渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

粘着

2024年03月04日 | open
 


 

頼子、行くぞ!

2024年03月04日 | open

頼子、行くぞ!




頼子と味沢を思い、うたってみた。


レッグカバー

2024年03月04日 | open
 


なんか凄いのが売られている。
昭和40年代に都市部に多かっ
た風呂みたい
だ。
 

車を傷める駐車方法

2024年03月04日 | open
 
 
バックで車止めにグッと押し
当てたまま停車すると、サ
ペンションや懸架装置を傷
ますよ。
車止めに当たったら、少し前
に出て完全停止駐車させるの
が四輪車を壊さないコツです。
これは立体駐車場に入れる時
も。
理由は、四輪車のサスや足回
りは、上下方向へのテンショ
ンには対処させる設計ですが、
後方からの外圧を処理する設
計にはなっていないからです。
後方から外圧を与え続ける駐
車方法は、確実に車を傷めま
す。見えない所でじわじわと。
 

旧車會

2024年03月04日 | open


 




暴走していないなら、マフラー
の排気音量と車体全高制限等の
「故障車」運行での取り締まり
しかできないだろう。
というか、旧車會を取り締まる
意味がよくわからないが、上記
のように決められた規制の範囲
でしか取り締れないのが現段階
の実態か。
かつての暴走族のような暴力団
の下部組織状態ではない以上、
暴走族にやったのと同じ排除
規制措置や「反社」キャンペーン
は難しいのではなかろうか。
 
ただし、警察は「現代型暴走族」
と見做している事だろう。
人が集団化するのを最も警戒し
ているのが警察だから。
そして、「治安維持」を名目に
権力を発動する。
明治時代からある国家権力の
「弁注!」みたいなものだ。
 
旧車會は違法行為を犯さない
限り社会悪ではない。
しかし、「社会悪」化させて
洗脳の固定認識を国民に植え
付けたい権力の意図がそろそ
ろ動き出して来たようだ。
そして、今のオートバイ乗り
頭が弱く自己中で排外主義
良市民ぶるニセモノ社会派

多い
ので、「こういう奴ら
いる
から云々」として高齢
の旧車好きの即席集合の旧

會のような集団を爪弾

たがる連中も多いのでは
ろうか。
 
 
 

真実

2024年03月04日 | open
 


日本の二輪界での人的資質の
低下が著しい。
セパレートハンドル等の低い
位置に設置されたハンドルの
二輪車について「腰への負担
が」とか「きつい」とか「痛い」
とか口にする者は、全員二輪
のド素人だ。これガチ。
自分の乗り方に大きな根本的
な欠陥がある事を見つめよう
とはせずに車のせいにする。
言語道断だ。
ハンドルが低いマシンがきつ
かったり苦しかったり痛かっ
たりするならば、ロードレー
シングライダーは拷問に耐え
るようにして走っているとで
も言うのか?
 
全員である。この真実は二輪
に乗る者全員に等しく平等に
働く。
たとえ微塵たりとも、低い位
置のハンドルの車や前傾姿勢
を「きつい」「辛い」「痛い」
「腰に負担かかる」とか言う
人間は、根本から二輪の乗り
方を全く理解していない。
ド素人の上に超がつく論外で
番外の「よその人」だ。
これは、私的感想ではなく、
真実である。
 
その超ド素人たちが、分かった
ような顔して二輪を語りレビュ
ーとかをやっているのが現代。
草野球もできないボールを10m
位しか投げられない人間がメジャ
ーリーガーを専門家ぶって論評
するようなもの。
門外漢はすっこんでいたほうが
いいと思われる。
自分が乗り方を知らずに車のせ
いにして文句たれているのは
常に無様で恥ずかしい事だ。
二輪メーカーは拷問器具などは
作っていない。
正しく二輪に乗れば、身体はど
こも痛くはならない。
たとえ1日800kmをセパハンモ
デルで走ろうともだ。
 
正しくない事をやっていながら
そこから来る自分で招いた身体
的不具合を車両のせいにする。
それは、二輪に乗る人間として
ろくでもない事であるのに気
かないのだろうか。

まだ気づいていないだけな
ら良い。
大出鱈目の大嘘危険乗りを
安全運転普及と称して拡散
させている公的団体もある。
↓大出鱈目の極致。

日本式座礼のような姿勢を取ら
せようとする嘘情報普及協会の
広報は危険と身体負担を誘発す
る犯罪的な広報だ。大嘘出鱈目。
GPライディングまで持ち出して
嘘をつくとは呆れる。
GPの真実。これは昔も今も何も
変わらない。
 ↓

