渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

フォローショット 〜押し玉〜

2022年10月21日 | open



フォローショット=押し玉には
いろいろな撞き方がある。
だが、どんな技法の押しでも、
ソロリではないハードショット
だと、物理的に絶対に手玉はジャ
ンプする。
キューで手玉の上を撞いて、その
分力が下方に向かい、台の石板と
の反発力で手玉が浮くのだ。
浮いたまま手玉が的玉に当たると
的玉もジャンプする。

特に手玉と的玉の分離角度を狭く
させる「割れない押し」の場合は
あたかも平マッセのような撞き方
をするので、やや撞き下ろす形に
なる。
当然、浅いジャンプショットの
ような現象が発生して手玉はジ
ャンプする。


押し玉の撞き方は、パチンと叩く
ように突くのではなく、キューを
押し出すように利かせて撞き出す。
キューが切れていれば、スムーズ
なソロリとした押し出しでも充分
に手玉に前身回転スピンが乗り、
よくフォローする。

押し玉の撞き方の技法は複雑だが、
大別すると三種類になる。
1.手玉の最上部を撞く
2.手玉の中心よりやや上を撞く
3.手玉の中心より上を下に向けて
 撞き下ろすように撞く

さらには、
イ.グイッと撞く場合
ロ.上に払うように撞く場合
ハ.スタン気味に叩く場合
等々がある。

さらに細かいのだが、大別すると
そのあたり。
ガツンとパンチするような力任せ
のショットだと押し玉はできない。
パンと叩くスタンショットはガツ
ンパンチではない。撞き方が違う。
マイク・シーゲルのようなカツン
と当てて手玉を反発で弾かせる
ようなショットがスタン(はたき)
ショットだ。パンチショットは
似ているが別な技法だ。

押し玉だけでなく引き玉やヒネリ
の時もそうだが、キューの突き出
し方も、ただキューを真っ直ぐに
出すのみではない。
上や横に払うように撞いたり、
下にグイッとキュー先を潜り込ま
せるような突き出しの撞き方も
ある。
すべて手玉はそれぞれ別な動きを
する。

押し玉ではあまり手玉の上を撞く
と押しが利かない。手玉は撞点が
中心に近いほうがトルクを乗せら
れるからだ。極端な例がマッセ。
上からの撞き下ろしだが、手玉に
一番強烈なスピンをかけられる
撞き方がマッセだ。
キューを水平に突き出す撞き方で
も、技法によってはマッセのよう
な手玉の動きをさせる事ができる。
それにはキューを切らせて行って、
充分に手玉に回転力を与えてやる
事だ。
押しは引きより難しい。
いろいろな撞き方があり、いろい
ろな反応を手玉が見せるからだ。

まるで平マッセともいえるエフ
レンのキュー切れ。押し玉だ。


キャロムの時代

2022年10月21日 | open


親交ある東京撞球人の方の若き日。
1987年。
四ツ球を撞いてる。
台が豪華で素晴らしい台だ。
老舗だが、今は無いお店。
元キャロムプレーヤー。
現プールプレーヤー。
TAD遣い。

同年1987年のあたくし。
ポケットを撞いてる。
台間狭い赤坂見附のホール。
今は無いお店。
元キャロムプレーヤー。
現プールプレーヤー。
TAD遣い。

チョークは茶ブラ使ってますね。
伝説の名チョーク。金額は普通。
今みたいなボッタクリの商品など
無かった。
チョーク1個3000円の今の時代。
絶対になんかおかしいってば。


鎌倉

2022年10月21日 | open



過日、友人とルービー飲みながら
映画観てた。
北鎌倉が舞台の映画。
するってーと、友人は「鎌倉って
どこやねん」と言う。
まじか!
ここだよ、ここ!幕府があった
とこ!


横須賀線でも行けるが、湘南電車
=東海道線で藤沢まで行って、
江ノ電で藤沢から鎌倉まで戻る
ルートがおすすめ。


藤沢から江ノ島を通り、住宅街を
抜けて海沿いをずっと路面電車
の江ノ電が行く。景観最高よ。


青春ドラマはなぜか鎌倉の高校や
下宿が舞台だった。


逗子は御用邸もある場所で、住宅
も高級住宅街だ。北鎌倉は文学的
な佇まいの寺院がある。
京都の大原や嵐山に雰囲気が似て
いる。


JR鎌倉駅。


駅前が広いのは、路線バスや
観光バスが停まるため。


鶴岡八幡宮の参道はかなり圧巻だ。
ここで鎌倉時代に反幕府の市街戦
を展開した。蜂起軍は負けた。


正月は人で満杯。歩けない程。


鶴岡八幡宮。
将軍暗殺のあった場所。


鎌倉には大仏もあるだよ。
胎内に入れる。
付近の幼稚園の遠足の定番。
おいらもここ行った。


北鎌倉も、これまたいいとこだ。
さだまさしの歌の世界。


古都ですね。都ではないけど。


鎌倉いいとこ。


最高。


高1の時、北鎌倉。(コートが俺)

