渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

たばこ屋さん

2022年10月13日 | open
 

広島県三原市駅前通りには戦後の
レトロなたばこ屋さんがまだ
残っ
ている。
どうぞ、このまま続けてほしい。
 
昭和30年代のたばこ屋さんの
徴。それは外装がタイル貼り。
なぜか知らねどタイル貼り。
 
定番通りの正統派。
これで、おばちゃんいたら、
もう完璧。

右に開く

2022年10月13日 | open



当流では、納刀前のこの動作は
「右に開く」
と呼ぶ。
「血ぶるい」や「血ぶり」や
「横
血ぶり」とは一切呼称して
いない。

「右に開く」という物理動作の
説明のみが江戸期から伝承され
ている。
刀術概念上、このことはかなり
大きい
刀法研究上の意味を持つ。


包丁研ぎ

2022年10月13日 | open



うちは1984年に国鉄京浜東北根
岸線の大森駅そばの「西勘」で
購入した鋼の包丁をずっとメイン
で使っていた。
出刃やその他の包丁と併用しなが
ら、それはもうずっと。
2015年、職場の社員旅行の時に
越後湯沢の駅構内の出店ブースで
燕三条の包丁を買ってみた。
使ってみると頗る良いので、翌年、
娘用に2丁購入した。
あまりに私が絶賛するので、会社
の上司や後輩たちも何人かが同じ
モデルの包丁を同じ店で家庭用に
購入した。
私を含めて、私の周囲でその店か
ら9本の包丁が売れた。

モリブデンバナジウム鋼の牛刀だ。
とても良く来れる。
そして、初期出荷箱出しの時に
同モデルを何丁も出してもらい
日本刀を見るように精査した。
どれも手研ぎの初期刃付けが成さ
れていた。とても良い研ぎだ。
カミソリのように切れる。
元々素質が良いのに研ぎも良い
から、この燕三条の包丁はかな
り上出来の包丁だ。

けさ、夜明け前に起床して、沐浴
後に家の包丁を研いだ。
多少刃味が落ちたとの事だからだ。
切れ味も切り味も完全に復活させ
た。


これまで、多くの包丁に接して来
たが、この越乃一刀はその中でも
総合力でトップクラスだ。
東京大阪の有名どこの包丁よりも
作りも丁寧で、熱処理も良い。
質の良い包丁とはこうした作りの
包丁の事かと。
目玉が飛び出る程高くはない。
だが、安くもない。
「適正価格」かと思える(笑

新潟県は実は刃物の国でもある。
国産キャンプ用品も新潟県のメー
カーが業界を牽引している。
新潟、なかなかやる。
米うめーしよー。まじで。

越乃一刀。1980年創業。
まだ若いメーカーだ。

越乃一刀作

越乃一刀作

和包丁・洋包丁・ナイフ・鋏などの刃物、銀器の販売。「越乃一刀作」新潟県燕市 株式会社富真

刃物屋 越乃一刀 本舗

 


プロが使うハスラーキュー

2022年10月13日 | open


ラッキーさんのプレーキュー。
ベラボーに渋い。
ジョン・ガフィーのキュー。
guffey は人の名だが、これが
goofy となると「チョロ松」と
いった感じのアメリカンスラング
になる。

ヒシヌマイワオさん。
元プロ・ポケット選手である。
80年代にはビリヤード場経営も
して、世界中からカスタム個人
ビルダーの作品も集めた。
世界有数のキューコレクターにも
なった。著名なアメリカ作家たち
とのその個人的なコネクションは
世界一ともいわれている。
現在は自らキューメーカーとなり、
娘さんの夫二人もキュービルダー
となってカスタム・キューを作っ
ている。
通称ラッキー。アメリカ人が名づ
けた。多くのアメリカン・ビルダー
に慕われている。
現在はラッキー・インターナショ
ナルを主宰する。
宮城仙台の人だが、数年前に新潟
県に会社も工場も住居も完全移転
した。
そのうちカリフォルニアあたりに
移住しちゃうんじゃないかと心配
している。
都内の一等地のど真ん中に店を
出した事もあったが、すぐに撤
退した。時勢と先読みの動きは
素早く鋭い。

