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東京「昔むかしの」百物語<その70> 広告の形 2

2021-07-04 14:12:55 | 東京「昔むかしの」百物語
以前に、昭和の広告の形という原稿を書いたが、一つ忘れていた。
技法や技術的な広告の形として、空の広告を取り上げたが、実は地上にまごうかたなき広告の最高度の表現形態があった。

チンドン屋さん。

今でも活躍するチンドン屋さんはいるのだが、昭和20年代から40年代にかけては、どこの町の商店街にもチンドン屋さんはいた。

数人の編成で、鳴り物をライブで演奏しながら街中を練り歩く。商店街のセールは言うに及ばず、映画館の出し物の交代時期や、パチンコ屋、新装開店の店があれば、いつでも彼らの名演奏を聴くことができた。

ボクたちは、ハメルーンの笛吹き男を追った子どもたちよろしく、どこまでもチンドン屋さんの後を追ったものだ。

鳴り物の編成は、チンドンという通り、いなせな遊び人風のいでたちをした(という印象が強い)打楽器奏者が大小の和太鼓を縦に並べたチンドン太鼓に、摺鉦(四助といったような気もする)という鐘を「こんこんちきちんこんちきちん」と鳴らし、それに加えて鳥追い姿の三味線(これも記憶の中の印象)、ピエロの格好(こちらも同じ)をしたクラリネットやサックス、たまにはフィドルなどもあり、和洋混交の編成で、それはそれは目も耳も楽しませてくれるパフォーマンスだった。一人はクライアントのお店の名前やセール品目、日付などを大書した旗指物を振ったり、体の前後に看板をぶら下げたりしながらビラを撒く役目だった。

そして、一番よく演奏されていたのは哀調溢れる田中穂積の「天然の美」ではなかったか。単に思い込みかもしれないが…。曲目はわからないが元気の出る曲も多かったと思う。

チンドン屋さんの存在感は、子どもの頃に見たサーカスとなぜかダブル。それはピエロがいたからというだけでなく、なにか「天然の美」という曲の印象や、圧倒的な非日常感が近似で、心のどこかに刷り込まれて忘れることのできない感覚としてあるのだ。

今度チンドン屋さんに遭遇することがあれば、子どもの頃のようにしばらく後を追ってみたいと思う。

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