この手のお上系の発信する大嘘
は歴史上多い。
かつて、二輪車の型式認可につ
いて法執行機関はカウル付きと
セパハンは危険だから認可しな
いと公言していた。
カウルについては、ライトが一
方方向しか照らさないから危険、
としていた。
ならば四輪車は全て危険となる。
セパハンは上体を起こす正しい
乗車姿勢を妨げるから危険、と。
さて、現代は白バイでさえカウ
ルとスクリーンバイザーが付いて
いる。
警察は過去の言に対して責任は
取っていない。
この手の類は教習所の嘘教えに
も現代でも残存している。
体制側の大嘘を嘘と見抜かずに
損をするのはいつも国民だ。
しかし、それは国民自身の責任
でもある。
物理的にも医学的にも完全に
おかしな事をさも正しい事の
ように広報するのが体制権力
者の常だ。
愚者は経験に学び、賢者は歴
史に学ぶ。
過去の歴史を冷徹に客観的に
分析すると、いかに出鱈目の
大嘘を体制権力側が発信して
いたかが具に判る。
日本のかつての二輪のカウリ
ング禁止措置などはそれの典
型だ。
国民は嘘を嘘と見抜く目を待
とう。
物理的にありえない嘘を本当
の事かのように欺罔して騙す
のが「体制側」、「権力者」
「それらの提灯持ち」の常だ。
ご注意を。
でも、見抜くのは簡単。
カウル禁止と同じような嘘を
この大嘘普及協会(体制の外郭
団体)はついている。
リンゴを手放すと空中に上がる、
みたいな稚拙なねつ造による嘘
をつくのが特徴。

今の時代、カウルとバイザーと
セパハン付きだらけの二輪とな
った。
危険だからと権力者たちが絶対
に認めようとしなかった製品群
が今は常識になっている。
するとGPでも、と内実まるで
真逆の大嘘をつき始めた。
ご用心。


仮面ライダーとロードレース ~立花レーシング~

2024年03月04日 | open


(1971年放送『仮面ライダー』)

仮面ライダー本郷猛は城北大学
(のち
城南大学)の大学院研究
生ながら
ロードレーシングライ
ダーでもあった。

彼は立花藤兵衛が主宰する立花
レーシン
クラブに在籍するロー
ドレースの選手
でもあった。

『仮面ライダー』(1971年)の
中で
出てくるロードレースシー
ンは、まるで
1950年代の日本の
公道レースのように
公道でのレ
ースシーンが撮影された。

選手権のかかったJA.Oという組織
主催
の公式ロードレースとして物
語上設定
されている。
出場マシンは、ほぼ公道マシンで
あり、
俗にいうプロダクション
レースのよう
なレギュレーショ
ンのようだ。


そこでレース中に本郷(藤岡弘)
と相棒
のチームメイト滝(千葉
治郎)は、ショ
ッカーの陰謀に
気づき、怪人と戦う。



レース自体は本郷が優勝する。
「やったぜ、おやっさん!」
メットの色ちゃうやんけ(笑)。

立花レーシングクラブの面々。
メカニックは誰?(笑)


藤岡氏と千葉氏、エキストラ
のみなさん。

藤岡氏が跨るのは、カワサキ
のロケット
マシン、A-7SSア
ベンジャーと思われる。



本郷猛の日常的な愛車はスズキ
GT380、通称サンパチだった。
大柄なオートバイだが、ばかっ
ぱや
だった。特にフロントブレ
ーキが
ドラムの初期型。

(本郷猛モデルのプラモデル)

立花レーシングのマーク。


仮面ライダー製作放映時の1971年
の時点で、本物のロードレースは
どの
ようなものだったのか。
情勢としては1960年代のホンダの
圧勝後にスズキが台頭し、それを
ヤマハが撃墜して不動のヤマハ黄
時代を築く頃である。
ヤマハは60年代末期に一旦WGPか
撤退するが、マシン開発を進め、
個別
に世界有力ライダーにマシン
を供給する
ことで開発と実績を同
時に積んだ。

そして70年代はもう完全にヤマハ
世界を制した時代となった。
それはワークスでもプライベーター
でも。ヤマハのマシンでなければ
世界
選手権のレースが成立しない
程だった。


1971年式ヤマハTR2B


仮面ライダー本郷猛の出場した
レースが
実は1971年時点ではす
でに存在しない
10年以上過去の
形態を演出していること
がマシ
ンひとつを見ても判ることだろう。


1971年の世界グランプリ




まだサイレンサーの装着は義務付
られていない。
ヘルメットもおわん型→ジェット
ヘル
メット→ジェットヘル+シー
ルド→
フルフェイスと、ヘルメッ
トの進化
がそのまま全員集合した
のが1971年
の世界選手権だったと
いえる。

