ラジオ深夜便「明日へのことば」で「我がブラジル旅役者人生に悔いなし」と題する丹下セツ子さんの話を聴く。
ブラジルのサンパウロを拠点に大衆演劇座長として50年以上、日本人や日系人が居住する町で演劇のボランティア活動を続けておられる。丹下セツ子さんは女優・丹下キヨ子さんの長女だ。丹下キヨ子さんと言えば、清川虹子さんや水の江瀧子らと一世を風靡した女優だ。
ブラジルに渡った母に呼ばれて、ブラジルに居着いてしまったセツ子さんのバイタリティあふれるお話に引き込まれてしまった。
ブラジルは世界最大の日本人居住地だ。日本からブラジルに移民として最初に渡ったのは1908年(明治41)のことだから、110年近くなる。セツ子さんが大衆演劇を始めた50年前は、移民で渡った日本人が広いブラジルのいたるところに居住しておられたようだ。そこで異国の僻地に暮らす日本人が演劇を観て、生きている間にもう二度と観れないと思っていたのに、また日本の演劇を観れてよかったと涙ながらに感激されたことが、セツ子さんにブラジルに留まる決意をさせることになる。次の居住地まで7〜8百kmも移動しながらの過酷な公演の旅。今ではNHKテレビがブラジルでも観れる時代になり、また2世、3世の日系人家族になったので、セツ子さんは公演活動を静かに幕引きされた。
話を伺っていて、戦中に軍隊を慰問する慰問隊の姿と重なって思えた。異国の地に移民をして広い国土のブラジルで過酷な条件下で開拓、開墾をする日本人は、かつての軍隊とは違って平和的に日の丸を背負って国際貢献をした民だ。繁栄する今の日本の礎となって頂いたといっても過言ではないだろう。
この百年間に時代は変わり、今は逆移民として日本はブラジルからたくさんの出稼ぎ労働者を受け入れている。そのブラジルからの労働者を受け入れることは、日本が苦しかった時代に移民を受け入れてくれたブラジルの恩義に報いることになるはず。そんなことを考えながらラジオを聴いていた。