
暑苦しい時期が通り過ぎるのはいつかなと、そればかり思っているような気がします。
昔のことを思い出しました。
あれは、独身時代のこと。
わたしは高校の先輩に勧められて、詩の同好会めいたものに誘われていました。同人誌を発行しているその会には、色々な方が参加していて、毎回、同人誌を発行するたびに反省会なるものを催していました。
その毎回の中の幾度かに誘われて、参加したのでした。
わたしにとっては何もかも新鮮で、それでいてどことなく自分とは違う部分を感じながらの参加でした。
その参加者の中にわたしの地元の方がいて。ある日、その方に誘われて喫茶店で待ち合わせをしました。そこにはその方のお子さんがいて。女の子でした。まだ小学生、何年生だったのか。
そこでその方と詩についてあれこれと談義しました。といってもわたしは全然ペーペーでしたので、その方がすごい方だと思っていたので、ただ聞く一方でしたが。
お子さんは近くの席にいて、何をしていたのかな、静に本を読んでいたのかな。口数の少ない子だという印象でした。
そんな感じでしたが、そのうちその子とちょっと話をすることもあり、だんだん打ち解けてきたことを思い出します。
わたしがその子と話しているのをその方はなんだか嬉しそうに見ていました。
その後、しばらくしてその方から連絡が入り。
娘は妻が亡くなってから打ち解ける相手がいず、学校でも孤立していると。できればわたしに話し相手になってほしいと。
それで一度だけ会いました。
でも、その後わたしは遠くに勤務が決まり、その娘さんともその方とも会う機会はありませんでした。
何年後か、どういういきさつなのかは思い出せませんが、あるとき、その方が亡くなったことを知りました。
自殺だということでした。文筆だけでは暮らしていけなかった様子だと人づてに伺いました。
残された娘さんのことを思いました。
あの、静かにお父さんのそばで言うべき言葉も何もなく佇んでいた方のことを。
今はどうしているのでしょうか。
誰も頼りにできず、でもただ一度だけ知り合ったわたしのことを少しだけでも心寄せる方だと言ってくれた娘さん、そのことを頼りに意を決して連絡してくれたその方。
でもわたしの心は、その方にはなかった。
片道切符は頼りない。
子供のためにと言われても、子供じゃだめなのです。当人同士が相思相愛でないと。
わたしにはその方を思う程の気持ちがなかったのです。というか、そんなことちっとも考えてもいなかったので、唖然としていたのが本当なのでした。
その方の詩も文章も素晴らしく、新聞にもたびたび掲載されていて、それを読むたびに凄い方だなと思っていました。そんな方と喫茶店で詩談義をしたこともまたわたしにとってはなんだか夢のような気分だったのでした。
でも、自殺するほどの生活だっったのかと、その事実を知っても信じられなかったのです。
わたしが関わった人々、人生の中で知り得た人々、でもわたしの頭の中でまるで呆けたように名前も浮かんでこないのです。そのときのシーンもおぼろげで、一体わたしはそこで実際に生きていたのかと危ぶむほどに不確かなのです。これは、一体どうしたことでしょうか。名前もハッキリしたものも何も見えないという、わたしの中の思い出は当事者がいないと互いに分け与えることが出来ないのかなと、あの頃のことが靄がかった景色に溶け込んでいくのを感じています。本当にあの方はいたのでしょうか。
昔のことを思い出しました。
あれは、独身時代のこと。
わたしは高校の先輩に勧められて、詩の同好会めいたものに誘われていました。同人誌を発行しているその会には、色々な方が参加していて、毎回、同人誌を発行するたびに反省会なるものを催していました。
その毎回の中の幾度かに誘われて、参加したのでした。
わたしにとっては何もかも新鮮で、それでいてどことなく自分とは違う部分を感じながらの参加でした。
その参加者の中にわたしの地元の方がいて。ある日、その方に誘われて喫茶店で待ち合わせをしました。そこにはその方のお子さんがいて。女の子でした。まだ小学生、何年生だったのか。
そこでその方と詩についてあれこれと談義しました。といってもわたしは全然ペーペーでしたので、その方がすごい方だと思っていたので、ただ聞く一方でしたが。
お子さんは近くの席にいて、何をしていたのかな、静に本を読んでいたのかな。口数の少ない子だという印象でした。
そんな感じでしたが、そのうちその子とちょっと話をすることもあり、だんだん打ち解けてきたことを思い出します。
わたしがその子と話しているのをその方はなんだか嬉しそうに見ていました。
その後、しばらくしてその方から連絡が入り。
娘は妻が亡くなってから打ち解ける相手がいず、学校でも孤立していると。できればわたしに話し相手になってほしいと。
それで一度だけ会いました。
でも、その後わたしは遠くに勤務が決まり、その娘さんともその方とも会う機会はありませんでした。
何年後か、どういういきさつなのかは思い出せませんが、あるとき、その方が亡くなったことを知りました。
自殺だということでした。文筆だけでは暮らしていけなかった様子だと人づてに伺いました。
残された娘さんのことを思いました。
あの、静かにお父さんのそばで言うべき言葉も何もなく佇んでいた方のことを。
今はどうしているのでしょうか。
誰も頼りにできず、でもただ一度だけ知り合ったわたしのことを少しだけでも心寄せる方だと言ってくれた娘さん、そのことを頼りに意を決して連絡してくれたその方。
でもわたしの心は、その方にはなかった。
片道切符は頼りない。
子供のためにと言われても、子供じゃだめなのです。当人同士が相思相愛でないと。
わたしにはその方を思う程の気持ちがなかったのです。というか、そんなことちっとも考えてもいなかったので、唖然としていたのが本当なのでした。
その方の詩も文章も素晴らしく、新聞にもたびたび掲載されていて、それを読むたびに凄い方だなと思っていました。そんな方と喫茶店で詩談義をしたこともまたわたしにとってはなんだか夢のような気分だったのでした。
でも、自殺するほどの生活だっったのかと、その事実を知っても信じられなかったのです。
わたしが関わった人々、人生の中で知り得た人々、でもわたしの頭の中でまるで呆けたように名前も浮かんでこないのです。そのときのシーンもおぼろげで、一体わたしはそこで実際に生きていたのかと危ぶむほどに不確かなのです。これは、一体どうしたことでしょうか。名前もハッキリしたものも何も見えないという、わたしの中の思い出は当事者がいないと互いに分け与えることが出来ないのかなと、あの頃のことが靄がかった景色に溶け込んでいくのを感じています。本当にあの方はいたのでしょうか。
わかる気がします
顔に見とれて話していると話の内容はあまり
思い出せない、魂と魂(心と心)で話し合うと顔はあまり思い出せないけど
話の内容は一言一句まで思い出す
確かにそこには存在していたんですよ。
誰かの中でもわたしの存在があるのかな、それとも誰の中にもないのかな・・・
ふと思い出すことの多くに見え隠れするどこかぼんやりした部分があります。
yottinさんの思い出の中にある方は、どんな方だったのかなと思ってしまいました♪