心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ミントを浮かべて

2014年10月15日 | ほんのすこし
近頃 部屋の中で小さいながらもその存在をわたしに見せつけているものがある。
小さな鉢。ミントの種類は色々あるようだけど どんな名前のだったか忘れてしまった。薄緑色のそれは ひょろひょろと枝を伸ばし 柔らかい葉をつけている。
ときどき その葉を取って指先でこすり 鼻先に持ってくると、なんともいわれない爽やかな匂いがする。飲みかけのコーヒーカップの受け皿にそっと置くと そこだけ淡い緑が鮮やかで 見ていても気持ちいい。

たとえば 夜は こうして厚手のグラスに氷を入れ 炭酸水を入れた上に浮かばせる。
下からシュワーっと小さな泡が薄緑色の周りに浮かんでくるのが見える。

しばらくその泡と薄緑色のコラボを楽しみつつ、静かな時間が過ぎて行く。

今までの生活になかったものが入り込むというのは 新鮮で、自分の中に少しずつ変化が生まれる兆しだとも思えてくる。それが人間ではなく こうした薄緑色の可愛らしいものだったりするのが不思議だ。
人は意識を変えること(マイナスからプラスに)によって 引き寄せるものが違ってくる。同じ出来ごとでも受け取り方によって これからが違ってくる。何度も感じてきたことなのだが、やはりマイナスに陥っているとなかなかそこから抜け出すのは難しいものだ。きっぱりふっきっていく力が必要なのだ。
日々の痛みとぼんやりした感情に支配されて 周りにある素敵なものに目を向けようとしていなかった。人は見たいものしか見ていないという。本来 目の前に在るのに、見ていない。そして必要としたときに それがそこに在ったということに気づく。
人間関係もそうかなと思う。いつも周りにいるのに そこにその人がいるということに気づかず、遠くにいる人ばかりを追ってしまう。本当は近くに自分を心配してくれている人がいるのに・・・そんな設定がよく小説やドラマにあるけどね。それは半分当たっているね。

ミント一枚で あれこれと考えをめぐらす。
カランと氷が溶けて角が丸くなっていく音がする。
頭の痛みも溶けていってくれたらいいのに・・・

秋の夜は なんとも静かで長い。

緑があるっていいな

2014年10月14日 | 母のこと
台風が通り過ぎるというので 昨日からあれこれと母のところでお手伝い。鉢植えを移動したり 外に出たついでに買っていた「どっ恋しょ」と黒土を混ぜて ユリの球根のある場所に置いたり。菊を鉢から出して植え替えするのを教えてもらったり。幸い その作業をしている間は 雨も降らず どんよりした空の下、日焼けの心配もなく(笑)やり終えました。
冬支度が迫っていますね。母と庭の樹を見ながら 伸びきった枝を切らなくちゃと。
母はわたしが切る役目なのに 面倒だから来年の梅雨入り前に切ればいいと言う。切るのはわたしだから そのわたしが切ってもいいというのに めんどくさいから止めろと言う。
はいはい めんどうなのね、切るのはわたしなのに。そのわたしが切ってもいいと言ってるのに・・・
ちょっとふてくされた顔で もみじやモクレンを見た。

まぁ いいでしょ。母さんがそう言うなら。お好きなように♪

多分ねぇ、切るのを見てあっちを切って こっちも切ってと指図する監督の役目が面倒なんだと思うな。自分が思うようにわたしがやるかというと そうでもなかったりすると それがストレスになるんじゃないかな。
見ている間 ずっと外にいるのも本人にとっては大変な状態だしね。
人に何かをやってもらうというのは 自分の中の理想とする状態からかけ離れていくのを見るのは辛いもので、母の場合は 色々と自分なりにこうあってほしいというものがあるから そのギャップが嫌なんだろうなと思う。わたしのようにそんなに気にしないのであれば やってもらってラッキー♪って思うんだろうけど。

母は元気なとき ひとりでレンガを積んだり あれこれ庭いじりを楽しんでいた。毎年 どこにどんな花を咲かせるか 花が咲く様子を想像しては楽しんできた。どこへ行かなくても狭いけど自分の庭があるから それを眺めているだけでしあわせなのだと感じてきたようだ。今でも 家の中にちょこっとでも花や観葉植物があると喜んで見ている。ベッドに横になりながら 緑を眺めているだけで気持ちがいいんだと言う。
わたしはそういう母の気持ちが今まではあまりわからなかった。花は切り花で買ってきて花瓶にたてるのがせいぜいで、鉢植えにも挑戦してみたが いつも長続きしなかった。だからわたしは育てるのは無理なんだと思ってきた。
でも最近 母からもらってきた観葉植物を部屋に置いていて それを毎日眺めているだけでなんだかホッとするようになった。ミニ鉢のシャコバサボテンも買ってきて 白い花と赤い花が綺麗に開いているのを見て満足感を覚えている。ペパーミントの葉をこすって香りを楽しむことも覚えた。
緑があるって こんなにココロを穏やかにしてくれるんだなぁ。
植物の力はすごいね。
植物に関して母の偉大さを感じるこの頃だ。

