普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昔むかしの」百物語<その58>高尾山

2019-09-10 01:22:06 | 東京「昔むかしの」百物語
小学校の高学年、中学・高校時代、よく高尾山に登った。

昭和40年前後からの10年間ほどだったか。当時は登山道などまったく整備などされていなかった。なんと言っても修験道の霊場という認識のされ方の方が強かったと記憶する。

真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域ということは、子どもの頃から理解していた。

登山道らしき道は一応あるにはあったが、険しい山肌に繁る灌木につかまりながら、人ひとり通るのがやっとといった急なのぼり道でひたすら頂上を目指した。大人なぞいなかった。仲の良い友達と、半ばトム・ソーヤ―やハックルベリー・フィンの冒険のような気分で登っていた。

標高は599mと意外に低いのだが、修験道の山らしくそこそこに険しくボクの少年の頃は充分に楽しめるワンダーランドだったのだ。

ボクの登山コース、下山コースはほぼ毎回決まっていた。

まずリフト(と言っても今のようにスキー場にあるような腰掛式ではなく、足元が動くタイプだったと記憶する。乗ったことがないので横目で見た印象しか残っていない)を右手に見ながら斜面を登る。

そしてほとんど山肌を縫うような、人ひとりがやっと歩けるような道を登るのだ。結構な時間を費やして、ようやく少し広い寺の参道らしき道に出る。そこは当然薬王院のそれとわかる敷地内。

ところがここがなかなかの道で、全長40㎝、直径2㎝はありそうな巨大ミミズが、行く手を阻むのだ。もそもそと蠢く巨大ミミズを避けながら登り続けると、やがてその辺の都会の公園ほどもない頂上にたどり着く。

そこで持参した水筒の水でのどを潤し、握り飯などをぱくつく。それだけで十分楽しかった。

帰りは必ず相模湖を目指して下山した。川のせせらぎを見ながら降りる道が好きだったからだ。

2018年の秋、奥さんと60年振りの高尾山登山。ただし途中のビアホールで一杯やろうという、いかにもな登山理由で、もちろん歩くことなどなく、のぼりはリフト,下りはロープウェイでの往復。

それでも子どもの頃の、わくわくどきどきを思い出した。

なにも整備などされない生のままの山歩きができたのは、それこそ昭和までだったかもしれない。平成に入る頃には「あれをしたらアブナイ」「安全でなければ無理」「子どもだけでそんな危険な⁉」という空気になったから。

いま思い出しても、なかなかの冒険だった気がする。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