渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

絶景 ~福岡県~

2024年03月27日 | open

【まるで天国⁉︎】人生史上1番
すごい絶景ツーリングに行って
きた


ここ、すごいね。





バリー・シーン 不屈の英雄、2度の王者で輝き続けた伝説の人生

2024年03月27日 | open

バリー・シーン
不屈の英雄、2度の王者で輝き
続けた伝説の人生


私が一番好きなライダーがバリー・
シーンだ。
ケニーは乗り方が好き。バリーは
全域において好き、という違い。
世の中を変えた伝説のチャンピオ
ンである彼は、52才の若さで病没
した。彼とケニーがロードレース
とオートバイを世界に広く認知さ

せ、ライダーの地位と環境の改善
に尽力した。
サー・バリー・シーンは歴史を変
えた
立役者だ。
シーンよ、永遠に。


使い倒したナイフ

2024年03月27日 | open



2015年5月時点。

これさぁ、ことし2024年3月
時点でこれだぜ(笑


まあ、よく頑張ってくれて
ます(笑



カフェ

2024年03月27日 | open



ただでさえ喫茶店は個人経営
が困難な時代、フードが全く
無くドリンクオンリーという
のはかなり現実的に厳しいと
思う。本音のところ。
特に二輪乗りは腹減らしだし、
ドカーンと走った先では、
リンクとウマい飯が欲しく

る。

料理が美味しくて気立てのサッ
パリしたママさんとかのいる
店などあったら最高
だ。西宮
の海っぺりの店の
ように。
そのうちステーキ丼を食いに
行こうと思ってる。
ロッカーズとしてでなく、た
だの通りすがりの二輪乗りと
して。

歩ってけるとこなら毎日通っ
てるんじゃねぇかって店。
見てるだけで腹減って来る(笑
フードは大切だよぉ。
バイクだから酒は飲めないけ

どな。それは仕方ねえこった。


行くときゃベスパでなくカワ
サキだな。今住んでるとこか
ら250kmあるから。
帰りは夜だから、住宅街の店
前で始動
せずに、表通りまで
二輪は押っ
ぺしてくべ。




面圧をかけて乗るという事

2024年03月27日 | open



それはこういう事。
大なり小なり二輪の後輪は
こうなって前進する。
旋回前のハードブレーキング
では前輪がこうなり、旋回時
には前後がこうなり、コーナ
ー脱出時には後輪がこうなる。
また、このように面圧を人為
的に付与されて二輪はその二
輪独特のトラクションという
物を得る。
このタイヤの潰れる面圧付与
具合と路面からの牽引力であ
るトラクションを尻と五体で
感知して接地感を掴み取る。
それが二輪の乗り方だ。

速度の大小関係なく、この画像
の状態が二輪走行では発生して
いるし、人為的にも発生させな
いとならない。
一番危険な乗り方は、サスを
一切沈めず、コロコロと輪っか
が転がるようなトロッコみたい
な載り方をする方法。
サスも動かず、タイヤも面で
グリップしない。タイヤの柔ら
かさ任せでただ横に車体を倒し
込んでいく載り方。
それが二輪走行では一番危険だ。

ギュッと面圧をかける乗り方は、
確かな感知力によって体感を得
て体得しないと実行できない。
ただ速度を出すのとは別な次元
の二輪の高度かつ基本中の基本
の乗り方である。
高度なテクニックというのは、
高度であればある程、基本基礎
から外れず、どんどん基本の中
心に接近して来る。
これ、二輪走行の定理。

面圧のかけ方についてはいろい
ろな手法があるが、ほんの僅か
1センチ尻の位置を瞬間的にず
らすだけで外圧により重心位置
は大きく変化する。
二輪は不安定な乗り物なので、
僅かな重心位置の瞬時の選択
で挙動が変化する。
面圧付与はそれを利用する。
レーシングライダー(元を含む)
と一般公道を共に走るとよく
判るだろう。
コースライダーはコーナーに
進入する時、ヌペーッとは入
らず、一気に車体がパタン
しくはカクンとなるような
動を見せるだろう。
あれは面圧かけを操作してい
る。
そして、公道走行の速度域レ
ルであろうとも、第一次バ
ンクと第二次バンクを巧みに
使ってバンク角を任意に取っ
てラインをトレースしている
だ。
それらをしているのはコース
ライダーの公道での走り方。
だが、コースも公道も、ロー
ドモデルの二輪は操作操縦
法は同じだ。
オフ車やスクーターはまた別
な理論が絡んでくる。




リアブレーキ

2024年03月27日 | open



スポーティーかつレーシーな
走行ではリアブレーキなどは
制動の為には使わない。





唯一使うとしたら、制動では
なく車体姿勢の制御の為に使
う。これはスイングアームの
張りをどの場所でどうさせる
かによる。そこでリアを使う。


一般公道でもリアブレーキを
制動目的で使おうとすると、
それなりの結果がやってくる。
教習所あたりで仕込まれた嘘
乗りを真実と思い込んでそこ
から離れない向きがそれ。
大抵は、リアを踏み込みすぎ
てロックさせてすっ転ぶ。
リアブレーキを制動目的で
主軸として使用するのは明ら
かに誤りであると断言できる。

ロードモデルはフロントのみ
に制動のほとんどを仕事させ
る。これが正しい。
リアが浮こうが構わない。
制動させるのが主題であり、
リアブレーキでは制動しない
のだから、フロントに全てを
仕事させるのだ。