いつまで続くのか・・・

2014年10月13日 | ほんのすこし
不安になる。いつまで続くのかと。
10月からひどくなっている更年期症状。今では 買い物に行っても レジに立っているのが辛く感じるときもある。漢方薬の裏に めまい 動悸 などの症状が書かれていて、そんなことも起きるのか?と思っていたのだが、なんと 次々にそれが当たって・・・どこにも行けなくなってしまった。
たくさん人が集まるところなんて絶対無理。
秋は あちこちでイベントがあり、連日 新聞に掲載される行事を見ては 行っていたらなぁ・・・と想像して終る。母が
「お前も行けば良かったのに」と言うが、今のわたしには辛いなと感じる。
頭が重く 偏頭痛もあり、ときどきビクンっとした痛みが出てくる。最初は10年前のことを思い出して 不安になったが、あのときの頭痛とは全然違うことが分かってある意味 ホッとしている。でも 頭痛は布団に入っても起きるときがあり、それがあるとしばらくは眠れない。
起きているときでも 突然 頭痛が起きることがあるが、いつのまにか収まるので 最近はあまり気にしないことにした。
今は ゆっくり 通り過ぎるのを待つことにする。

こうしてパソコンに向かっていても 体が揺れているような感じがする。だから横になっていると楽なのだ。ほんとにナマケモノになったなぁと思う。こういうときは ひとりで良かったと思う。誰かと一緒だったら 誰かのために何もできない自分を責めてしまうだろうから。母のことは やれるだけのことをしている。わたしの唯一の気分転換になっている。今はそれだけで精いっぱい。
それでいいのだと 自分を言いくるめ、できなかったこと(外出)を逃した無念さは この体が治ったら たくさん出歩くことで解消しようと思う。まぁ 基本 人が大勢集まるところとかは苦手だけどね(笑)
母は自分のせいで わたしがどこにも出かけなくなったと思ったらしいが、そうではない。更年期症状が緩和されたら どんどん遊び歩くから と笑って言ったら 安心したような顔をしていた。

さてさて、一体 いつまで続くのやら・・・

更年期なんです

2014年10月10日 | ほんのすこし
これまで何度か 更年期症状に陥ったことはある。最初のときは ひどくて、一体これはなんなんだろうと不安でいっぱいだった。でも それが更年期の症状だとわかってから少し気分が軽くなった。自分の気持ちさえしっかりしていれば乗り越えられると思ったからだ。
そして しばらく大変だったが、いつのまにか消えていた。
それが一度だけではなかった。何度か繰り返されてきた。そのたびにいつのまにか消えていたし、自分でもあまり考えないようにしてきた。それが良かったと思う。

だが、今回はなんだかそう簡単には終わらないようだ。漢方薬を飲んで 様子を見ているが、毎日 違った体調でね。運動をしなくなったからかなぁとか思って 部屋にいてもふくらはぎを揉んだり 軽い柔軟体操をしたりとかするようにしているのだけど。
こうなると 人間って悪いことを考えてしまうんだね。
それが体に悪い影響を与えてしまうって わかっているのにね。

朝はそういった自分を陥れる考えを払しょくしようと思って きれいさっぱりした気分を保とうと思っている。一日の始まりが不安に満ちていたら これから過ごす時間が辛くなるだけだものね。
色々な症状が出ているけど、一つ一つ不安になっていたらきりがないから、もうこれはしょうがない。それだけ年をとったって証拠だと開き直ることにした(笑)
加齢と共に出てくる症状は様々だ。できれば それが少しでも軽く出てくれるように普段の鍛錬が大事なのだと友人が話していた。なるほど・・・ずっと歩いていないしなぁ。食べて動かない じゃ どこかに変化が出てくるのは当たり前だよなぁ。

それでも 体調が良くないことが多いので、そういうときは図太く「今日は寝て曜日だ♪」とごろんとしている。昨夜はそんな感じでゴロゴロして『マスカレード・イブ』を読み終えた。テレビを見る気も起きなかった。巷では 国民文化祭たけなわで地元で開催されるものがいくつかある。どれにも行きたいけど、人が大勢集まるところに行くと調子が悪くなる。こんなんで行けるのか?とちと不安になる。
横になってゴロゴロしていると調子がいいって ナマケモノみたいだねって思うけど、これが今のわたしに一番いい状態みたいなんだなぁ。当分はどこにも出ていけないかもね・・・

