昨日正月元旦は日本刀を鞘
に納めたままお休みしよう
と思っていたが、やはり刀
剣観賞をし、手入れをして
しまった。
観賞の際は、刀身を立てて
差し表を自分に向けて、ま
ず刀の顔である表の鋩子
(ぼうし)から観て行く。
そして下に進み刀を裏返し
て今度は見上げる。
まず最初は全体の姿を遠目
に見て、反りと造りのバラ
ンスを観る。
当て鑑定の場合は、全体像
を把握することで時代を絞
り込んで行く。
最終的には作者まで言い当
てることを目指す。
重ねについても棟側をよく見
て、どのような特徴があるの
かを看取する。
この脇差は重ねことのほか厚
い。
また肉(しし)置きが厚いの
か薄いのか等についてもきち
んと把握する。同時に研ぎの
状態も見取る。
刀身はまず鉄を観る。鍛えの
肌目が板目か杢目か小杢目か
小糠か肌がざんぐりとした大
肌か肌目が均(つ)んだ物か
を把握する。
また、刀剣の地肌というもの
は、折り返し鍛錬の鍛え鍛接
肌だけではなく、熱変態によ
る質性の変化と構成群の形成
状態が必ず刀身に顕れている
ので、それもよく把握する。
地錵(じにえ。地沸)がある
のか映りがあるのか、あるな
らばそれがどのような状態な
のかを掴みとる。
また、映りなのか白け心なの
か、それは研ぎ減りによる疲
れ映りではないのか、映りの
種別は何であるのか、清み肌
のあるなし、その他すべて刀
身地鉄に現出している状態を
つぶさに肉眼で観て把握する。
鉄の色味についても見逃さな
いようにする。
地の働きは折り返し鍛錬によ
る鍛接の鍛え肌だけでなく、
熱変態による肌の形成も見逃
さない。地景(ちけい)や地
斑(じふ)が出ているか否か
等々もつぶさに見取るように
する。まず「刀の中にある景
色」を肉眼で見てその風景を
すべて脳裏に焼き付けるので
ある。
落ち着いた中にも非常に変化
に富む働きの激しい地鉄(じ
がね)に鍛え上げている。江
戸初期と観えるが、古作京物
のような風合いもある。
刃文の観賞は、焼き刃と地の
堺の焼き刃の頭部分が「刃文」
なのであり、研ぎ師が白くこ
すり描いた物が刃ではないの
で注意を要する。日本刀に昏
い人は大抵は研ぎ師が描いた
白い部分を日本刀の刃であり
刃文であるかと誤認して思い
込んでいる。本当の刃は光に
透かして光を反射させないと
見えない。これは物理的に見
えない。光線は約30度の角度
で反射させる位置で本当の刃
文が浮かび上がって見えてく
る。
マルテンサイトの結晶粒が大
きい=錵が多い錵(沸)本意
の錵出来か、あるいはマルテ
ンサイトが霧のようにかすむ
粒子が細かい匂い出来である
のかも刃の熱変態により現出
させられている現実の目の前
に見える状態によって識別お
よび掌握するのである。
刃中の観賞は、まず全体の刃
文を観て把握する。
日本刀の刃文は直刃(すぐは)
か乱れ刃しか存在しない。
その二種類にも多くの種別が
あり、直刃と見えても小乱れ
や小丁子であったりする作も
あるので、特徴をよく捉える。
刃中が冴えて明るいかそれと
も暗く沈みごころなのか、刃
縁(はぶち)が締まっている
のか眠くうるんでいるのかに
ついても状態を把握する。
刃中や刃縁に刃に砂流し(す
ながし)があるのかどうか、
金筋が走るかどうか、足が入
るのかどうか、葉(よう)が
あるのかどうか等々もその刀
身の特徴が何であるのかを見
取って把握する。
さらに刀身の顔である鋩子に
ついては、十二分に状態を見
るようにする。横手の位置、
フクラのカーブ、鋩子の長さ
と鋒(きっさき=横手から先
の旨側)の在り方、鋩子の中
の刃文の状態働き、返り方
等々をすべて目をつむっても
言える程に状態把握をする。
刀身の作りや変化変態の状態
を鑑賞して把握するのと同時
に各部位の寸法についても、
どのような作りになっている
のかを見取って行く。
まず元幅と先幅、元重ねと先
重ね、重ねの変化の状態、松
葉や鎬(しのぎ)の位置や幅
の状態、鎬地の傾斜角度、帽
子の形状や態様等をこれもつ
ぶさに状態を見て掌握して行
く。
この刀身個体は、身幅が元幅
33.2ミリでかなり幅広な刀身
だ。