ハスラーキューとは俗称でスニー
キー・ピート・キューとも呼ばれ
る。
スニーキー・ピートとは、とぼけ
て素人を装い、賭け玉でカモる
コソ泥のようなギャンブラーの
を指す。
直訳すると「ずる賢いピート」。
ハスラーとは撞球者を指すのでは
ない。ゴト師の博打打ちの事だ。
正々堂々と金をかけての賭け玉
は厳密にはハスラーではない。
ハッスルとは人を騙してハメて、
現金をかっぱぐ詐欺的タカリの
事をいうからだ。
日本語のハスラーやハッスルは
意味が原語の米語とはまるで異
なる。ハスラーとはビリヤード
プレーヤーの事を指すのではな
いので注意が必要だ。
アメリカ人と話していて、ハス
ラーとか口にするとトラブルに
なりかねない。日本語の悪どい
詐欺師と同じ意味の言葉だから
だ。

本ハギの下まで突き通し、フル
スプライスがハスラーキューの
基本。つまり、ハウスキューみた
いなキュー。


シンプルなキューで手練れの達人が
さりげなく撞く。
めちゃくちゃカッコいい。
外連味のないキューで、ミラクル
ショットを連発する。
今は死滅したいにしえの漢のロマン
がある。
本当の撞球勝負師は、金が目当て
ではない。キュー一本での直接対
決を所望している。
それは、あたかも、かつての日本
の孤高の剣士のように。


本格的な国民総背番号制導入

2022年10月13日 | open



なぜこうした措置が必要であるのか。
それには理由がある。
ある事の「準備」の為だ。



秋晴れ

2022年10月13日 | open


本日、秋晴れ。

玉突

2022年10月13日 | open



閑静な住宅街の中に突如として
現れる「玉突」の看板。
なんとも昭和レトロで堪らない。
「ビリヤード」でも「ビリヤー
ード場」でもましてや「プール
カフェ」や「プールホール」で
もない。「玉突」である。
これよ、これ(笑)。
こういう店が近所にあったら通い
詰めだ。

ザ・昭和の看板。
そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ。


昔「〇〇撞球場」というビリヤード
場があって、よく行った。
おばちゃんが一人でやっている店。
そういう店は現在は全国的にほぼ
消滅しかけている。
まだありそうと思える地方でもそう
だ。
タバコ屋のおばちゃん、おばちゃん
のタバコ屋と同じで。




歴史体験学習:ビリヤード

2022年10月13日 | open

Hands on History: Billiards

プールテーブルの製作の歴史。
なかなか面白い動画。


「静寂なることを学べ」(アイザック・ウォルトン)

2022年10月13日 | open
 

 
シンプルながら精悍なハギ四剣。
釣聖アイザック・ウォルトン
箴言を彷彿とさせる。

「静寂なることを学べ」

火事と火傷とジャンゴとステファン(2003年12月26日記事再掲)

2022年10月13日 | open

今宵の三日月。よく見ると、丸い月
の姿が欠けている部分に透けて映る。
月食のような月。

日中の仕事を終え、20時からの
打ち合わせまでの間、CDを買い
に行く。
タワーレコードでジャンゴ・ライ
ンハルトの輸入盤等を4枚購入。
ジャケットには、スーツにくわえ
タバコで、アーチトップギターを
抱きかかえて伏目がちに微笑んで
いる有名な彼の写真。
ただ、この写真、多くのアルバム
に使われており、写真だけでアル
バムの特定はできない。
18歳のときの居住テントの大火事
で動かなくなってしまった左手の指
が大きく写っている。
その火事の後、彼はすぐに病院に
駆け込んだが、医師は彼の手を
「切断するしかない」
と診断した。
彼は病院を抜け出して、ヨーロッパ
を移動するジプシーキャンプに戻り、
必死のリハビリをした。
幼くして既に天才的な演奏をして
いた彼にとって、18才の時に左
手が動かなくなってしまうことは、
どれ程の失意の底に落とされたこ
とだろう。
しかし、彼は鉄の意志と執念でリハ
ビリをし、約1年半後に、左手は
人差し指と中指しか動かなくなっ
たのに、驚異のギター奏法を身に
つけて蘇った。
そして、その後の歴史で多くの著
名なギタリストたちに大きな影響
を与える演奏をしていく。
ベルギーで生まれ各地を転々とす
るジプシーだった彼は、彼と全く
生まれ環境も異なる裕福な家庭で
高等教育を受けて育ったステファ
ン・グラッペリと出会い、ステフ
ァンのバイオリンと合奏すること
でその才能が実を結ぶ。
だが、彼の弦楽クインテットは、
あまりにも斬新すぎて、最初の頃
は全く日の目を見なかった。
それまではギターはバンドの中で
はリズムを刻む伴奏楽器でしかな
かった。
それを弦楽多重奏で、リズムを刻
むギターに合わせてソロギターで
メロディラインを弾くという今ま
でにない演奏を世界で初めて実演
したのがジャンゴだった。
ホット・クラブ・オブ・フランス
での活動が米国の音楽関係者の目
にとまり、彼らは世界の二人とな
っていく。
彼らの蜜月はナチの迫害を逃れて
ステファンが米国に脱出するまで
続いた。
ナチにとってジプシーは抹殺の対
象だったが、ジャンゴの演奏はナ
チをして彼を殺害せしむることさ
えも止めさせた。
幸か不幸か、戦後再会した二人に
は、1930年代のあの演奏は再現
できなかった。
別れて暮らすうちに、求める音の
方向性も別れてしまったからだ。




