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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会

2024-08-16 12:01:00 | 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆5-4 包容力のある経営者との再会
 竹根の業務と並行して、その後も日本からアメリカ詣でと称して、何人かの経営者が訪問してきた。仕事に熱中することで、東京本社で竹根の業務を支援してくれる、相本かほりのことを、気持ちとは裏腹に忘れようとした。かおりからの業務連絡の手紙を受け取るたびに、暗い気持ちになるのは、以前とは全く反対の感情である。失恋とは、かくも自分の感情をマイナス方向に向けてしまうのかと、今更ながら思うのである。

 次に来るアメリカ詣での中の一人が、福田商事の資本が入っているケント光学の北野原社長であった。ニューヨークに着いたのが四月も末近くである。四月にしては珍しく吹雪く中、飛行機の着陸が一時間延びたものの、幸いケネディ国際空港に着陸できた。
 空港に迎えに出た竹根の顔を見ると、長旅の疲れも見せず、六十歳を超えているとは思えない元気な笑顔を北野原は投げかけてくれた。竹根がアメリカに出張するまえに、工場で加工実習まで体験させてくれた唯一の社長である。竹根の両手を、小柄な北野原ががっしりと握った。竹根には、なにか感動するものがあった。
 竹根はご老体の長旅を気遣って、ホテルまで連れて行ってそのまま別れるつもりであった。
「竹根さん、この寒空の下に俺を一人にする気かね」
「空の下ではなく、ホテルの中ですよ、社長」と冗談を言うと、「ニューヨークのこの寒い時期に、なんで俺が来たのかわかるかい?」と真剣な眼差しに引き込まれて、最上階のラウンジで酒の相手をすることになった。
 下戸である、竹根にアルコールを強要はしないが、酒が飲めないと商社では出世できないということを、アルコールが廻るにつれ、くどくどと言い続けた。竹根には、北野原が自分に期待をしていることが、言葉がなくてもわかった。

 翌日は、日曜日であった。約束の時間に北野原を迎えに行き、北野原が希望していた自然博物館に連れて行った。連れて行ったことは行ったが、むしろ北野原の方がよく知っている。聞くところによると北野原は、フルブライト留学生第一号の一人で、ニューヨークには、終戦後まもなく数ヶ月住んでいたというのである。それだけではなく、博物学にも通じていて、それが顕微鏡を製作することにつながり、福田商事の学校ルートで顕微鏡を販売している。顕微鏡開発の苦労、顕微鏡が日本を代表する輸出商品になるまでの業界の苦労、福田商事の販売ルートに乗せるまでの苦労、熱く熱く語る北野原を見て、自分にはこのように熱く語れるモノを一つでも持っているだろうかと思うと、自分の小人さを思い知らされた。
 ケントという社名は、北野原が学生の時に製図の授業で使った製図器のブランドだそうだ。それは福田商事の商品であることは、当然竹根は知っている。ケント製図器がなければ、今の会社も、今の社名もなかったとしんみりと語ってくれた。北野原の福田商事に対する思いを感じ取った。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会

2024-08-16 12:01:00 | 【小説風】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆5-4 包容力のある経営者との再会
 竹根の業務と並行して、その後も日本からアメリカ詣でと称して、何人かの経営者が訪問してきた。仕事に熱中することで、東京本社で竹根の業務を支援してくれる、相本かほりのことを、気持ちとは裏腹に忘れようとした。かおりからの業務連絡の手紙を受け取るたびに、暗い気持ちになるのは、以前とは全く反対の感情である。失恋とは、かくも自分の感情をマイナス方向に向けてしまうのかと、今更ながら思うのである。

 次に来るアメリカ詣での中の一人が、福田商事の資本が入っているケント光学の北野原社長であった。ニューヨークに着いたのが四月も末近くである。四月にしては珍しく吹雪く中、飛行機の着陸が一時間延びたものの、幸いケネディ国際空港に着陸できた。
 空港に迎えに出た竹根の顔を見ると、長旅の疲れも見せず、六十歳を超えているとは思えない元気な笑顔を北野原は投げかけてくれた。竹根がアメリカに出張するまえに、工場で加工実習まで体験させてくれた唯一の社長である。竹根の両手を、小柄な北野原ががっしりと握った。竹根には、なにか感動するものがあった。
 竹根はご老体の長旅を気遣って、ホテルまで連れて行ってそのまま別れるつもりであった。
「竹根さん、この寒空の下に俺を一人にする気かね」
「空の下ではなく、ホテルの中ですよ、社長」と冗談を言うと、「ニューヨークのこの寒い時期に、なんで俺が来たのかわかるかい?」と真剣な眼差しに引き込まれて、最上階のラウンジで酒の相手をすることになった。
 下戸である、竹根にアルコールを強要はしないが、酒が飲めないと商社では出世できないということを、アルコールが廻るにつれ、くどくどと言い続けた。竹根には、北野原が自分に期待をしていることが、言葉がなくてもわかった。