ノギスでの計測の際は、金属
ノギスは絶対に刀身に触れさ
せてはならない。金属ノギス
しかない場合はティッシュや
極薄紙を当てて紙の厚さを減
ずる計算で計測する方法が刀
身には良いだろう。
元幅は鎺(はばき)を外した
状態で刃区(はまち)と棟区
(むねまち)の間の距離を計
測する。
先幅は横手の下を測る。
この元先の身幅の差の具合に
より段平(だんびら/だびら)
であるか否か等を刀身目視で
把握した印象とは別に実測値
で確認することはとても大切
になる。
刀剣学習では、できることな
らば押形(おしがた)を取る
ことが望ましいのは、刀身の
作り込みという姿を正確に写
し取って把握することができ
るからである。
得能先生は「錵(にえ)の一
粒一粒まで写し取れ」と後進
に教えられていた。
元棟重は8.2ミリと尋常なら
ざる厚みであるが先棟重も厚
い。
総じて脇差は戦闘で使用され
ることが少なかったために健
全な姿を現代に伝える良作が
多い。これは大刀や太刀に比
べて圧倒的に多い。
ということは、大刀・太刀は
やはり実戦で使用されて損耗
していることを反証するもの
であり、大刀・太刀一切実戦
で使用せず論が論拠を欠くこ
とを示す類推証拠にもなって
いる。
そういうところも脇差ひとつ
鑑賞しても思索を発展させて
日本刀の歴史の全体像を掌握
していくことも刀剣考察で大
切な事項である。
刀身の重ねは厳密には二種類
ある。棟重(むねがさね)と
鎬重(しのぎがさね)である。
元棟重は棟区(むねまち/む
なまち)の部分の棟側の幅を
計測する。
大和伝のように鎬が高く棟重
が薄くなる鎬地の傾斜が強い
作風は「重ね厚い/薄い」が
どこの重ねであるのかによっ
て刀身厚みの表現が変るので
厳重に注意を要する。棟重の
厚みの強弱イコール刀身の厚
みの大小ではないのである。
一般的に刀身の重ねの有る無
しは、鎬の高さに対する比率
的な視点から棟重を見て表現
されることがセオリーであり、
物理的な厚みはまた別な表現
を以てそれを伝えるので、こ
の点は刀剣鑑賞及び看取の伝
達において最大限に注意を要
する部分である。
大和伝などは鎬の位置が刃寄
りの中央付近に位置し、備前
伝などは鎬の位置が棟側に寄
って鎬地の幅が狭くなる。
また大和伝は鎬が高くて物理
的にも鎬幅が厚くなり、薄い
棟頭の厚みにかけて鎬地が削
がれたように急傾斜している
という独特な形状になる。
逆に備前伝などは鎬自体が相
対的に低く刀身がペッタンコ
のような印象を与え、棟重が
鎬に対して相対的に厚いため
鎬の頂点から棟横までの直線=
鎬地がなだらかな傾斜となっ
ている。結果としては平たい
印象を目視として肉眼的に与
える特徴が備前にはある。
困難なのは大和と備前と相州
の鎬地から棟への特徴をすべ
て併せ持つ美濃伝だが、美濃
伝の場合は新刀の基礎となる
特殊な製法であった為に、鎬
地がほぼ一様に柾目がかる特
徴があり、また鎬付近が白け
る(映りが映りに成り切らず
に)特徴が美濃伝にはあるの
で、見逃さないようにする。
ただし、慶長以前の美濃伝は
新刀特伝とは異なり、無垢に
近い鎬から上下の二重構造等
の特殊な造り込みも多いが、
総じて膨大な軍需に応じる為
に戦国期に登場した新式製造
法であり、古来の硬軟合わせ
練り上げの無垢製法とは大き
く異なる材料板材作り置きを
抱き合せて鍛着させる「造り
込み」という芯鉄構造が採ら
れている。
日本刀は無垢であるから頑丈
であるない、芯鉄構造である
から堅牢である等は一切歴史
上は存在しない。
歴史の流れと日本刀の変化質
性がどのような変遷を見せた
かを正確に把握するのである
ならば、その識別は出来る筈
だ。
上古刀のような貼り合せ構造
(和式刃物にその製法技法が
現在も残っている)から変化
して日本刀に芯鉄を入れるよ
うになる構造が取られたこと
は、とりもなおさず、貴重な
高炭素鉄である「鋼」の節約
が主目的であった。
さらに、鋼部分と低炭素鉄の
部分を予め棒状や板状に鍛え
置いておけば、量産も可能で
あり、玉潰しから硬軟練り上
げ折り返し鍛えのみで完成ま
で仕上げて行く無垢造り(板