ハスラーキュー

2022年10月13日 | open

私のハスラーキュー。
フェノール
樹脂先角。
タップは撞き締め中。

玉入れが滅茶苦茶強いシャフトだ。
ただ、これよりも抜群に制御自在で
音が透き通る良音がする
ソリッド
シャフトが手元にあるので、この
ハスラーキューのバットにはそれ
を連結してプレーしている。



完全なハスラーキューではない。
ジョイントリングにはTADリング
があしらわれている
からだ。
本式ハスラーキューは
切りっぱ
なしの木部むき出しのジョイント
部になっている。



別名「四条虎徹」。
司馬遼太郎の『新選組血風録』の
中で新選組斎藤一が洛中四条の
夜見世で見つけた正真虎徹の掘り

出し物と同じようなものだからだ。
入手して精査したら、とんでもな

い上質材質、切れ味、撞き味、音、
撞球性能を持つキューだった。


ラッキーズ キューズ

2022年10月13日 | open



元ポケットビリヤードのプロで、
世界的カスタムキューコレクター
で、国際的キューコンダクターで、
オリジナルカスタムキュー製作者
であるラッキーこと菱沼さんが
作ったバラブシュカタイプのカス
タムキュー。
ちょい長デルリンが最高に良い
センスだ。
ラッキーさんが四剣バラブシュカ
タイプを作るのは非常に珍しい。
このタイプは6本のみ2017年に作
られた。
オーソドックスにして不朽不動の
デザインだ。

なぜジョージ・バラブシュカが
四剣だったかというと、それは
ブランズウィックのタイトリスト
というメーカー普及キュー(少し
上級タイプ)のフォアアームの
ハギ部分を使ったからだ。
1940年代物の。
シャフトさえ使っていた。
つまり、バラブシュカは古いキュー
をコンバージョン・リビルドする
事でオリジナル・カスタムキュー
を作っていたのだ。
そのうち、新たにフォアアームを
バートン・スペイン等がバラブ
シュカに提供し始める。

バラブシュカが採った手法は、
キューエンドまでの本ハギを
ぶった切って、リング等を挟ん
で金属ネジで連結させる方法だ
った。
そして、当時最新式工業樹脂で
ある純白のデルリン®でキュー
エンドを作って割れ防止&デザ
インワンポイントとした。
これはそれ以前のランボーなど
の手法を踏襲しているが、接着
不能だったデュポン社のPOMの
デルリン®を主軸に使ったのは
バラブシュカだった。

ラッキー菱沼さんがバラブシュカ
タイプのキューを作るのは珍しい。
基調はブラックボアのようなキュー
を作る人だからだ。本家よりも
遥かに精密な技巧的なキューを
作るのが菱沼さんだ。

元プロだけに、玉の事も知悉して
いるし、キューの何たるかも非常
に深いところで考察する方だ。
その人がキューを作り始めて10年
程が過ぎた。
総じて、ファンシーな高級品が主
体だが、私個人は彼が作る超シン
プルなハスラーモデルには非常に
惹かれるものがある。





http://www.ilovecues.com/