もう後・・・と数えるほどに今年のカレンダーが残り少なくなってきました。今年は午年、そんなこともあってか今年はずいぶん急ぎ足で過ぎていくような気がします。自分にも色々なことがあり、わたしの周りの人々にも色々なことがあり・・・いつもの年よりもそんなこんなの慌ただしさが最後まで続いているような。
それにしても 時のすぎる速度がこんなにも早いということを実感するようになったのはいつごろからなのでしょう。若いときは無我夢中で一日を終えていましたが、今よりももっと一日を長く感じた気がします。これも一日一日と終着駅へ向かっているという気持ちがなせる技なのでしょうか。
来年は未。ひつじのマウス画を引っ張ってきました♪
懐かしい絵柄に昔を振り返りつつ。
少し前に 自分を反省することがありました。
いつもの温泉で。
その日は ひとりで出かけていましたが、たまたま母は次の日に行くからお前ひとりでたまにはゆっくり浸かってきたら?と言われていました。少し体調も良くなかったので、今日はひとりでのんびりしてこようと思いました。その日は人も少なく 本当にのんびりと過ごしていました。
その温泉で たまに会う人がいます。その人とは母ともども因縁のある方で、弟のこともありわたしとしてはあまり口を聞きたくない人でした。その気持ちがあるせいか ほとんど話しかけたりせずにいたのです。母は見かけると声をかけたりもしていましたが。わたしの中にその人に対するわだかまりが消えていなかったのです。
そのひとりで行った日、偶然にもその人とばったり出くわしてしまいました。
思わず わたしは声をかけていました。かけるつもりなんてなかったのですが。話しかけたら全然平気でした。自然と話せました。その人は入ってきたばかりで わたしは上がっていくところでした。湯船に浸かっているとその人がまた近づいてきて
「お母さん どこか具合が悪くなったの?」と訊いてきました。
わたしがひとりで来ていたので心配になったようでした。明日 病院に行ってから来るから今日はお休み、元気だよと告げるとホッとした顔をしていました。
脱衣所に行く前に その人に
「ゆっくり体を温めてね」と声をかけるとちょっと嬉しそうな顔をしていました。
母に「○○○さん 母さんが来ていなかったから具合悪いのかって聞いてきたよ。」と言うと、母がなんだか嬉しそうな顔をしていました。心配してくれたということが嬉しかったのでしょう。
わたしが
「自分から声をかけると相手も変わるのかもしれないなあ」と言うと、母が
「気にしているのに自分から声をかけにくく思っている人も世の中にはいる。そういう人にはこっちから声をかけてあげることも大事だよ。」
と言いました。そういえば 母は見かけると自分から声をかけていたことを思いだしました。わたしがいつまでもわだかまりを持ち続け 知らんふりをしていると関係も和らぐことはないんだなとつくづく反省。
声をかけることの大切さを学んだ気がしたひとときでした。
昔 どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても現在の自分が今 こうして生きていることを思ったら、相手の言動をいつまでも気にするのは 愚の骨頂。生きている自分たちが大いに笑い、明るく過ごすためにも「あんなこともあったね」ぐらいに納めて 前を見るのが一番。
今年もあと少し。まだまだ反省だらけのわたしだけど、反省したら前に進みたいなと思っています。
それにしても 時のすぎる速度がこんなにも早いということを実感するようになったのはいつごろからなのでしょう。若いときは無我夢中で一日を終えていましたが、今よりももっと一日を長く感じた気がします。これも一日一日と終着駅へ向かっているという気持ちがなせる技なのでしょうか。
来年は未。ひつじのマウス画を引っ張ってきました♪
懐かしい絵柄に昔を振り返りつつ。
少し前に 自分を反省することがありました。
いつもの温泉で。
その日は ひとりで出かけていましたが、たまたま母は次の日に行くからお前ひとりでたまにはゆっくり浸かってきたら?と言われていました。少し体調も良くなかったので、今日はひとりでのんびりしてこようと思いました。その日は人も少なく 本当にのんびりと過ごしていました。
その温泉で たまに会う人がいます。その人とは母ともども因縁のある方で、弟のこともありわたしとしてはあまり口を聞きたくない人でした。その気持ちがあるせいか ほとんど話しかけたりせずにいたのです。母は見かけると声をかけたりもしていましたが。わたしの中にその人に対するわだかまりが消えていなかったのです。
そのひとりで行った日、偶然にもその人とばったり出くわしてしまいました。
思わず わたしは声をかけていました。かけるつもりなんてなかったのですが。話しかけたら全然平気でした。自然と話せました。その人は入ってきたばかりで わたしは上がっていくところでした。湯船に浸かっているとその人がまた近づいてきて
「お母さん どこか具合が悪くなったの?」と訊いてきました。
わたしがひとりで来ていたので心配になったようでした。明日 病院に行ってから来るから今日はお休み、元気だよと告げるとホッとした顔をしていました。
脱衣所に行く前に その人に
「ゆっくり体を温めてね」と声をかけるとちょっと嬉しそうな顔をしていました。
母に「○○○さん 母さんが来ていなかったから具合悪いのかって聞いてきたよ。」と言うと、母がなんだか嬉しそうな顔をしていました。心配してくれたということが嬉しかったのでしょう。
わたしが
「自分から声をかけると相手も変わるのかもしれないなあ」と言うと、母が
「気にしているのに自分から声をかけにくく思っている人も世の中にはいる。そういう人にはこっちから声をかけてあげることも大事だよ。」
と言いました。そういえば 母は見かけると自分から声をかけていたことを思いだしました。わたしがいつまでもわだかまりを持ち続け 知らんふりをしていると関係も和らぐことはないんだなとつくづく反省。
声をかけることの大切さを学んだ気がしたひとときでした。
昔 どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても現在の自分が今 こうして生きていることを思ったら、相手の言動をいつまでも気にするのは 愚の骨頂。生きている自分たちが大いに笑い、明るく過ごすためにも「あんなこともあったね」ぐらいに納めて 前を見るのが一番。
今年もあと少し。まだまだ反省だらけのわたしだけど、反省したら前に進みたいなと思っています。