材ではないので「一枚鍛え」
ではない)では、途中で手を
休めることができないので非
常に生産効率が悪い。
材料を炭素量毎に類別して種
分けしておいて、それを任意
に生産過程で用いるという方
法は現代工業に繋がるごくご
く合理的な工法であり、刃物
製造時の鋼の利用方法として
も極めて適している。
日本刀の造り込みの態様は芯
鉄構造か無垢かに分かれる。
どちらかが刀身の堅牢性や頑
丈さを決定づけるということ
は存在しないのであるが、ど
うにもステレオタイプの判断
で正しく事態を認識できない
大きな誤謬が刀剣界にまるで
あたかも「真実」のようにこ
れまで喧伝されてきたのが現
実なのである。
自動車のタイヤは車が地面と
接地して摩擦により走行可能
ならしめるために存在するの
であるが、「波止場の船舶と
岸壁の緩衝のために自動車の
タイヤは存在する」というよ
うなことを自動車の部品の説
明の際にしているが如しの解
説が刀剣界では日本刀の根本
構造の説明で行なわれている
のである。
芯鉄か無垢かは、歴史的な軍
需の要請による製造量を如何
にこなすか否かという社会背
景によって規定されて発生し
たものであり、丈夫にするた
めかどうであるかとかは関係
がない。
芯鉄造り込みが刀剣の堅牢性
を確保するという発想は、時
として土壁には棕櫚が中に練
り込まれているために強度を
確保しているのと同じ鉄骨鉄
筋建築のような発想で語られ
ることが多いが、これは大き
く的を外している。
鉄骨鉄筋という構造ではなく
ラーメン構造でも十二分に強
度は確保できるし、何よりも、
日本刀の場合は、金属の中の
組成や化学成分がどのような
配合になっているか、配列と
結晶粒はどうであるか、炭素
量の異なる部分の金属のミク
ロ的な手の連結状況(両手を
合わせただけなのか指と指を
絡ませて握り合っているよう
な状態なのか等々)がどうで
あるのか等によって金属の強
靭性の如何は方向づけられて
くる。
部位による硬度差を除去して
良質に均質性を付与するため
に初析炭化物の偏在を除去せ
んと日本刀の和鉄は玉の状態
から玉潰しによって圧(へ)
されて餅つきのように練られ
て行くのだが、その初期製造
工程と刀身として形造る段階
の鍛造による熱処理によって
刀剣の鋼の質性は決定づけら
れる。
まず材料ありきだが、同じ材
料でも刀剣を作る人間によっ
てまるで質性が異なってくる
のが刀剣という物で、これは
料理とまったく同じである。
どれほど最高素材を使っても、
料理人にセンスがなく料理が
ド下手であるならば、素材を
活かした美味しい料理などは
作れる筈がない。
つまり、鋼という鉄をどのよ
うに処理して「まとめあげ」
ていくかにこそ日本刀の堅牢
さや頑丈さ=耐衝撃性質性の
強弱は決定づけられてくるの
であり、材料がどうだとか構
造がどうだとかのみに刀剣の
丈夫さの背景が存するのでは
決してないのである。
そこの部分を正確に歴史認識
しないと、実存古刀に迫る現
代刀の製作などは到底おぼつ
かないことだろう。
芯鉄構造は頑丈さ堅牢さを確
保する必須事項であると言い
張るならば、ではなぜ芯鉄構
造にした現代刀が軒並み鉄斬
りなどができずに折損したり
刃こぼれの組織崩壊を起こし
ているのか。剣戟の打ち合い
にさえ使えない=武士の身を
護ることさえできない性能し
か持ち得ていないのはなぜな
のか。
また逆に、新刀特伝技法で新
鋼である玉鋼の皮鉄のみで刀
身形状にしたらそれが古来の
無垢造りだと勘違いしている
としたら、そのような「無垢」
は高炭素の塊であるだけなの
で軒並みすぐに折損すること
だろう。
ここでもステレオ脳が物事の
本質と深淵を見抜く事を阻害
している。
日本刀研究者はもっと本当の
実像、日本刀の真の姿を日本
の真実の歴史を研究すること
と連動させていく必要がある
だろうと私は思料する。
この脇差は戦後早い時期の北
海道登録だ。
これは推測だが、多分幕臣の
持ち物ではなかったろうか。
出雲大掾藤原吉武は本名を
川手市太夫といい、京都堀
川国武の子として生まれた
三条吉則の末裔である。
