこの写植時代の校正は、文字から面としての校正に意味合いがシフトした。文字は大切なのだが、それと同じくらいレイアウト、デザイン校正が重要になったのだ。
《この稿続く》
ボク自身が出版に関わり始めた1970年代半ば頃までは、まだ活版印刷が残っていた。週刊誌でも活版で印刷しているものがあったし、単行本などはほとんど活版だった。
だから校正は、活字(鉛で作られた一文字一文字の判子のようなもの)を取り替えることを指し示すことが役割だった。つまり「この判子は天地がひっくり返ってますよ」とか「『か』の字と『さ』の字が入れ替わってますよ」とかいう指示だった。
そして、文字の体裁は判子そのものにさほどの種類もないわけで、重きを置かれるのは、体裁ではなく中身だった。要するに文章の良し悪しであり、校閲が大事だった。
それがたちどころに写植という新しい印字の方法に変化した。グーテンベルグ以来500年を経た活字での印刷の歴史はあっけなく、ほぼ十年で駆逐された。
それはアナログの延長線上にあったものの、ある意味印刷の革命であり、以後30年の歴史を刻む印字方法になる。
なにが変わったといって、文章周辺の地のデザインや、文字そのものの種類の豊富さから来る印刷物としてのインパクトが、活字印刷とは明らかに異なった。
簡単にいえば一字一字の判子だったものが、ページ単位の判子が作れるようになったと言うことなのだが、その判子を作るための道具である写植機と写植(文字種)とそのオペレーターは、時代の花形になった。文字は種類ごとに高値で売られ、写植文字の開発合戦すら仕事になった。
だからこの写植時代の校正は、文字から面としての校正に意味合いがシフトした。文字は大切なのだが、それと同じくらいレイアウト、デザイン校正が重要になったのだ。
《この稿続く》
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます