2020年 終戦記念日の峠道
きょう、75年目の終戦記念日だ。
山の峠道では既に秋の足音が聴こえる。
蝉しぐれの中にも夏の終わりを告げる
蝉が鳴いている。
ひとつの事に、どれだけ純粋な気持ちで打ち込めるか。
— 復活!う~ん@マンダム斎 (@VaXg3U0Jsx97GjP) August 14, 2020
武道に限らず、世の中のほとんどの人が生半可な生き方をしているのではないかな。
私は、箸にも棒にもかからないような人間だが、こんなに本気になれる武道と出会えて良かった。
切り - 渓流詩人の徒然日記 https://t.co/bNWYzwkUzg
三宅島には1972年に一度だけ行った事が
なんてのか、すげー島だった。自然が。
家族で渓流釣り
「できないじゃないんだよ。やる気が
ないんだよ」
「うるさいなぁ」
お父さん厳しい(笑)。
でも、娘さんもプリプリ口ごたえしな
がらもアウトドアにつきあってくれる
だけいいよ(笑)。
① 1992年 Samurai Sword Katana Cutting
切る直前に「上置くとか切れないよ」と
誰かが言っているが、全剣連二段時点で
これ位できて当たり前。
できないほうがおかしい。
私はごく普通だ。特別ではない。
私は並みレベルだ。
剣道連盟であろうと、日本刀を扱う真剣
抜刀術剣法をやっていて、二段あたりの
段階でこれをできないほうが普通では
ないのだ。
自覚しよう。自分に甘くならずに。
前進の初動は足を進めるのではない。
膝を抜くのだ。これ武術。
これも、二段になるまでには術理を
理解して、身体の動きを習得していて
当たり前。未完成でもいいからさわり
程度でもできるようになっていかないと
ならない。
なぜだろう、どうしてだろう、どうやれ
ば、と日々没頭して研究し研鑽すれば
何かが見えて来る。
まず大切なことは自分の心が真剣になる
こと。
そして、先達の達人たちの動きと理論
を見抜いてそれを獲ること。
この動画の切りは刃筋だけで切っている。
だが、その刃筋を正確に立てるためには?
そこを多角的に解析して理解を深めていく。
それを行住坐臥行なう。
一日中、仕事の時以外は剣法づけだ。
剣士なんてのは、そんなもん。
頭の中は剣一筋。
でも、そういう時期を超えないと、ある
程度モノにはならない。
誰でもやりはじめは初心者だ。
しかし、どんどん差がついてくる。
なぜか。なぜなのか。
そこなのよね。
心がダークサイドに行くと、脳が曇って
いるので目も曇る。できている人のこと
を正しく「できている」ということが認識
できない失見当識に陥る。
そうなってしまうと、武術などはできない。
曇り目では物事を見極められないからだ。
武術をやる人を見ていると、できる人は
全員もれなく、武術の技法に関して心根が
クリアで澄んでいる。
酒癖悪い、女癖悪い、金遣い荒い、口が
悪いとかそういうことは技術の如何とは
全く関係がない。
あらゆる技法に対して見る目はどうか、だ。
武術ができる人たちは技法に対して皆さん
心がクリーンでクリアで無垢の純度を持って
いる。
存外簡単なことなのだ。
目の前にビールがあったらそれをビールだ
と認知すればよい。野球ボールならば
野球ボールと識別できればいい。
武術の見獲り見極めとはそれだ。
これは武術だけではなく、世の中のあらゆる
技術系に通じることだ。