実のなる樹

2014年10月09日 | ほんのすこし
小さな実がつく樹はいろいろある。
その実が一番 目につくのは 冬が近づく秋だと思う。花が目につくのは目覚めの春から夏にかけてだと思うし、見事な開花に目を奪われることが多い。
樹が小さな実を秋につけるのは 神さまが大好きな葉っぱが落ちて可哀想だと思い それぞれの葉っぱを小鳥にしてあげて その小鳥たちが寒い冬に向かう秋に食べ物に困らないようにと 樹に実をつけるようにしたのだという童話を読んだことがある。
そして 小鳥たちはそれぞれの前身である葉っぱのある樹の元に集まるのだと。親を慕って。

そんなおはなしを庭にある小さな実をつける樹を見かけると ふと思い出す。
あのおはなしを描いた方はどんな方なのだろうかと思う。心根の優しい方なのだろうと思う。
枯れて行く葉の行く末を思うときに 頭に浮かんだのだろうか。チロチロと夏の木漏れ日の中 柔らかな風に揺れる緑の葉を見たときに 思いついたのだろうか。
散歩しているときに思いついたのだろうか。
広い草原に たたずむ数本の樹を見たときに思いついたのだろうか。
いずれにしても その方の想像の世界を羨ましく思える。

小さな実は 人間には食べられなくても 小鳥がついばむことはできるだろう。小鳥が食べなくても その実は地面に落ちて やがて次の命に変えられていくだろう。こうして今 結実した姿を見ることができて植物の勢いを垣間見ることができて ひっそりとした力を感じる。
反面 自分の力の無力さを思い出すのだが、それでも小さきものの力を感じることで 少しだけ前に進もうとする力をもらえる気もする。
小さくてもなんと強いのだろう。自分の道を全うしているのだなと、秋の実を見ていると感じるのだ。

おばんです2

2014年10月08日 | ほんのすこし
温泉にて。

上がって着替えをしていたら 顔見知りの人が入ってきた。
「こんばんは~」と言って入ってきたので わたしが
「おばんですぅ」と言ったら、その人が慌てたように
「おばんです」と言いかえたので すかさず 
「あーやっぱり若いなあ。こんばんはって言うんだぁ」と言った。
すると 隣に座っていた知り合いが
「もっと別にも言うよ。晩げになったなんす って。」
「へえ そういう言い方もあるんだぁ」とわたし。
「いやいや わたしも知ってるよ。年いった人がよく言うよな。」
わたしが真似をして「晩げになったなんす」と言ってみると
「う~ん なんか違うなぁ、イントネーションかなぁ」
「年いった人が言うと 雰囲気が柔らかいんだよねぇ」
「ほぉ~」
でも こんばんはって言うよりも おばんですの方がいい感じがするよねぇ。」「うんうん」
「「お」ってつけるからかねぇ。」
「そうかもしれないねぇ。」
そこまで話して、顔見知りの人がすっかり服を脱ぎ 温泉の中に入っていこうとしたので、思わずわたし。
「おゆっくりねぇ」と言ってしまった。
もう脱衣所は爆笑の渦。
ごゆっくりと言うつもりが 直前の「お」のつく話をしていたことが頭にあって おゆっくりと言ってしまったのだ。
でも おゆっくりって お湯っくりって感じにもなって いいんじゃない?←これは後でひとりで思ったことだけど。

母には散々 「お前 なんでも「お」をつければいいってわけじゃないだろ?」と言われましたとさ。

皆既月食でした

2014年10月08日 | ほんのすこし
母のところからの帰り道。
見上げた東の空、低い山の上にぽっかりと大きなオレンジのお月さまが出ていた。今日のお月さまはすごいなあーーー運転しながら空が気になってしょうがない。

駐車場について 急いで通りの向こうの空にあるお月さまを写してみた。あんなに大きく見えても写すとなると小さなサイズ。残念、臨場感がちっとも伝わってこない。仕方ないけど パチリパチリ。
くつろいでいたら メールが入った。友人からだ。皆既月食だよ と。
ベランダに出て しっかり見た。
あぁ いましも欠け始めている・・・

それから何度もベランダに出て お月さまとにらめっこ。
そのうち 娘から電話があって しばらく話しこんでいた。娘のすぐそばで孫が時折叫ぶ(笑)声がする。来月には一歳になるんだね。鼻水が出ていると言っても 元気な声だ。無事に一歳を迎えられますように・・・