ちょうど仮面ライダーがこの世に
登場
した年の世界グランプリがこ
うだった。

特徴は、全車が空力特性を得るた
めに
フルカウリングを装着して、
前傾姿勢
とダイレクトレスポンス
を得るために
セパレートハンドル
を着けていること
だ。まだ、後年
のように極端なバック
ステップに
はなっていない。


ジェットヘルメットは1973年頃ま
世界選手権でも使用されたよう
だ。

下は1973年に125ccクラスで世界
チャンピオンになったスウェーデ
ンの
スノーマンことケント・アン
ダーソン。
(前年世界2位)
ヤマハの供給ファクトリーマシン
だ。

身長180センチほどの長身なのに
小さい
125ccを職人技で駆ってチ
ャンピオンに
なった。250とダブ
ルエントリーで
250では1973年に
は総合6位だった。

前年の1972年の250ccクラスは、
やはり
ヤマハのヤーノ・サーリ
ネンが世界
チャンピオンになっ
ている。世界で
初めて膝をすり
ながら走った男だ。

残念ながら世界チャンピオンの
ヤーノ
は1973年のグランプリレ
ース中に死亡
した。

(ケント・アンダーソン/1973年)


1971年当時は、レーシングマシン
には
サイレンサーが無かったので、
とんでも
ない爆音だったことだろ
う。

1983年に全日本選手権筑波戦の最
中に
サイレンサーが一つだけ脱落
した
国際A級125のヤマハのマシン
があった。

私は現場にいたが、とんでもない
爆音
だった。あれが全車ノーサイ
レンサー
だった時代は、騒音がど
うの以前に
絶対に耳がすぐ難聴に
なると思った。


一方、市販車改造クラスのレース
盛んに1971年当時も行われた。
これなどは仮面ライダー本郷猛が
出た
レースに近いレギュレーショ
ンだろう。

タンデムステップに足を載せ、左
でシフトチェンジをするという
職人技
を見せている。
(1971年式スズキT250R)


ただ、本郷猛のレーシングマシン
では
なく、変身後の仮面ライダー
(1号も
2号もなく、仮面ライダー
は仮面ライ
ダーただ一人)の愛用
マシン=サイク
ロン号は、1971年
当時の最先端の
世界グランプリマ
シンの様式をモデ
ファイしていた
ことがうかがえる。



フルカウルのオートバイなどは、
レーシングマシン=ロードレー
サー
以外には存在しなかった。
それをTVドラマ「仮面ライダー」
は400馬力のスーパーマシンとし
物語の中に登場させた。
しかも、本郷猛が駆るスズキの
GT380
がレバー一つでサイクロ
ンに変身し、
その風圧で本郷の
ベルトの風車が回転
してパワー
を得て本郷猛は初めて
仮面ライ
ダーに変身できた。

ただ、マスクについては、改造
人間
としての手術痕を隠すため
に被った
と原作では設定してお
り、ドラマの
仮面ライダーでも、
初期には時々
本郷猛がマスクを
脱いでいるスチール
が残されて
いる。

それがいつの間にかサイクロンに
乗って風圧での変身から、2号が
初めて行なった変身ポーズにより、
ジャンプすると変身できるように
変化した。
変身前は生身の人間であるのに。
仮面ライダー七不思議の一つなの
だが、そこは突っ込んではいけな
い(笑)。


仮面ライダーのサイクロン号には
立花レーシングのマークがある。
これはライダーベルトのタイフー
ンにも。
しかし、カウル付バイクでなぜベ
ルトに風圧?というのも、そこは
突っ込んではいけない(笑)。



時は流れて、2009年。
MFJ主催の全日本選手権ロードレー
GP250クラスにおいて、旋風が起
きた。

なんと往年の全日本トップライダー
して世界グランプリライダーの
宇井選手
が企画参戦として「立花
レーシング
クラブ」の選手で全日
本選手権に全戦
出場。マシンはそ
の名もサイクロンと
名付けた2スト
GP250マシンで全日本
選手権を戦
ったのだ。


ノリノリ。

結果、なんと日本チャンピオン!(笑)
いいね~、こういう遊び心で本気の
ギンギンつり目の全日本選手権に参
して日本チャンピオンになっちゃ
うと
いうのは(笑)。

1971年。この世に仮面ライダーが
登場
した。
その年、5年後に圧倒的な強さを示
した
イギリスのバリー・シーンは
50ccクラス
でレースをやっていた。
世界中のレースファンから愛された
英国人バリーは、2003年に肺がんで
亡くなった。


バリーは、ハンサムボーイだった。
ロードレースがまだ市民権を得て
いない
時代、モーターサイクルの
スポーツ性
を英国で広めた功績に
より女王陛下から
ナイトの称号を
バリーは授与された。