 翌日は、日曜日であった。約束の時間に北野原を迎えに行き、北野原が希望していた自然博物館に連れて行った。連れて行ったことは行ったが、むしろ北野原の方がよく知っている。聞くところによると北野原は、フルブライト留学生第一号の一人で、ニューヨークには、終戦後まもなく数ヶ月住んでいたというのである。それだけではなく、博物学にも通じていて、それが顕微鏡を製作することにつながり、福田商事の学校ルートで顕微鏡を販売している。顕微鏡開発の苦労、顕微鏡が日本を代表する輸出商品になるまでの業界の苦労、福田商事の販売ルートに乗せるまでの苦労、熱く熱く語る北野原を見て、自分にはこのように熱く語れるモノを一つでも持っているだろうかと思うと、自分の小人さを思い知らされた。
 ケントという社名は、北野原が学生の時に製図の授業で使った製図器のブランドだそうだ。それは福田商事の商品であることは、当然竹根は知っている。ケント製図器がなければ、今の会社も、今の社名もなかったとしんみりと語ってくれた。北野原の福田商事に対する思いを感じ取った。
  <続く>
 
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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 8月15日 「捨てる」「やらない」で業績拡大 3208-4814

2024-08-16 08:21:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 8月15日 「捨てる」「やらない」で業績拡大 3208-4814 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 

 

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

 【小説風 傘寿の日記】
 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。
8月15日(木)
 台風7号が房総半島をめがけて北上中、雨風台風で勢力も強いそうです。
 TVでも、災害用品の点検、停電対策等々、備えをするようにと繰り返しています。
 先日の南海トラフ地震注意報がでたこともあり、人々は今までよりも防災意識が高くなっているようです。
 防災グッズ売り場や飲料ペットボトルなどの売り場は品薄なのだそうです。
 わが家でも点検をし、備えることにしました。

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

 竹根の部下が紹介してくれた企業は、遠方にあるので、オンラインでインタビューと社内見学をさせていただきました。

◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 「捨てる」「やらない」で業績拡大 3208-4814

 コールセンターと、石鹸の製造・販売という全く異なる二つの事業を手がけ、コロナ禍にもかかわらず業績を伸ばしている企業が沖縄にある。K社(那覇市)がそれで、コロナ禍前の2020年3月期に7億3000万円だった売上高は、コロナ禍後も伸長し、売上高が倍増しています。

 創業は2011年4月。4人の仲間によりアパートの一室で起業した。社長のOさんは「東日本大震災の発生直後であり、リスク分散の観点から沖縄へのコールセンター開設意欲は高かった」と振り返る。ユニークなのは、事業開始に当たって「捨てる」を経営方針の一つに据えたことである。

 コールセンター業では通常、かかってきた電話に対してオペレーターが対応した割合である「応答率」で評価する。ところがK社では、顧客からの「ありがとう率」で評価する。一般的なコールセンターの通話時間は3分程度だが、敢えて5~10分以上の長電話を目指す。その代わりに、効率性や24時間対応などは捨てた。この結果、1年半後に「ありがとう率」は25%から70%に向上した。

 また友人経営者の会社の取り組みをヒントに、社員同士がウェブ上でほめ合うツールを独自に開発・導入した。「ありがとう率の高い人を分析したら、実は『ありがとう』を数多く言っている人だった」とOさん。コールセンターは一般的に、インカムを付けた社員が顧客対応に専念し、隣同士でもまったく会話がないというイメージが付きまとう。こうした施策を進めることで、離職率を下げることを狙った。2016年には新本社屋建設と同時に社員食堂を併設させ、18年には保育園も開設。この結果、実際に離職率は大きく下がった。

