渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

パラコード

2020年08月22日 | open


サバゲ用カスタム電ガンの偽装布縛り用
パラコードを銃から外してナイフに
着けた。

1本はビローンと伸びるノットで結んだ。
何ノットなのか名称は知らない。大昔から
やっている結び方。渓流ではこれを長くし
てベストに一端を固定している。川でナイ
フを落とさない為だ。


このようにループにもなる。


何故ループかというと、手首を通して
手貫緒(たぬきお)とするため。
ハードな使用時の万一の脱落防止のため
だ。古来より日本刀にはある手法で、宮本
武蔵などは試合用木刀にも手貫緒を着けて
いた。


多くの斧などに手貫緒用の穴が開いている
のはこのような使用法のため。
動画サイトの素人動画では、斧の柄のスト
ラップホールを指して、「耐久性に劣ると
思われる」とか言ってる動画があったが、
洋の東西を問わず実用ハードユースの歴史
にあまりにも無知過ぎる。最近、そういう
ニワカ博士がネットで小遣い稼ぎをした
がってキャンプジャンルで動画をアップ
しまくっている。


ナイフの下げ緒は主目的はシースからナイ
フを抜く時に安全に抜きやすくする為の
物だ。テコの原理を使って、日本刀の鯉口
を切るのと同じ効果でナイフを引き抜く。
小指でストラップを締めるように挟んで
握り、親指をシースに立てて当ててグッ
と軽く拳を握るように力を入れると初期
テンションのナイフのシースへの固定が
緩み、抜けるようになる。刀の鯉口切り
原理と同じだ。
そもそも、ボブ・ラブレス考案の全包み
系のシースは、原初は北欧ナイフにあった
とはいえ、ラブレスの場合は日本の古い
刃物の構造体をかなり参考にしていた。
この画像タイプの全包み系の革シースは
日本の古墳からも大量に出土している。
日本の古墳文化期のナイフはトウスと呼ば
れたが、現代のブッシュクラフトナイフに
形状は酷似している。
トウスはまず和語のトウスがあり、刺し
通すことから派生したヤマト言葉だと思
われる。刀子の文字をあてたのは漢字が
伝来して以降の事だろう。
文字も紙も無い時代から日本ではナイフ
が広く使われていた。




野外小刀 〜アウトドアナイフ〜

2020年08月22日 | open



三種盛り(笑)。
どれもが廉価ナイフなのだが、どれもが
かなり優れている。

一番ゾゾゾッとする切れ味を示すのが
一番左のリアルスチール・ガルダリク。
すでに廃番なのだが、削り面が多く、
コストもかかり過ぎるのだろう。
フラットグラインドのためナイフ薪割り
には適さない。薪割り以外は全てにおいて
秀でている。良いナイフだ。
真ん中はリアルスチールの現行品のブッ
シュクラフトプラスだ。
現在のブックラ人気に後押しされてリアル
スチールがブックラ特化ナイフを作った。
かなりやる気のモデルで、グラインドは
コンベックス(ハマグリ)、セイバー(スカン
ジ)、フラットと選べる。
目を付けた日本のショップが何軒かハンド
ル材を換えてショップオリジナルモデルと
しても販売している。
このリアルスチールのブッシュクラフト
プラスは、これまたかなり出来が良い。
バークリバーいらねんじゃね?てな程に。
多分だが、爆発的に売れるモデルでは
なかろうかと思う。
一番右は出所不明の謎のナイフ、アルティ
マ・アウトドアーズのファルコン1だ。
これがまた実に出来が良い。バークリバー
に作りと細部がとても似ている。
これの欠点はハンドルがバークリバーより
も1センチほど短いこと。片手の移動範囲
は無い。しかし、厚み5ミリでナタのよう
なナイフであり、鋼材が440Cというのも
嬉しいところだ。刃付けがしやすい。


ナイフに限らず、刃物というものは、あま
り硬すぎて研ぎにくい物は良い物とはいえ
ないんだよね。
日本鋼のように高硬度であるのに砥当たり
が柔らかいというのはステンレス鋼では
あまりない。高硬度にしてしまうと。
砥石で押したらサッと刃が付く刃物が実
は良い。

カンナのような切り味。こういう刃が付く
刃物が優れている。




成形および刃付け研ぎ後 〜ファルコンワン〜

2020年08月22日 | open










切れるほどに
刺さるほどに
君は薔薇より美しい
変わったあ〜
(by 布施明)

ライター

2020年08月22日 | open


しかし、このライターってやつは実に便利
だね。
世界で初めてライターを実用化して普及さ
せたのは日本人だけど、ワンタッチでポン
と火がつく道具をよくぞ考えたものだ。

でも、日本とアジアには近代まで螺子が
存在しなかったんだよね。
鉄砲の塞栓も自前では開発できなかった。
螺子が存在しないから日本ではドアが発達
しなかった。
日本で馬車が存在しなかったのは統制的
な背景からだが、ネジだきゃあその発想
を日本人は思いつかなかった。
ネジ自体は古代ローマからあったのだが、
何故かアジアのみは不存在。かの多くの
構造機械物を発明した中国でさえもネジ
は思いつきもしなかった。これ不思議。