80年初頭にヤマハに引き抜かれ
たが、
あまりにもケニー・ロバ
ーツとの差別
待遇により再び古
巣のスズキに復帰した。

とてつもなく光る走りをするラ
イダー
だった。決してことさら
に派手なアク
ションではないの
に、まばゆいほどに
輝いていた
走り人だった。

日本では現在もなお、モーター
サイクルの
スポーツ面が国民に
認知されていない。

英国でさえ1970年代初期にはそ
うだった。

だが、バリーがサーとなること
で大きく
変化した。
1971年当時の日本は、上掲の立花
レーシ
ングの雑誌説明書きで「オ
ートレース」
と記載されているよ
うに公営ギャンブル
レースとスポ
ーツレースの区別さえついて
いな
い。

80年代バイクブームが去った今、
サーキ
ットの観客席はガラガラだ。
ロードレースのみならず、あらゆ
るモーターサイクルレースでは日
本車が世界選手権を席巻し不動の
王者であったのが長く続いたという
のに。
日本を代表する世界に誇れるもの。
それは日本刀とモーターサイクル
だ。
それと前方後円墳。
ただ、日本国内自体では、モータ
ーサイクルの地位は世界稀有なほ
どに低すぎる。
つい先ごろまで、公的教育機関ま
でもが憲法違反をしてモーターサ
イクルを悪者にしたてあげて国民
に運転免許の取得と運転を禁止す
ることをしていたのが日本だ。
絶対にあきらかに全てがおかしい。
教育放棄は、やがて国が亡びる。
早期交通教育を為し、日本国全体の
モーターリゼーションが名実ともに
先進国の仲間入りをすることを切に
私は願っている。

日本でもモータースポーツの選手権
天皇杯のようなものができればい
のに
と私は思う。

四輪車だけでなくモーターサイクル
愛した上皇陛下(皇太子時代)。


ライディングを楽しまれる昭和天皇。


街道挨拶

2024年03月04日 | open
 


昨日は日中小雨も降ったが、概ね
晴れ。街道にはバイクが溢れてい
た。
国道を50年以上前のピンクナンバ
ーの車両で走っていたら、対向車
線の二輪たちにやたら挨拶をされ
た。
ヤエ~系ではなく、大人の会釈の
挨拶。こちらも返した。
女性も男性も、なぜか多く会釈で
挨拶をくれた。
パリピ系ヤエ~ではなく、上品な
感じがした。

ヒューズ

2024年03月04日 | open



ヒューズが切れたバイクは始動
できなくなる。
昨日、友人にあげたミニバイク
出先で突然始動不能になった。
お助けマン登場で工具と交換部
品を持って現場に行って、
まず
プラグを見たら被りまくり。

新品プラグに交換して始動した
ら一発始動だった。
その後、移動のため短い距離
(数キロ)を走って予定場所で
停車。
エンジン止めてからまた始動し
なくなった。

別なプラグに交換してもエンジン
に火が行かない。火花が飛んで
いない。


しばらく冷静に考えて、バッテ
リーカプラに直結の1個だけの
ヒューズを見た。
見た目は全く切れていない。
テスターとかは持ってきてない。

疑って新品規定値ヒューズにそ
の場で交換してみた。シートカ
ウルとフロアの外装を外して、
バッテリーも取り外して。

すると問題解決。
見た目が切れていなくとも、不
具合発生既存ヒューズはやはり
通電不
良を起こしていたようだ。
私が20年近く乗っていた時には
全く現れた事のない症状だった
が、車自体は2000年製だ。いろ
いろと疲れも出てきている。
走行距離は5万キロに近い。
バッテリーを昨夏に交換した時
に、ヒューズも新品に交換して
おくのだった。失敗。
もしまたヒューズが切れる事が
あったら、その時に根本原因を
突き止め
る。
ハーネス含めて、電気電子系部
品は1台分予備パーツをストック
してあるので、最悪の場合配線
等全交
換。コイル等含めて。
ヤマハの2スト原付は異様に機関
部に耐久力があるので、配線等
が経年変化でどんどん機関部の寿
命よりも早く御役御免が来るのか
も知れない。

今はド快調。


今回のヒューズ切れは、漏電とか
過負荷が原因ではないのではなか
ろうか。24年経過のパーツ劣化と
推測している。

でも、頻繁に切れる場合、何か
原因がある。この個体でヒューズ
が切れたのは今回が初めて。

ヒューズは安全装置なんだよね。


トゥエニィシックスサーティ

2024年03月04日 | open



ジャストナウ。
例によって夜の街。