■【きょうの人】 0403 隠元隆琦 ■ 道昭 ■ 武田勝頼 インゲン豆の起こり
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 隠元隆琦 隠元隆琦(いんげん りゅうき) 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師 勅賜として真空大師、華光大師、 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。 |
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■ 道昭 どうしょう、道紹や道照とも記します。 舒明天皇元年(629年)生まれ、- 文武天皇4年3月10日(700年4月3日)72歳没 河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の開祖です。 25歳の時に留学僧として唐で学び、玄奘から教えを受けました。また、慧満からは禅を学びました。8年後に日本に戻り、奈良元興寺の境内に禅院を建立しました。そこで玄奘より伝授を受けた法相宗を宣揚(起こす)しました。 晩年は、諸国を遊行して、厚生・済民の事業に従事しました。(無量山傳通院寶暦参照) |
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■ 武田勝頼没 |
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