鉄砲といえば、日本がかつて世界一の
軍事大国であったことを知る日本人は
少ないようだ。
銃器保有数は世界の中で突き抜けていた。
世界を征服したスペインでさえも日本を
中南米のように侵略できなかったのは、
日本に膨大な銃器とそれを仕切る武士団
がいたからだ。

てなことで、歴史上、世界初の日本人が
作ったライターは銃器のカラクリから誕生
した。
仕組みはフリントロックだ。
まあ、このジッポーも元をただせばテッポ
から、てなこったい。

この1980年製のジッポーは今一番多用して
いる。
自分でルーターでモンモン彫っちまった
けどな(笑)。
MC8Cという文字が図柄となっている
我ら鉄輪騎士団のオリジナルロゴを。

なぜ試斬で刀を曲げるのか

2020年08月22日 | open



なぜ試斬で刀を曲げるのか。
それは理由はいくつかあり
ます。

まず第一に、上図の青線の
ように刃筋
が立っていない
こと。

刃筋はわずかにずれるだけ
でも振り
下ろしの際に刀身
に横からの力が

加わります。その重さ約2トン。
いくら頑丈に鍛え上げられ
た鋼鉄の
日本刀であっても、
平な物差しのよう
に薄く造形
された物であるので、横
から
の力が加わったら、刀身自体
それに耐えられる道理が
ありません。

結果、弱い刃先によじれの
力が加わり、

刃こぼれや刃まくれを生じ
たり、刀身
自体にプロペラ
のようなよじれ曲がり
を発生
させます。


第二に運刀の軌跡が「しゃくり」
なっていること。
つまり、刃筋が立っていても
刃筋に
沿った運刀、刃波の刀
線が通っていな
いということ。
上図の赤線がそれ。

これは実はこういう切り方も
高度な
武技では存在します。
それは土佐英信流の奥伝の霞
という
業での斬り方がまさに
こうしたもの
で、鉢の底をさ
らうような刀線の
軌跡で二太
刀目を運刀させて敵の甲冑の
脛当ての下の隙間を地を這う
ようにして斬ります。

しかし、それはあくまで刃筋
を立て
ての運刀なので、上図
の赤線でどん
どん刃が寝て行
く巻き込み現象に
よる刀身寝
かせ状態とは異なる。

運刀の軌跡だけ見たら同じに
見える
かもしれませんが、
全く別物です。


斬るための曲線軌跡は、日本
刀に
よる武技について考察し
ている人
は知っているでしょ
うが、刀は上から
切り下す時
と逆袈裟で切り上げる
時には
別な物理的定理が働きます。

これは人体との関係性におい
て。

上からの切り下げで刃筋を立
てた
まま刀を止めることなく
今度は
左右逆に袈裟を連続で
切り下してみる。

両者は連続して繋がらず、必
一旦棟側から振りかぶる物
理動作
になります。
ところが、逆袈裟の場合は、
刃筋
を立てたまま∞の軌跡を
描ける。

これを万字と呼ぶのですが、
両手
だろうと片手だろうと、
逆袈裟
のみは途切れること
なく一筆書き
で刀を振り回
せる。
土佐古流の受け流しなどの
刀法も、
この逆袈裟の運刀
軌跡の物理定理
を一部援用
して刃を返すことなく
運んで
そのまま途切れずに受け流し

てからの円弧軌跡で斬撃する
技法
です。

しかし、上からの連続袈裟に
限っては、
下から上への運刀
では一旦立って
いた刃筋を終
了させて再度また
刃筋立ての
運刀動作をしないと二連続

袈裟切りはできません。

これは宇宙の法則なので誰が
やって
もできない。たとえ万
能の神でも
三次元世界の地球
上ではできない。
上からの袈裟は独立している
のです。
ゆえに慣性としての補正刃筋
立てがやり
にくい。
手の内がガチガチだったり、
逆に柄手が緩みっぱなしだっ
たり、途中で
茶巾絞りなどと
いうことをやると
上からの袈
裟では確実に刃筋が狂う。
絞って手の内は締めるのです

が、刀の柄には回転が一切
加わらないように操作する
のです。

この上からの袈裟切りの時に、
運刀
軌跡にしゃくりが生じて
もその軌跡

に沿って刃筋が立っていれば、
フック
ナイフで木を削ったり
スプーンで
プリンをすくうよ
うに日本刀でも物
は切れます。
しかし、大抵は、本人はそう
いう軌跡
を土佐古流の特殊斬
りのように狙って
やったので
はなく、真っすぐ直線的
に斬
ろうとしていながら両腕の関
の理解に乏しいため、振り
下ろせば下ろす
ほどに軌跡が
内向してしゃくり現象
を発生
させているのがほぼ全てです。

