![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/49/b89a089a62720ff050373ee225a2edd7.jpg?1665643607)
広島県三原市駅前通りには戦後の
残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/56/b23033a64a702f643504a06ce3fffd28.jpg?1665643607)
当流では、納刀前のこの動作は
「右に開く」と呼ぶ。
「血ぶるい」や「血ぶり」や
「横血ぶり」とは一切呼称して
いない。
「右に開く」という物理動作の
説明のみが江戸期から伝承され
ている。
刀術概念上、このことはかなり
大きい刀法研究上の意味を持つ。
閑静な住宅街の中に突如として
現れる「玉突」の看板。
なんとも昭和レトロで堪らない。
「ビリヤード」でも「ビリヤー
ード場」でもましてや「プール
カフェ」や「プールホール」で
もない。「玉突」である。
これよ、これ(笑)。
こういう店が近所にあったら通い
詰めだ。
ザ・昭和の看板。
そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ。
昔「〇〇撞球場」というビリヤード
場があって、よく行った。
おばちゃんが一人でやっている店。
そういう店は現在は全国的にほぼ
消滅しかけている。
まだありそうと思える地方でもそう
だ。
タバコ屋のおばちゃん、おばちゃん
のタバコ屋と同じで。
今宵の三日月。よく見ると、丸い月
の姿が欠けている部分に透けて映る。
月食のような月。
日中の仕事を終え、20時からの
打ち合わせまでの間、CDを買い
に行く。
タワーレコードでジャンゴ・ライ
ンハルトの輸入盤等を4枚購入。
ジャケットには、スーツにくわえ
タバコで、アーチトップギターを
抱きかかえて伏目がちに微笑んで
いる有名な彼の写真。
ただ、この写真、多くのアルバム
に使われており、写真だけでアル
バムの特定はできない。
18歳のときの居住テントの大火事
で動かなくなってしまった左手の指
が大きく写っている。
その火事の後、彼はすぐに病院に
駆け込んだが、医師は彼の手を
「切断するしかない」
と診断した。
彼は病院を抜け出して、ヨーロッパ
を移動するジプシーキャンプに戻り、
必死のリハビリをした。
幼くして既に天才的な演奏をして
いた彼にとって、18才の時に左
手が動かなくなってしまうことは、
どれ程の失意の底に落とされたこ
とだろう。
しかし、彼は鉄の意志と執念でリハ
ビリをし、約1年半後に、左手は
人差し指と中指しか動かなくなっ
たのに、驚異のギター奏法を身に
つけて蘇った。
そして、その後の歴史で多くの著
名なギタリストたちに大きな影響
を与える演奏をしていく。
ベルギーで生まれ各地を転々とす
るジプシーだった彼は、彼と全く
生まれ環境も異なる裕福な家庭で
高等教育を受けて育ったステファ
ン・グラッペリと出会い、ステフ
ァンのバイオリンと合奏すること
でその才能が実を結ぶ。
だが、彼の弦楽クインテットは、
あまりにも斬新すぎて、最初の頃
は全く日の目を見なかった。
それまではギターはバンドの中で
はリズムを刻む伴奏楽器でしかな
かった。
それを弦楽多重奏で、リズムを刻
むギターに合わせてソロギターで
メロディラインを弾くという今ま
でにない演奏を世界で初めて実演
したのがジャンゴだった。
ホット・クラブ・オブ・フランス
での活動が米国の音楽関係者の目
にとまり、彼らは世界の二人とな
っていく。
彼らの蜜月はナチの迫害を逃れて
ステファンが米国に脱出するまで
続いた。
ナチにとってジプシーは抹殺の対
象だったが、ジャンゴの演奏はナ
チをして彼を殺害せしむることさ
えも止めさせた。
幸か不幸か、戦後再会した二人に
は、1930年代のあの演奏は再現
できなかった。
別れて暮らすうちに、求める音の
方向性も別れてしまったからだ。
私のハスラーキュー。
フェノール樹脂先角。
タップは撞き締め中。
玉入れが滅茶苦茶強いシャフトだ。
ただ、これよりも抜群に制御自在で
音が透き通る良音がするソリッド
シャフトが手元にあるので、この
ハスラーキューのバットにはそれ
を連結してプレーしている。
完全なハスラーキューではない。
ジョイントリングにはTADリング
があしらわれているからだ。
本式ハスラーキューは切りっぱ
なしの木部むき出しのジョイント
部になっている。
別名「四条虎徹」。
司馬遼太郎の『新選組血風録』の
中で新選組斎藤一が洛中四条の
夜見世で見つけた正真虎徹の掘り
出し物と同じようなものだからだ。
入手して精査したら、とんでもな
い上質材質、切れ味、撞き味、音、
撞球性能を持つキューだった。
元ポケットビリヤードのプロで、
世界的カスタムキューコレクター
で、国際的キューコンダクターで、
オリジナルカスタムキュー製作者
であるラッキーこと菱沼さんが
作ったバラブシュカタイプのカス
タムキュー。
ちょい長デルリンが最高に良い
センスだ。
ラッキーさんが四剣バラブシュカ
タイプを作るのは非常に珍しい。
このタイプは6本のみ2017年に作
られた。
オーソドックスにして不朽不動の
デザインだ。
なぜジョージ・バラブシュカが
四剣だったかというと、それは
ブランズウィックのタイトリスト
というメーカー普及キュー(少し
上級タイプ)のフォアアームの
ハギ部分を使ったからだ。
1940年代物の。
シャフトさえ使っていた。
つまり、バラブシュカは古いキュー
をコンバージョン・リビルドする
事でオリジナル・カスタムキュー
を作っていたのだ。
そのうち、新たにフォアアームを
バートン・スペイン等がバラブ
シュカに提供し始める。
バラブシュカが採った手法は、
キューエンドまでの本ハギを
ぶった切って、リング等を挟ん
で金属ネジで連結させる方法だ
った。
そして、当時最新式工業樹脂で
ある純白のデルリン®でキュー
エンドを作って割れ防止&デザ
インワンポイントとした。
これはそれ以前のランボーなど
の手法を踏襲しているが、接着
不能だったデュポン社のPOMの
デルリン®を主軸に使ったのは
バラブシュカだった。
ラッキー菱沼さんがバラブシュカ
タイプのキューを作るのは珍しい。
基調はブラックボアのようなキュー
を作る人だからだ。本家よりも
遥かに精密な技巧的なキューを
作るのが菱沼さんだ。
元プロだけに、玉の事も知悉して
いるし、キューの何たるかも非常
に深いところで考察する方だ。
その人がキューを作り始めて10年
程が過ぎた。
総じて、ファンシーな高級品が主
体だが、私個人は彼が作る超シン
プルなハスラーモデルには非常に
惹かれるものがある。
http://www.ilovecues.com/