2019/4/28 ヘブル13章4~6節「妥協なき婚活」はじめての教理問答99~100
「終活」「婚活」「妊活」。どれも20年前にはなかった「活」のつく言葉です。「就職活動」を「就活」と略したぐらいはしましたが、今では同じように「活」を付けて、朝早起きして活動するのを「朝活」、Facebookやツイッターなどソーシャルネットワークを有効活用するのを「ソー活」、高齢者の生き生きした生き方を「労活」、死や葬式を意識した準備を「終活」と、何でもありのようです。そして、結婚していない人たちが結婚したくて、結婚できるよう出会いを探したり、結婚相手に選んでもらえるように準備することを「婚活」というようです。今日は聖書の十戒の第七戒です。
問99 第七の戒めはどういうものですか?
答 第七の戒めは、「姦淫してはならない」です(出エジプト20:14)。
問100 第七の戒めは、あなたになにを教えていますか?
答 思いや言葉、そしておこないにおいて純潔であること、そして結婚において貞節であることを教えています。
「姦淫」「純潔」「貞潔」という言葉が出て来ますが、その中心にあるのは、私たちの結婚と自分の性の取り扱いのことです。私たちが男性や女性に作られたのは、神の恵みを現す素晴らしい贈り物です。それはやがて一人の異性と結婚する準備でしょうし、そうでなく、独身で生きる上でも何か意味はあるでしょう。なのに、結婚した相手以外の人とセックスをすることは「姦淫」と呼ばれます。神様は聖書で、姦淫を禁じます。
ヘブル書十三4結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなさい。神は、淫行を行う者と姦淫を行う者とをさばかれるからです。
と言っています。結婚の大事さがすべての人に分かるように教えなさい、寝床を汚す(夫婦以外の人とセックスをする)ような事は、神が裁かれることを教えなさい、と言っています。だから、今日ここにいる私たちも、結婚の尊さ、大事さを覚えたいのです。
「婚活」という言葉が作られて、盛んに婚活がされているように、人にとって「結婚したい」という気持ちはとても強いのです。男の人が女の人に惹かれ、女の人が男の人を好きになる気持ちは、とても自然なことです。ドラマや歌、お話しの多くは、男女の出会いや恋がテーマです。先日の高校生のキャンプでも、「古川先生の恋愛講座」という分科会に10人の人が来てくれて、熱心に話しを聞いてくれて、後からまた質問やお礼がありました。私自身も、幼稚園の頃から、素敵な恋に憧れたり、中学生で失恋を経験したり、今でもドラマでハッピーな恋愛の話しにはドキドキします。
「姦淫してはならない」
を誤解して、「恋愛やセックスや性欲自体が汚れている」と考える人がいます。結婚しても「裸を見るなんて罪だ」と考えてしまう人もいるのだそうです。それは、聖書の教えのようで、正反対ですね。聖書は私たちが男性や女性である事を、神様からの贈り物だと言っています。一人一人が男性や女性としての欲求を持ち、魅力を持ち、異性に興味を持つのは自然なことです。素晴らしいことです。もしも、自分の性について悩んだり、分からないことがあったりしたら、神様に堂々とお祈りして聞いたり、牧師や教会の誰かに恥ずかしがらずに相談してください。性というのは、神様が私たちに下さった、不思議な、素晴らしい贈り物です。
しかし、その不思議な贈り物を扱い兼ねて、大事な結婚を壊すような使い方をするようになっていることも聖書には沢山出て来ます。
- ヨセフは、働いていた家の主人の奥さんから言い寄られて、一緒に寝るように誘われました。それを断ったら、逆上されて、牢屋に入れられてしまいました。
- ダビデ王は、もう結婚していたのに、よその家で水浴びをしている女性を見て、王宮に呼び出してベッドに誘います。子どもが出来たと知らされると、そのご主人を別の人も巻き添えにして殺してしまいます。
- そして、イエス様の元には、姦淫の現場で捉えられた女性が連れてこられます。この人は、とても後悔したでしょうが、そんな間違いをしてしまったのです。
- また、別の女性も、姦淫をしたことで街中に知られていた人が、イエス様に優しくされて、嬉しくて嬉しくて、その足に高価な香油を注ぎ、涙でイエス様の足を拭った出来事が伝えられています。それほど、この人は自分の姦淫のために、淋しく、辛い思いをしていたのだと思います。
イエス様はその人たちをも本当に深く愛されました。姦淫した女性だろうと、結婚を尊ばなかった人だろうと、イエス様は変わらず愛され、受け入れて下さいます。だからこそ、自分の人生を台無しにしてしまうような、姦淫をしてしまうことを禁じられます。折角の体、折角の将来の結婚に、姦淫はとても深い傷を残してしまいます。だから、神様は十戒の中で、「姦淫してはならない」と強く仰います。私たちを守るために、私たちが幸せになるために、傷つかないために、姦淫してはならないと強く言ってくださいます。
聖書には、結婚の尊さが忘れられて、姦淫をしたり、不品行をしたり、夫婦がぶつかったりする出来事がたくさん出て来ます。結婚は簡単なことばかりではありません。だから「婚活」という言葉が生まれて、どうしたら結婚できるか、あれこれ言われています。そして、結婚したらしたで大変だったら、どうしたら離婚できるか、有利に別れられるかを教える「離活」という言葉まであるそうです。そんな事情や現実を、神様は十分踏まえた上で
「結婚がすべての人の間で尊ばれるようにしなさい」
と仰っています。なんと素晴らしい事でしょうね。神様は、決して結婚を低く、汚れているとは考えません。どんな結婚も、尊ばれるだけの価値がある、大切なものだと見ています。その尊さを人間が踏みにじって、裏切って姦淫をしたり、暴力をしたりしたら、神はその関係を終わらせます。それぐらい、神は私たちを愛されています。姦淫するな、と命じるのではなく、私たちを幸せにしたいと願って止まない神でいてくださるのです。
ですから、もし教会の人や周りの人が、姦淫をしたり、結婚相手でない人の子どもを妊娠したりしても、皆さんは決してその人を裁かないでください。教会に来る人の中に、不倫や水商売をしてきた人がいても、神は姦淫を憎まれると言う以上に、神はあなたを愛されていると伝えてください。そして、その人たちにも自分にも、最善の結婚を神様が与えてくださるよう期待しましょう。結婚を引き下げず、尊ばれるようにと言ってくださる神が、私たち一人一人を男や女に作ってくださったことを、最後には本当に感謝できるように、期待しましょう。そして、その時まで、自分の身体を清く守っていきましょう。
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