そして、その際には刃筋は
どんどん
寝てしまって平打ち
になっている。

これでは刀を曲げてしまうの
は当たり
前のことです。

人体構造から、右上からの
左袈裟切り
下ろしの際にこ
の現象が多く観られる。

それは、手の内を絞り込ん
だりして
刀身を自分で回転
させてしまっている
ことと、
前述した左右の肩の位置と

関節の左右別々な動きに刀
が同調せず、
進路が進むた
びに軌跡が狂い、刃筋が

て行く現象が起きているの
です。


もう一つ、刀曲げをやる人
たちに共通
する大きな悪し
き要素があります。

それは、振り下ろしの真横
から見た
軌跡。
「天井を掃くように刀は切先
から動いて真円に振る」と

うのは嘘なんです。

円運動などでは日本刀は切れ
ない。

真実は放物線の円弧なんです
よ、円弧。弓の
ような。真横
から見たら。

つまりサークルではなくスクェ
アに
刀は振るんです。
これは運刀の技術、剣術に関
する領域
になるので、機会が
あれば別枠で。

パスワード付カテゴリーでは
解説して
いますが、一般公開
は避けたいと思い
ます。諸兄
におかれては、ご自身が
師事
して就いた先生に詳しくは習
って
ください。
私は先達から教えられたこと
なので、
同門には伝達します
が、一般的には
誰にでも伝え
はしません。

私が公開するのは、ごく当た
り前の
物理現象のカラクリに
ついての説明
のみです。こう
やるとこうなるのが
当然の理
ですよ、という程度の。

では、その悪しき物理現象を
発生させ
ないためにはどうす
るか、というのは
術技に踏み
込むことなので、それは
各人
で先生から習うか、ご自身で

能々工夫されて研究なさって
ください。

私は刀を曲げたことがありま
せん。

それは空気斬りの素振りの際
に師匠
から曲げない正しい斬
り方を徹底的
に仕込まれて、
自分でも努力したから
です。
稽古の際には師匠の怒声は
しょっちゅう
でした。怒鳴る。
「誰がそんな切り下し
をやれ
と言ったか!」と。

時には竹刀で足や脚や肘を
ひっぱたかれ
ます。
今、かつての私の道場の後輩
で全日本大会
で日本一になっ
た人によると、「今
の時代
それをやると誰も来なくなっ

ちゃう」とのことです。
私個人は昭和の人間なので、
そうした
ことは全く苦になり
ませんでした。

怒鳴られるのは自分が間違っ
た事を
やっているからであり、
それを正して
まっとうなこと
に導いてくれる指導
において、
師が弟子をどやしつけたり

するのはごくごく当たり前の
指導だと
私は思います。何が
体罰主義反対か。
甘ったれる
な、と。

どなられたり引っ叩かれたり
する位
が何だ、と。命が獲ら
れることでは
ない、と。道場
は死地ではない、と。

旧軍のようないじめパワハラ
体罰で
もない、と。はき違え
るな、と。

そうした師匠の厳しい指導に
よって
正しい道に明かりが見
えてそこに
進めるのだから、
これほど得られる
ものが大き
い事はありません。


結果。
私はこれまで一度たり
とも刀
を曲げたことは無い。これが
現実です。
現実は雄弁に真実を物語る。
キン
キンに刃のついた刀での
抜刀納刀に
おいても私は手を
切った事が一度も無い。
これ、師匠の指導のおかげ。
私は二番弟子ですが、斎戒沐
浴して
起請文を師匠に差し入
れたのは、
本気で師に就いて
勉強しようとした
からです。
よく師匠は他の弟子たちに口
にする
そうです。「あいつは
ただの弟子
ではない」と。
転居により師の道場を離れて
20年
経ちますが、今でもしょ
っちゅう私
のことを師匠は
道場で口にすると
同門同僚
から伝え聞いています。


また、私の刀の鞘の鯉口周辺
と鞘袋の内側は
まったく傷ん
でいません。
万余の抜刀納刀を繰り返そう
とも。

鯉口が傷まないのは、それは
正しい
鞘握りと抜刀納刀の際
も鞘なりの
刃筋が立っている
から。

そうしたことは私自身がやっ
ている
ことですが、それらも
師匠から叩き
込まれたことを
正確にやっているだけのこと
です。
私の武技の技術は私一人で得
たものではない。


「狭き門から入れ」。
聖書の言葉ですが、元々はクリ
スチャン
の家の人で普段はいつ
もニコニコして
冗談が服を着て
歩いているような師匠とはいえ、
指導の際には渇!
ということは
やります。

武技というものも、ナァナァの
ベタベタ
ではなく、狭き門から
技法錬磨を行な
わないと光る
ものに近づくには遠回り
になる
かと思います。

これは門閥としての門ではなく、
技術
上の中身のこととしての
狭き門として。
そして、武技とは、正確で正し
い技法
こそが、より安全でわが
身から危険を
遠ざけるのです。