自分で描いておきながらこう言うのもなんだが、
武士が刀検めや手入れ検分(鑑賞とは異なる)の
時に懐紙を口に咥えたというのは、まことなりし
や、と思う。
一次資料等で精査していないので、確かなことは
なんとも言えない。
刀剣を裸身で抜刀した際には、一切一言たりとも
言葉を発しないのは過去も現在も日本刀取り扱い
の常識の心得としてある。
喋ると、目に見えない唾が飛ぶからだ。
それを防ぐために、現代では医療用マスクを着用
することさえもある。
そのための口を閉じる目的で懐紙を口に咥えるの
ならば理解はできる。
ただ、時代劇等では、その口に咥えた懐紙で刀身
を拭ったりする。
これは、現実的にはあり得ない。
炭素鋼は僅かな水気で錆を呼ぶ。そのため、刀剣
が裸身の時には一言も喋ってはならないのであ
る。鼻で息し、吐く息は真下に静かに抜けさせ
る。
刀身に顔を近づけて精査する場合には、鼻からの
息も刀身にかからないように鼻と口の前に懐紙で
衝立をする。
しかし、口に咥えた懐紙で頭身を拭うのは、それ
らの防錆上の細心の注意を全く無効にしてしま
う。
咥えた懐紙で拭うのは時代劇での創作だろう。
それと似た時代劇の所作で、刀剣吟味の時に刀身
を鞘から抜く際に、柄を下にして鞘を立て、鞘を
上に抜いて行く所作が時代劇で時々みられる。
これもあり得ない。
刀剣取り扱い作法を大きく逸脱しているからだ。
刀身は刃を上にして、左腿の上に置き、静かに
そのまま鞘を床と水平にしたまま少し上に取り、
鞘を一切動かさず、静かに刀身を鞘内こすりしな
いように最大限に注意しながら抜いて行くので
ある。
この「静かに」というのは「ゆっくり」とは異な
る。牛歩のような遅い速度で刀身を鞘から抜く
と、刀剣というものは鞘内では中空に浮いて保持
されているため、抜刀速度が遅すぎると鞘の内側
に刀身が揺れて身をこする可能性があるからだ。
決してもたもたとではなく、乱暴にでもなく、
静かに水が軒をつたうようにスーッと淀みなく
抜くのである。
それが刀剣の抜刀の仕方であり、日本刀鑑賞や
検査吟味の際の正しい作法である。
鞘は立てない。武技での抜刀法のように鞘寝かせ
もしない。
武技ではない日本刀の抜刀は「切る」為ではない
ので、刀身にヒケ(擦過痕)が着かないように細心
の注意を払って鞘を払うのだ。
刀剣吟味の際の懐紙咥えについては、折をみて
一次史料まで遡って調べてみようかと思ってい
る。
上掲画は、時代小説の挿絵風として、某画伯への
リスペクトを抱いてタッチを模して描いた手慰み
であり、物知らぬ素人の戯れ事とご笑覧賜れば
幸いである。