■【経営士ブログ】1-21 日本経営士協会 沿革・歴史
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日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。 経営やコンサルティングに関する情報はもちろんのこと、その他のジャンルについてもお届けします。 経営やコンサルティングの参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。
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日本経営士協会は、経営に関する相談・診断・指導・調査・企画・教育訓練および管理について、経営者をコンサルティングし支援する人やそれを目指す人を育成している我国で最も古く権威のある協会です。 実力ともに経営コンサルタントとしてふさわしい人をコンサルタントとして認定し、コンサルタントとしての資格である「経営士」の称号を授与しています。 当協会が認定する経営士は、日本経営士協会の設立以来、産業社会における様々な分野で活躍され、多大な社会貢献を果たして来ました。 そしてこの「経営士」の称号は、この功績によって社会より職業としての地位が認められ、資格として高く評価されています。 爾来、日本経営士協会は、「プロ集団+コンサルタント育成」をメインにした活動を通して、1951年に産声をあげ、1953年に第一号「経営士・経営士補」を誕生させ、その結果、社会貢献をし続けています。
■ 日本経営士協会 沿革・歴史
■ 設立の経緯 昭和2年に計理士法が制定され、全国各地に計理士会が誕生しました。そしてこれらの計理士会が、昭和15年に「社団法人日本計理士協会」に統合されました。これが日本経営士協会の母体となります。 日本は、不幸な戦争という体験をし、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導の下、荒廃からの早期立ち上がりの一環として、政府は公認会計士制度の導入を決定しました。その制度の研究のために政府は、黒沢清先生を団長としたミッションをアメリカに派遣しました。 黒沢先生は、公認会計士制度をつぶさに見ている中で、アメリカ経済に経営コンサルタントという職業も重要な働きをしている事実を目の当たりに見てこられました。帰国後、公認会計士制度とともに経営コンサルタントの国家資格を政府に提案しました。 昭和23年に計理士法が廃止され、公認会計士制度が発表された後、昭和24年に「社団法人日本計理士協会」が「日本計理協会」となり、公認会計士制度移行準備団体になりました。そしてその後「日本公認会計士協会」が独立しました。 その当時、欧米先進国では、すでに経営コンサルタントは極めて高く評価されていました。日本においても、政府をはじめ産業経済の各界から経営コンサルタントの誕生を強く要望されており、当時の政財界のトップの方々の勧奨によって昭和24年に、「経営士」という資格名称のもと、日本経営士協会設立の準備に取りかかりました。 昭和26年8月に産官学から関係者が、当時の通産省に参集し、「経営士」を経営コンサルタントの国家資格として確立することになりました。すでに日本経営士協会として設立すべく準備が整っていました当協会は、昭和26年9月10日に、東京都中央区日本橋の野村ビル(野村證券本社ビル)に事務所を構え、「民間における経営コンサルタント資格付与及び育成機関」の先駆者として、いち早く産声を上げました。 昭和28年には、経営コンサルタントの国家資格制度準備の一環として、公募による経営士第一号の先生方が誕生致しました。 【 注 】 これまで、当協会は、公募による経営士誕生の昭和28年を設立の日としてきましたが、資料上の齟齬によるもので、上記のように改めています。 ■ 歴代会長 初代会長:八田 嘉明 日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業、山陽鉄道株式会社入社、逓信省鉄道作業局、鉄道省鉄道次官、貴族院議員、南満州鉄道株式会社副総裁、平沼内閣商工大臣、日本商工会議所、東京商工会議所会頭、東武鉄道株式会社取締役会長、東條内閣鉄道大臣、帝国石油株式会社総裁、東條内閣逓信大臣、北支那開発株式会社総裁、第9代拓殖大学総長、日平産業株式会社社長、財団法人日本科学技術振興財団会長、国際技術協力開発株式会社社長、社団法人日本縦貫高速道路協会会長。 二代会長:藤山 愛一郎 日本の政治家、実業家。外務大臣、経済企画庁長官、日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事、初代日本航空会長、自民党総務会長を歴任した。 藤山コンツェルン二代目。 三代会長:太田 哲三 一橋大学名誉教授、元中央大学教授、一橋大学商学博士。