電話が終わって外を見たら 薄~くて細いお月さまが見えた。見ているうちにすっかりとぷんと空の暗さにまぎれてしまった。あっというまに輪郭が消えてしまった。

すると娘との電話中に着信があったようで、何事かと電話した。これまた友人が 皆既月食を外で見ていてかけてきたというのだった。空を見ると 今度はゆっくりオレンジの輪郭が見えて 少しずつ形を現わしていった。電話をしながら 綺麗だねぇと言いつつ うっとりと見ていた。
まるで友人が隣にいて一緒に見ているような不思議な感覚だった。

素敵な夜・・・
なんて 素敵な夜なんだろう・・・

なんだかしあわせな気分で ほっこりしたままホットカーペットの温かさにぬくぬくしている。誰かと話すっていいなぁ・・・



ゆっくりと

2014年10月08日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

ゆっくり ゆっくり かたつむりが葉っぱの上を動くように
動いたと思えないほどの動きで
微動だにしない直立姿勢というわけではなく
ただ ゆったりとした自然体で
そこに溶け込んでいるかのごとく
時間を享受できたら と
わがままなことを
ときどき願ってしまう
限られた命だというのに

※※※

※※※

嬉しい知らせが飛び込んできた
あぁ どうしよ
誰かに話そうか
それとも自分の胸にしまっておこうか
きっと 誰も気づかないだろうから

そっと自分を抱きしめてみる
わたしはここにいるぞ
なんとなくうきうきして

やっぱり 母さんだけには教えよう

そんなことを思ったりしたときもあったなあ

※※※

朝に思うのは

2014年10月07日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

時の移ろいの間に 
はかなく佇むものを見つける。
でも それははかないと感じるこちらの感覚であって 
向こうはそんなことは露ほども感じていないのだ。

生まれたからには精いっぱい生きる!といった毅然とした立ち姿で 
最後は土に還るのだ。

群れて咲いている小さな花にも命が宿っている。
風に揺れると 風の意のままにせざるを得ない運命は変えようもない。
だが、風が通り過ぎていった後には 
また体制を整えて立っている。
風が風速○○メートルといった凄さでない限り 
しなやかに彼女らは舞い踊る。

風に自身をゆだねて 最後は自身の重みで 
倒れていく行く末を知ってか知らずか、
彼女たちの今は美しい。

※※※

今朝 眠れなかった時間が嘘のように深い眠りから覚めた
あぁ なんという満足感だろう
眠った という満足感

自分の細胞が生まれ変わるための
確かな休息の時間なのだ
めまぐるしく頭の中で動いていた日中の感覚が
自分の感知しない場所で目覚めを待っている
その任せきりの状態が
なぜか 居心地よく感じられる
決定権は自分ではない 何か
しかし 決定されるまでの自分を作るのは 今の自分

訳のわからない禅問答のような堂々巡りの思考も
みんないっしょくたにして 眠りの中で消去しよう
目覚めたら 真新しい自分になっていることを願って

※※※

なんとなく

2014年10月06日 | ほんのすこし
この頃 目に留まるのが そんなに綺麗というわけでもないけど なんとなく気になるもの。
歩いていると 道端のこうしたたたずまいが気になって ついパチリ。
線路わきの柵は 出来た当時は新品で色の塗りもピカピカだったのだろう。今は何年ものときを経て塗料も剥げかけている。その柵の間を縫うように雑草が生い茂っている。短い秋の間に 次の世代へと種を残そうと。

雑草の力強さにはいつも感服する。
アスファルトの少しの隙間にさえ その存在を見せ付ける。

その逞しさのほんの少しでも欲しいと思わずにいられない。わたしには無いものだから。

蝶よ花よと育てられた花よりも どんどん生い茂っていく姿に惹かれる。



どうやら秋が魔法をかけていったらしい。様々な色に変化している葉っぱ。緑の中に点在する葉の色に目を奪われる。



散歩の途中にあるこの家の周りはなんて素敵な秋なんだろう・・・



いつもここに来ると立ち止まってしまう。

台風が近づいていたので 昨日 今日と歩くことができなかった。一日歩かないと 葉っぱは色を変えている。そろそろ鮮やかな色からくすぶった色に変わっている頃だろうか。
台風が来ると 寒さが一気にやってくるなあと 母がつぶやいていた。ブルッと肩をすくませて まだまだ冬が来ないといいねぇと母に言うと
「冬なんか来なければいい。雪のことを考えるとうんざりするよ。」
と憂鬱そうに母が答えた。頭の中にどっさりと降り積もった雪の姿が浮かんだ。今年の冬はどうなるのだろう。
不安な季節がもうそこで待っているようだ。そういえば心なしか 今日は家の中が寒い気がした。部屋の中にいても鼻の頭が触ると冷たい。我慢せずにストーブの準備をしたらいいのかな・・・