 16年には石鹸に独自ブランドをつけて物販事業に進出。当初はコールセンター業務を担当していた産休明けや介護をしながら働く女性社員向けの職場を作り出すことが目的だった。子育て中の女性が販売するのにふさわしいものとして、石鹸が浮かび、石鹸職人を探して共同で開発した。熱を加えず時間をかけてゆっくり冷やし固める「枠練り」という手法を採用し、肌に優しく、家族で使える、沖縄らしい石鹸が出来上がった。

 その際、「やらない」ことを決めた。適正な価格で石鹸職人や社員に対価を支払うため「安売りはしない」、作り手の思いや商品の良さを直接伝えるため「卸売りはしない」、そして「広告は打たない」「品質に妥協しない」である。結果として石鹸1個が2000円(税抜き)と高額な設定になったものの、その価値は評価され、現在の店舗数は沖縄県内に12拠点、県外は大阪が3拠点、名古屋・東京は各1拠点の計5拠点まで拡大した。

 K社は今後2年間で、さらに10店舗程度の出店を計画している。「このうち2店舗は台湾と米ニューヨークに出店したい」としており、将来的には欧州やアフリカへの進出も狙う。Oさんは「沖縄の中小企業が世界で活躍するきっかけになれたら最高だ」と力を込める。

【 コメント 】

 東京一極集中の昨今、ICTの時代、業種・業界によっては、企業の所在地の価値はあまり重要ではありません。

 Oさんは、全国区的に、特別に強い産業があるわけではない沖縄という地で、時代の現状を認識し、コールセンター業務という分野に着目しました。企業の成功例として、どの分野にドメインを置くかが大きな要因であることが多いです。

 Oさんは、沖縄の実状を見て、起業をし、コールセンターという分野に進出しました。

 この業界では一般的には応答率で評価されますが、K社では「ありがとう率」という、これまでの常識ではない指標でビジネスモデルを展開しました。これが功を奏したのです。

 そのビジネスを継続するにあたり、産休明けや介護をしながら働く女性社員向けの職場を作り出すという、社員重視の考えから、新たな商品ラインを構築しました。これまでのサービス業とは異なる、石鹸という商品で、製造・物販業の業界参入をしたのです。ここでも、前者のビジネスで培ってきた「ありがとう」重視の姿勢を貫き、コミュニケーションを重視して成功しています。

 異業種参入は失敗することが多いですが、経営理念をもとに、新規ビジネスでも成功した例と言えます。

■【今日は何の日】 
  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930
  ■【今日は何の日】 8月16日 ■ 盆踊り 風の盆恋歌 ■ 月遅れ盆送り火 コロナで寂しいかも

■【経営コンサルタントの独り言】 

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 終戦記念日を知らない人が多い 815

 8月15日は「終戦記念日」です。

 1945年8月14日にポツダム宣言が日本国政府により受諾され、15日には、よく知られている玉音放送が流された日です。

 それまで外国との戦争で負けたことのない「神国日本」ですので、日本が負けるなどとは考えもしないひとにとってはショックを受けたのではないでしょうか。

 当時の人達は、大変な経験をしてこられたと思います。

 先般、NHKのニュースで、若い人の20%もが、終戦記念日がいつであったのか知らないという報道がなされていました。

 さらに信じられないこととして、日本がアメリカと戦争をしたという史実を知らない人もいると言いますので、驚きですね。

◆ 音楽を聴きながらの作業に注意!!
 昨今のビジネス環境では、「複々線思考」が不可欠です。
 しかし、複々線思考で注意しなければならないことがあります。脳神経外科医の菅原道仁先生は「複数の作業を同時進行する『マルチタスク』は、脳に大きな負担をかけている」と警鐘を鳴らしています。しかも、その結果、認知症になるリスクが高くなっているといいますから、怖いですね。
 人間の脳は、シングルタスクを基本としていますので、複数のことを並行して実行しているようでも実はタスクを切り替えて、一見すると複数のことを並行して進めているように見えているだけなのだそうです。すなわち、複数のシングルタスクをスィッチングして作業をしているに過ぎず、そのために脳への負荷が大きく、濃飛炉が大きいのだそうです。

 自動車の運転は、前方や広報を見たり、ハンドルやアクセル・ブレーキ操作をしたりと、あたかもマルチタスクをこなしているように見えます。しかし、これらもひとつひとつの作業をスィッチングしているに過ぎないのだそうです。
 マルチタスクができる人は、優れている人だと思い込んでいましたが、スィッチングの名士なのです。

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまでお話】 バックナンバー

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 

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