鎌倉の海。


高校時代は、自動二輪なる鉄馬に
騎馬にて鎌倉入りでは革を着てた。
冬は太平洋の颯って、さびーの。
これはサンパチと連ねて行った時。
くっそ速いサンパチだった。

カッキーの季節

2022年10月21日 | open


カッキーの季節ですね。

日本国内では北海道以外で栽培
されています。
植えて木が育てば簡単に成る実。
そんでもって、滅法美味い。
若いカッキーはシャリシャリと
うまいし、熟した柿はまるで菓
子のように甘(うま)い。
で、干し柿なんてのも美味だ。
カッキー、なかなか良い。
いわゆる柿色。
黄色でも橙色でもない。
カッキーは柿色。

樹木の枝は折れやすいので、柿の
木の木登りはするなと古人から
教わった。確かにポキポキいく。
柿の木で作った湯呑み蓋とかの
作品あったが、希少材のようで、
あまり見ない。あっても高価みた
い。大木にはならないかなかな。

パーシモン、うまし!




独自風習、文化の考察

2022年10月21日 | open


戦後、GHQにより禁止されていた
剣道が復活した。
新時代の新生剣道として女子にも
剣道への門戸が開かれた。
そして、現代に至る。

学校の部活動でも剣道はさかんに
戦後からは男女共に行なわれた。
だが、日本剣道の部活動、実に妙
な風習がある。
男子は第二次大戦の敗戦までは
江戸期から褌を着用していた。
戦後は一般的生活でも洋式の下着
だ。
だが。
剣道の部活動においては、男子は
ノーパン厳守だった。
これの理由はいかに?
また、女性は江戸期終了までは
着物の下はノーパンである。
だが、戦後の剣道では女子のみ
は下着を着用している。
ところが男は無し。ナッシング。
歴史的な流れとしては、
 男:褌→ノーパン
 女:ノーパン→パンあり

これはなぜだ。
男はどうしてノーパンに袴ばきと
いう珍妙な事になったのだろう。
日大ボクシング部のフルチン合宿
とも位相が異なる実に妙な風習だ。

「上記の発生および普及理由に
ついて、答えを記せ。
(400字以内、制限時間20分)」
という問題が出たら、現代剣道人
は正答できるのだろうか。
この奇妙な風習、深い謎。

ゴルゴは白パン愛用者。
グンゼだろうか。



林道 2

2022年10月21日 | open


林道てのはこういうのかと思って
いたよ。
ところが、複線舗装路のよく整備
された観光道路でも林道だったり
する道もある。

でも、こうしたダート林道は、
街乗りミニバイクで走ってみても
かなり楽しいのですよ。


時々こんなのに出くわす事も
あるけど、これも一興。


森を抜けて走って行く。


山道楽しい。
草原などが見えたら最高だ。


そこをスーッと行く。
こんな風に。
なかなかどころか、かなり良いよ。
シティナイトクルージングも楽し
いけど、市街地からすぐのとこで
自然満喫できるというのは、かな
り走ってみると気持ちいいのです。





1960年の東京の風景

2022年10月21日 | open


私が生まれた年1960年の東京の
郊外の団地の風景。
この子どもは私の8才位年上だろ
う。

団地アルアルでは、この植え込み
のアーチ状の白く塗られた物。
これ、鉄の丸棒なんですよ。
一応植え込みとの区切りなのだ
けど、子どもたちは平気で入って
いたし、立ち入り禁止でもなく、
大人たちも咎めたりするせせこま
しい連中はいなかった。
ここの土をこねて土団子を作って
落とし割り合戦やったりした。
あと、釘刺しはこのエリアね。
芝生や草はそのうちハゲちゃう(笑
画像左下でもハゲてるとこある
でしょ?
これ、多分子どもたちがそこで
遊んだ跡。

団地の良いところは、共同生活で
高度な社会性が構築運営されてい
た事だった。
それは極めて、「戦後民主主義」
的だった。地方のムラ社会もムラ
意識も団地では捨象排除された。
極めて民主的で全員参加型のコミ
ューンが形成されていたのが団地
だった。
これは、その後に一般的に流行っ
た建売住宅の新興住宅街とは空気
と文化が違っていた。
戦後15年前後の公団団地は、一つ
の人の暮らしの理想郷のような空
気に満ちていた。これ、事実。
まだ、社会民主主義的な事柄が輝
きを持っていた時代の事だ。
現代とは真逆の。
反戦平和の庶民の生活地が公団の
団地だったような雰囲気があった。
そして、事実、団地の住民たちは
全員がとてもリベラルだった。
1960年代は。
まだ、この日本国は、世界の言語
を韓国語にしてしまおうとする
思想を骨子に持つ世界支配を狙う
ショッカーのような外国の統一
に実効支配されていない時代
だった。

