十代目金春亭馬生。
父は稀代の名人、五代目古今亭志ん生であ
る。本名美濃部氏、先祖は将軍家槍術指番
の武家だった。
明治から昭和にかけて破天荒に生きた生き
る芸術、江戸落語噺家の真骨頂志ん生を父
に持つが、落語の技は弟の志ん朝を遥かに
超える。
私は落語が好きだが、志ん朝の落語は好き
ではない。
特に「井戸の茶碗」などは、いじりくす
ぐりばかりを多用して、かつ千代田卜斎
の武士の一分を踏みにじっている。武士の
心介さずば、あの演目はできない。
志ん朝は、謙って懇願する卜斎を演じる。
それはただの武家の世間知らずをバカに
する噺として人を見下してお笑いにする
芸でしかない。
父、志ん生は、同じ演目を武士の世間知
らずだけではなく、義の一徹を通す武士と
正直者清兵衛の同じ真正直同士が生むズレ
を滑稽噺として描く芸術性があった。
息子の志ん生の「井戸の茶碗」にはそれ
が一切なく、苦渋の選択を自ら選ぶ千代田
卜斎の心が全く演じられていない。
武士の心と江戸市民の心に肉薄すること
無くして、あの演目などは到底高座で演じ
る事はできない。
父の志ん生は、生まれてから明治没落士族
のその名の通り、学校にも行けず、幼い頃
から丁稚奉公に出て苦労を重ねた。
武士、しかも時の将軍指南番の槍の家の
人間であるというアイデンティティは明治
という時代によって全否定された中で辛酸
を舐めた。
しかし、彼志ん生の落語には、決して高邁
に傲慢さを出すことはせずに、武士の心の
悲哀を芸の技でおもしろおかしく表現でき
る懐深い裁量があった。
例えば志ん生の「井戸の茶碗」で一番笑っ
たのは、正直者のクズ屋清兵衛が熊本藩士
高木と美しい娘を待つ長屋住まいの浪人の
千代田卜斎との板挟みになりぼやくところ
だ。
「ったくよお。んだから、侍ってのは嫌
なんだよ」
と五代目志ん生は言う。
将軍家槍術指南番の嫡子がそれを言って
のけるのだ。しかも、何の違和感も無く。
お前が言うか?となるところ、美濃部志ん
生はそれをさらりとやる。
この機微。この達観さ。芸の真骨頂だ。
だが、息子の志ん朝には全く一厘たりとも
そうした武士の心根の機微は見られない。
逆に、何度息子志ん朝の落語を聴いても
なんか偉そうに感じる。
武士の心のヒダを知らない士族の奴ほど
偉そうにする、という展開的なパターン
の傾向を私は古今亭志ん朝の芸に見る、
見えるのである。
だが、兄貴の馬生はどうだ。
こりゃ父に迫るどころか、馬生の芸の完成
度のみを見たら、本当の本物の名人だ。
親父は破天荒に生き抜いたが、落語家と
しての完成度の高さは馬生は素晴らしい。
「芸」だ。
同じ武士出身の落語家でも、先代の円楽
の落語がちっとも面白くないのは、やはり
時代物をやる時の志ん生のような達観した
包容力を感じないからかも知れない。
先代円楽も志ん朝も、あざとく「偉そう
感」を殺しても、それは浅い手練手管で
馴染ませているだけなのだ。
換言するならば、そこには「睥睨観」が
感じられる。
古今亭志ん生、金春亭馬生の落語とは別物
の感性が演じる側に存している事を観る側
としては感じ取ってしまうのだ。
青学ブント(共産同叛旗派)のセクトだった
男が今の円楽を襲名したが、あの「偉そう
大将」はい、あんたが大将!ぶりは新左翼
独特のゴリゴリセクト活動家たちに特有の
大衆睥睨観を彼が克服できていない事の現
れ以外の何物でもない。
彼は、噺家としても超えられない地平があ
る。それは、自分でボーダーを引いている
からだ。新左翼こそボーダーを無くす為に
命を張ったのではなかったのか。
しかし、現円楽は、その自らが超えられ
なかった質性を自己総括することもなく、
芸に於いて超えられない自身の限界性
を露呈させている。
だが、現落語家円楽はそれには気づいて
いないだろう。
五代目志ん生と十代目馬生の落語になぜ
多くの人が心惹かれて、掛け値なしに笑う
事ができたのかを。
「作り事」の「しむけられた笑い」や
「人を見下して嘲笑する笑い」などは、
本質的には人の健康さに寄与する普遍性
さえ持たないのだ。これは確実。
いじめの構造の笑いは、人を殺して行く。
ほんとの笑いは人々を幸せにするものだ。
人は笑いに医学的にも健康を伴う活力を
得る。それは健全さを抜きにしては語れ
ないのだ。
人を見下し、排撃して嘲笑して笑いを取る
のは、それは人をして人を滅ぼさしめる事
なのだ。これは時代を超えて不変の定め
だ。
江戸落語は、与太郎を「しょうがねえなあ
おまえは」と言いながらも、絶対に仲間
外れにはしない。
だが、それの機微が分かっていない芸人
が現代では多すぎる。
今、そうした人の心として汚れてよじれた
笑いを求める世の中になった時代、本当の
本筋江戸古典落語を聞く事は、人の心を
健全にほぐすアンプルなのではと私は本気
で思っている。
馬生の名人芸をお聴きください。
目黒のさんま。
金原亭馬生(十代目) - 目黒のさんま