渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日産 パオ

2021年03月05日 | open



ヨーロピアンレトロデザインの日産
パオは1989年に発売された人気車種
だった。製造は半数が愛知機械工業
でのOEMだ。

パオって、なんとなく、ルノーに
似てない?



山の上から見える元海のエリア

2021年03月05日 | open


中央に沼田(ぬた)川という河川が見える。
これは明治以降に作られた流域だ。
河川の両岸に広がる農村地帯も、江戸期
にはデルタ地帯であり、浅瀬の海だった。
向かいの山の左手に見える白い建物が広島
国際空港の建物だ。
広島空港は広島県三原市にある。
あの山のふもとまでがかつて海だった。
地名は今でも残っており、現在はかなり
内陸部であるのに「船木」という地名と
して往時を偲ばせる。
この写真を撮影した山は竜王山という瀬
戸内海に面した山の山頂付近である。

遠い寒い所の日本人村の友人たちも、
祖国を記すこの記事が読めるだろうか。

川に見えるが実は海

2021年03月05日 | open


向かいは川に見えるが実は海。
現在は河川として整備されているが、
これは明治以降に作られた川だ。
潮位は変えられないので、満潮になる
と、遥か上流まで潮が逆流する。
もう一つ南側の川などは、現在の河口
から18km程も上流まで潮が押し寄せる。
撮影しているこの市役所の場所も江戸
時代には海。
向かいの公会堂の場所も全部海。
現在の広島県三原市の市街地のほぼ全域
は海だった。
城下町は中世戦国時代末期に作られたが、
陸地が無いので城は海上に建築された。
今の東京のお台場湾岸エリアのような物。
450年前には、想像を絶するような未来
都市のような印象を与えたのではなかろ
うか。

現在のお台場湾岸エリア。
450年前、三原城を見た人たちは、現代
人がここを見て感じるのに近い感覚を
ったのではなかろうか。
いや、現代のここよりも、もっと強烈な
インパクトだった事だろう。




現在のお台場湾岸エリア。
備後三原城の海上都市のようなもん(笑


幕末慶應年間の三原城。
赤丸が現市役所の位置。


古くからあるラーメン屋

2021年03月05日 | open

古くからある街中のラーメン屋さんの
ラーメンがかなりおいしい。
ただ、一玉の量は少ない。
穴森稲荷向かいの三朝庵を早大正門の
ほうに入った通りの右側にあった美味い
ラーメン屋くらいに量は少ない。
あそこ、なんつったっけなあ。寅さん
とかそんな名前だった、確か。今は無い。
三朝庵も2018年に112年の歴史に幕を閉じ
たらしい。けっしてうまい蕎麦ではなかっ
たけどね。カツ丼もてんでショボンだった
が、店はお宮さんの向かいの交差点に面し
た角地のいいとこで112年も頑張ってた。

チャーハンもうまし!


昭和風味のメニューが泣かせる。




おばちゃんと若い息子さんでやってる。
昭和30年代建築だろうと思われる古い
ビルの一階で。
ここの味は私は好きだ。


三原市の原付ナンバープレート

2021年03月05日 | open
 
広島県三原市の原付ナンバープレート3種。
白・・・50cc未満(原付1種)
黄・・・90cc未満(原付2種)
桃・・・125cc未満(原付2種)
 
三原市の原動機付自転車のナンバーのデザ
インは、手前味噌ではなく、なかなか
良い
と感じている。
三原城と海と広島空港、そして市の花で
あるサツキを描いている。
 
市の花がサツキなので私の流派が早月
(さつき)流なのよ。鋼こすりの(笑

常時張り付き

2021年03月05日 | open


特定人物が張り付いて来訪してからしば
らくすると5ちゃんにうちの記事が貼られ
て誹謗中傷犯罪が開始される。
そして、またその人物は張り付きを継続
する。

刀屋の慈悲で売れない作文でも書いてりゃ
いいのに。

ポケット

2021年03月05日 | open


日本では、何故洋式被服が幕末に入って
その後国内で定着するまで「ポケット」
という物が存在しなかったのだろう。

梅とサクランボ

2021年03月05日 | open


梅が咲いた。1933年植樹の梅。
別場所から戦後に移設のもの。
もう一つある梅は1995年植樹。



サクランボも咲いている。
もう一つの別なサクランボは遅れて咲く。
梅と同じく、木の個体ごとに実の味が
異なる。