一番古い硬貨

2022年10月21日 | open


一円玉てのは古いよお〜。
なんせ1955年から使ってる。
もうことしで67年目だぜ。
ひゃ〜。

五円玉も古い。1959年からだ。
ただ字体は昔は裏の「五円」が
明朝体だった。
今はゴシックだよね。


で、かなりよく使う十円玉。
最初は周囲にギザがあったが
やがて消滅した。

五百円玉も現行の物で何代目かに
なるが、硬貨というのは長く使う
物だ。
紙幣は傷むからよく代替される
けど。
というか、そもそも硬貨と紙幣は
役目が違うのよね。発行母体も。

穴あき硬貨は世界的に珍しいので、
日本の五十円玉や五円玉は海外で
人気あるそうです。
おいらなんて、ビリヤードキュー
のオモシ代わりに使ってたりする。
微細なウエイト調整ができるので、
仕込むと便利(笑
お守りみたいなもんでもある。

これはこの硬貨初登場の年の物。
今年2022年から55年前の1967
年だ。

思うに、お金の硬貨てのは、ごく
普通に日常的に骨董品を使ってい
る訳で、考えると面白い。
日用品のほぼ全てが骨董品。
これは、全世界がそうだ。
全世界で一番多用されている骨董
品、それは硬貨。
おもれー。

団地への招待 (1960)【高画質・公式完全版】

2022年10月21日 | open

団地への招待 (1960)【高画質・公式完全版】



1950年代~60年代。
まだ終戦から15年ほどしか経って
いない頃。
団地はキッチン、リビング、水洗
トイレと夢の文化住宅だった。
都内の団地も郊外の団地も「白亜
の御殿」などと呼ばれていた。
整備された道路と衣食住と教育と
交通が整った環境。
まさに公団団地は夢の生活だった。
そして賃貸も分譲も超絶人気の為、
抽選がなかなか当たらない。
我が家はたまたま偶然、抽選に当選
して東京都目黒区から神奈川県の
湘南エリアの高台の新築団地に入居
する事ができた。
物心ついた時からシステムキッチン
と風呂と水洗洋式トイレのある生活
だったが、戸建て住宅ではそうした
現代では常識のような暮らしでは
なかった。汲み取り式トイレが
日本全国常識で、台所は土間、煮炊
きも薪で、都市部でかろうじてガス
と水道が通じていたくらいだった。
地方都市などはすべて井戸水だ。
手押しポンプで井戸水をくみ上げ
ていた。
公団団地が「夢の生活」と呼ばれた
のは、60年後の現代に繋がる文化的
住環境が戦後10数年で完全整備され
ていたからだった。
それは現在のタワーマンションとも
様相を異にする。
団地の応募には収入制限、職業制限
(定職で安定収入がある家庭)が
あるにはあったが、入居できるのは
庶民だった。金持ちが入居する現代
高層マンションとは別物だ。

団地での生活は、とても健康的で
爽やかだった。
同世代の子どもたちだらけだった
というのもあるだろう。
つまり、居住者すべてが親も含めて
同世代なのだ。親たちは20代だ。
ガキどもが小学校に上がる頃。
団地はひとつの「町」だった。



賃貸862戸、分譲170戸の
大型団地。


この交番の横は医院があった。
5歳時に手をざっくりとナイフで
切った時、その医院で治療して
もらった。右となりの保育園は
かなり後に作られた。私が入園
したのは坂を下りた街中の幼稚
園だった。この棟は2004年時点
では企業の社宅となっていたら
しい。
写っていない左側には広場があり、
酒屋や駄菓子屋や八百屋や精肉
店等の商店が立ち並んでいる、
いわばショッピングモールエリア
だった。通称マーケット。店舗前
の広場は子どもたちの遊び
場だ。
コンクリート床面もあり、
自転車
乗ったりローラースケート
をした
り自由に遊んでいた。


2004年時。まだ棟が残っていた。

2022年現在。


マーケットは現在取り壊され
ている。広場は残っている。


団地アルアル。
この海用テトラが必ずあった。
これは湘南だからか?


私が住んでいた棟は完全に建て
替えされている。


この長いほぼ直線の坂を下った
湘南電車とのドン付きに小学校
があった。


街の中に丘がある感じの地形。
小学生の時にこの坂を毎日
昇り降りしたが、かなりきつい。
両サイドは切通しのような地形
になっている。無理やり造った
感が強い。この団地は1962年に
完成し公募が始まった。
この町での暮らしは最高に快適
だった。毎週日曜には湘南海岸
江ノ島に行った。
1960年代の団地はまだ新築だし、

未来を感じさせるふくよかな町
だった。
団地の暮らしは光があった。
間近に。
やがて高度経済成長が躍進し、

団地から整備された戸建て建売
住宅が大流行となる時代が来た。
それが1970年あたりからだった。




林道

2022年10月21日 | open



林道ってダートかと思っていたら、
この道路の正式名称には林道が
付けられているんだよね。
知らなかった。

2020年 終戦記念日の峠道

2020年 送り火 鎮魂走


必需品

2022年10月21日 | open



アコギ弾きの必需品。
ピンを抜く時に、箱の中から
押し上げるのに使う。