後に江戸に移住し元禄7年
(1694年)5月に江戸で没
した。延宝ころに活躍した
刀工であり、備中水田国重
(山城大掾源国重、大月伝
七郎)と同世代の刀工であ
る。
この脇差は、小板目に杢が
交じり、ややところどころ
肌立ちごころで、地錵が強
くつく良質な鋼に鍛え上げ
ている。刃文は錵出来の直
刃に二重刃を交え腰元の表
裏に二山を描き焼く新刀ら
しい遊び心を見せている。
刃中は砂流しかかるが、荒
沸えが潰れたように繋がる
部分も見られるのは惜しま
れる。
鋩子は乱れこんで地蔵風に
返り、返りが深く棟に延び
る。鋩子の焼き幅は広く、
刃の構成面積が広い作であ
り、研ぎ減りによる刃部の
損耗の補完まで見越した実
用的見地を作者が強く抱い
ていた事が看取できる。
初代吉武(出雲大掾)は山
田浅右衛門の記した業物位
列では「業物」に属し、切
れ味鋭い作と伝えられる。
本作は重ね尋常ならざる元
重(もとかさね/もとがさ
ね)が8.2ミリもあり、状態
も健全で非常に好感が持てる。
良作である。日刀保特別保存
刀剣。
茎(なかご。中心、中子)は
入山型茎尻で、ヤスリ目は鷹
ノ羽(たかのは)である。
錆色が非常に良く、良質な鋼
にまとめあげている吉武の技
量を感じる事ができる。
「~守」や「~大掾」という
のは、本来工人などには与え
られない国司たる地方官吏の
官位官職役職名で、上から
「かみ、すけ、(だい)じょ
う、さかん」といった四等官
のことを表す。
江戸期以降、日本の刀工を束
ねる伊賀守金道家が代行者と
なり朝廷と折衝するという形
で各刀工に権威づけのために
付与した。
守(かみ)を受領(ずろう/
ずりょう)するためには現代
金額で5千万円程の金員を伊賀
守金道家に上納しなければな
らなかった。
ローンも存在しない時代、一
介の刀鍛冶が現在の首都圏郊
外に一戸建て住宅が購入でき
る程の現金を用意することな
どは不可能であり、町の富裕
層である商人や大身の高禄武
家のバックアップがなければ
受領は成立しなかった。
刀身裸身重量は約635グラム
である。ごつい。
鎺(はばき)を入れたら665
グラムだ。
なぜ刀身重量まで測るかとい
うと、新作日本刀を武用差副
えとして注文する際の拵製作
の重量配分を射程に入れてい
るからだ。
刀身は直に机に置いたり秤の
上に置いたりしてはならない。
かならず清潔なティッシュも
しくは刀枕の上に置く。取り
上げる際もこすらないように
真上に取り上げるように細心
の注意を払う。
また極上研ぎの場合、打ち粉
のタンポや刀枕(袱紗地)の
紗彩模様が刀身に疵として付
着することもあるので極めて
注意深く刀身を扱う必要があ
る。美術刀剣だけでなく、本
来武器たる刀身もそのように
扱うのが本旨である。
画像では直に刀身をテーブル
上に置いているように見える
がさにあらず。
きちんと両端に刀枕を置いて
そこに静かに載せている。
日本刀愛好家だけでなく、刀
術等で真剣日本刀を所持する
者も、絶対に刀枕は一つだけ
でも持っておかなければなら
ない。これは刀の鞘と一緒で
刀剣所持に必須な絶対必要物
品である。
正月元旦そうそう、古刀三原
をはじめ数点たっぷりと観賞
したが、観賞のために私に預
けてくれた刀工群はどれも良
作名作であり、元旦早々眼福
至極に御座った。
刀剣を貸し出してくれた篤志
家の剣友に謹んで御礼を申し
上げたい。
日本刀というものは、見る人
にもよるのだろうが、刀を見
ても何も心に響かない人もい
れば、人によってはその青き
鉄色に惹きこまれ、刀を見る
事で生きる活力を得る人もい
る。
私などは典型的な後者である。
日本刀無くば、私の存在はあ
り得ない。これは私にはどう
することも抗うことさえもで
きない己の中に流れる物理的
な血の由縁としても、また私
の一個人的な精神性としても。
刀があればこそ私が今ここに
生まれ生きているということ
を刀剣を観る度に感じると同
時に、ひとつひとつの刀身に
は刀工の魂が浮かび上がり、
命の咆哮を静かに湛えるのが
感じ取れるのである。
我は刀と共にあり。刀を愛で
る真意こそが私のフォースで
ある。