風になれ

大自然のふところで山歩きを楽しむ生活。
いつの日にか、森にそよぐ風になれたら・・

合理的な範囲でという考え方

2015-06-26 | 健康


 朝から強い雨が降っている。晴れの国、岡山には珍しい、久しぶりの雨だ。

 フジサンケイ・ビジネスアイの紙面で<医療も原子力も目的は「人々の幸せ」>と題する越智小枝さんの記事を読んだ。僕が日頃感じていることが語られていたので嬉しくなった。
 ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線汚染の規制には、放射線被爆量を『可能な限り低く』ではなく、『合理的な範囲でできる限り低く』という考え方があるのだとか。すなわち、放射線を低くする利益と、その不利益を天秤にかけなければいけないと。
 その一例として、チェルノブイリ原発事故のあとのノルウェーで、トナカイ肉の規制値を6,000ベクレルという比較的高い数値に設定したのは、食文化の崩壊や経済的損失を考慮した上でのことだとか。
 日本は、特に日本のマスコミは二極化の議論を好む傾向がある。今の規制値、食物には1kgあたり100ベクレルの厳しい出荷制限値が設定されているけど、日常曝されている数多くの健康リスクと比べて異常とも言える神経質な基準に思える。
 放射線と日常生活でのがんリスクの一覧には、放射線被爆が1000ミリシーベルト被爆がリスク増加率1.5倍、タバコ喫煙者が1.6倍、大量飲酒(エタノール換算、週300〜449g)が1.4倍と記されている。実は日常生活には発がんリスクが溢れていて、「ゼロリスク」はあり得ないということだ。ことさら放射線だけに焦点を当てたがる傾向があるけど、もっと冷静に考えなくてはいけない。
 僕は常々、東北の震災避難者にもっと弾力的な対応をしたほうがいいと考えている。ある程度の高齢者には自主判断で実家に戻してあげて、行政はその生活インフラ面で支援をしてあげたらいいと思っている。そのほうが精神的なストレスも少なくなり、故郷の地で幸せな人生を全うできると思うからだ。
 越智小枝さんの記事は、原発再稼働問題にも触れていた。このような合理的な考え方、正論が日本に広く浸透するのはいつのことだろう。