監査法人太田哲三事務所(後の太田昭和監査法人、現新日本有限責任監査法人)開設者、長浜ゴム工業(現・三菱樹脂)社長 黒沢清先生とともに、日本経営士協会設立に尽力し、日本の経営コンサルティング業の生みの親と言っても過言でない存在。。 副会長:黒澤 清 日本の会計学者。横浜国立大学名誉教授・獨協大学名誉教授。経営学博士(神戸大学)東京帝国大学卒、東京大学経済学部に学士入学(太田哲三の要請)。中央大学教授、(会計学と経済学)横浜高等商業学校(新制横浜国立大学の前身の一つ)教授、東北大学教授を兼任。横浜国立大学教授(会計学及び経営学)経済学部長・学長を歴任、獨協大学経済学部教授、学長。日本会計学会理事・日本会計研究学会理事長、会長、名誉会長・日本原価計算研究学会会長・企業会計審議会会長等を歴任。経済安定本部に置かれた企業会計審議会の中心メンバーとして活躍し、企業会計原則の生みの親として知られる。 政府による公認会計士制度ミッション派遣時に、経営コンサルティング業における重要性を感じ取り、帰国後太田哲三先生とともに公認会計士制度の確立と共に、日本経営士協会による日本の経営コンサルティング業の誕生に尽力した。 四代会長:村山 育人 経営コンサルティング業としての経営士資格制度の発展に努力をし、経営士の国家資格化に尽力。8科目による経営士資格付与の試験制度の確立を図る。通信教育による経営士育成にも尽力。 名誉会長:太田 哲三(後に昭和42年 監査法人太田哲三事務所が監査法人一号となる) 顧問:黒澤清 五代会長:古川 栄一 新潟県長岡に生まれる生(1904~1985)。 昭和5年山口高商教授、18年東京商大(一橋大)教授・評議員、青山学院大教授、亜細亜大教授を歴任。日本経営学会やで公認会計士審査会でも活躍。郵政省顧問や通産省産業構造審議会委員なども務めた。著書に「経営学通論」「予算統制論」「内部統制組織」「新経営者」など。 昭和45年に藍綬褒章を授与された。また、多年優れた業績を挙げ学術の進歩と産業界へ寄与した功績により、昭和50年に勲二等瑞宝章を受章。 日本経営士協会知名度高揚に尽力し、電話帳で「コンサルタント」の項を検索すると「経営士の項参照」と、経営コンサルタントという言葉より経営士という用語が検索語となるまでに知名度の浸透を図った。
一橋大学の関連サイトによりますと以下のような記述があります。 「一橋大学が誇る 経営学界の碩学として経営学,財務管理論,経営 戦略論などの学問分野において計り知れない影響 を与えた。また,大蔵省(財務省),通産省(経済 産業省)や文部省(文部科学省)の政府関係委員と して産業界・企業の経営者にその交流を通して多 大の影響を与えた数少ない学者の一人であった」 |
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六代会長:田原 敏夫 大正大学教授他を歴任。勲章受章。財務会計の分野で各種の功績 計理士の流れを汲む当協会のあり方を再考し、簿記分野にも強い経営士育成に尽力し、古川栄一先生がその普及に力を入れた日本経営士協会における財務分析手法を確立した。 七代会長:渡部 甲哉 陸軍士官学校を卒業後、明治大学、中央大学に学ぶ。日本経営士協会設立後まもなくに入会。古川栄一先生の薫陶を受け、協会事務局業務に永年携わり、理事、専務理事を経て、理事長・会長を歴任。2005年に最高顧問に就任後2015年に退任。協会の裏方だけではなく、永年協会の顔としても活躍。 設立満50年を契機にして、2003年(平成15年)9月10日に、内閣府認証特定非営利活動法人日本経営士協会として、第二創業として再スタートを切る立役者。 八代会長:今井 信行 アメリカ留学で経営学、マーケテイングを学び、日本商社勤務後、1970年代に経営コンサルタントととして独立起業。「温かい管理」など[心de経営]を重視し、従来の経営コンサルタントらしからぬ人間性重視のコンサルティングを実施。「組織は力なり」の精神で、中小零細企業から大企業、官公庁他で地道な実績をあげた。パソコン揺籃期から管理会計の精神を重視した経営情報活用の重要性を説く先見性と、マーケティング思考のわかりやすい経営戦略支援。経営、パソコン関連など幅広い分野の多数の著書や論文・寄稿・講演などで活躍。日本のコンサルタントの地位向上・若手育成に力を注き「コンサルタントのためのコンサルタント」の異名を持つ。 協会の第二創業といわれる2003年の新体制を刷新し、2004(平成16)年6月新第二創業といわれる変革を断行するなど、強いリーダーシップと決断力・実行力は協会の更なる発展に大きく寄与することとなった。 日本経営士協会は、着々と地歩を固めつつ65年余を経過しました。職業人としての経営士の地位は揺るぎなく、社会的承認と信任を得て今日に至っています。 |
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