2024年03月27日 | open



鍔である。鐔とも書く。
刀装具にいろいろあれど、鍔
は一番目立つ所に配される。
実用上の物だが、そこに日本
人は日本人独特の美を表現し
た。
単なる実用上ならば丸い鉄板
であればよい。
だが、鍔には彫りや象嵌など
が施され、実用性プラス美術
的な意匠が表現される。
鍔だけの収集家もいる程だが、
それは何だか車好きだがハン
ドルだけ集めるマニアのよう
だ。
鍔は本来は刀身と連結されて
こそ存在意義があるし、デザ
インも刀身と一体となった上
での意匠となるべきだ。

刀装具の金具は、縁、頭、目貫、
鯉口、こじり等々あるが、中で
もやはり鍔が目立つ。
縁頭や目貫なども日本金工の技
術の粋が投入され、現代では再
現不能(施工方法が不明)な物も
多い。
鍔も同様で、髪の毛が通らない
程の鉄鍔の糸透かしなどは、現
代ではその技法が全く解明され
ていない。(本当に全く不明、
かつ現在のところ再現不能)

日本刀の世界は刀身だけを観る
鑑賞が主となっているが、刀装
具の世界も実用プラス芸術性の
高い工芸であり、非常に見所が
多く深い美術品となっている。
鍔の金額もピンキリで3万円程
度から数百万円するものまで
ある。
勿論、全て明治以前の本物実物。
明治以降の作は、本物の金工師
の作る現代美術品以外は全て
おもちゃだ。レプリカ。
模擬刀や安物の出来合いの吊る
し真剣などに着いているのが
れ。
本物は時代物と呼ばれる明治初
期までの武士がいた時代の作品。
刀と同じく、鍔も本物の時代物
を見たり入手するのが良い。
本物は本物であり、レプリカや
贋物ではないからだ。
美術品は本物=本歌を観ないと
真実が見えなくなる。

刀や刀装具を単なる道具として
しか扱わない向きには刀身も金
具もどうでもいい。
どうせ、使い捨てのトンカチや
箒と同じ程度にしか考えてない
のだから。
だが、袴を履いて武士の真似事
をしている刀振りたちにはそれ
が非常に多い。
当然、日本刀などには興味もな
いから、刀など全く見えない。
扱いさえも知らない。
咥えタバコで刀を振り回したり、
汚いネルに染み込ませた油で刀
身を拭ってもお構いなしだ。
物切り族や旗揚げスポーツ選手
にそれらが実に多い。
武士とは無縁の存在。
袴を履いて刀差してるからと
格好に騙されてはいけない。
武士とは無縁の者ほど偽物ぶり
を発揮するので看破は容易だが、
宜しくない事に、世の中、そう
した族が大きな顔して蔓延って
いる。
日本刀も刀装具も人も、本物本
当の真実を見ないとならない。



ブレーキング

2024年03月27日 | open



フルブレーキングで前サスが
フルボトムしているのに上半
身は柔らかく脱力している。
なぜできるのか。
それは下半身で乗っているか
ら。
公道一般車でも同じ乗り方を
する。
特にブレーキング時。
信号だろうとコーナー手前だ
ろうと、ブレーキング時には
ステップを使う。
ほんの少し踏ん張るだけで身
体安定性が得られる。
これは二人乗りの時にはてき
めんで、タンデムの人はブレ
ーキング時に足を踏ん張るの
が基本。
それをしないと、運転者にヘ
ルメットがゴッツンコするよ
ような事になる。
なお、二人乗りの時は、後ろ
の人は左右前後バランスなど
は一切取ってはダメ。
二輪はまともに走らない。
タンデム者は完全に物になる
ようにする。
制動時のステップ操作はタン
デム者も常用すべし。



二輪車

2024年03月27日 | open



フレームも塗ってしまうのは
どうかとも思うが、まとめが
めちゃくちゃいい。
乗る前から走りそう。



旋回時に一番重要な事

2024年03月27日 | open




二輪車での旋回時に一番重要
な事。
それはサスを沈めてサスに仕
事をさせる事。
サスペンションはバネで仕事
をする。減衰は別要素。バネ
こそがサスの如何を決定する。
タイヤのグリップ頼りだけの
寝かしこみはとても危険。
これは公道であろうとサーキッ
トと同じ運動原理が二輪には
働くので、当然、公道であって
も二輪の操作操縦はコースと
同じ扱い、動きを乗り手が下
すのが必要になる。

何もタイムを競う超速で公道
を走る必要は無い。
だが、低速度域であっても二
輪の操作操縦はコースと公道
で全く同じだ。
レーサーは機能機構が公道車
とは全くの別物ではあるが、
基本的に操縦に関しては同じ
二輪の原理が働くので、当然
操作は同じになってくる。

こうした運転上重要な視点は
教習所などでは教えない。
教習所は「交通法規を守って
車を運行できる人」を養成す
る場所であり、車の運転操縦
方法などは伝授しない。
ゆえに二輪の乗り手は、公道
に出て実走行の中で本物本当
の二輪の乗り方を覚えて行く。
いきなり危険がうごめく公道
で実践を重ねるしかない。
それゆえ、なおさら、嘘乗りは
危険を引き寄せる事になる。
早期に真実を見抜く視点を獲
得する事が長い年月に亘り安
全に走行できる事に繋がる。

あと、これは高度な技術に属
する事なので解りにくいかと
は思うが、公道を速く安全に
走るには、旋回時にあまり
寝かさない事だ。
サスは充分に沈めて旋回する
のだが、同じ速度では寝てな
い乗り手のほうが速く安全に
走行できている。(速いとは
区間タイムの事)
この原理と要素を理論的かつ
論理的に正しく理解して実行
するのは、二輪を知る者でな
いと困難だろう。
端的に言うと、寝かせすぎは
遅いのだ。そして安全性も遠
ざかる。
だが、どうして?となると、
乗り手は自分でその定理が
何から来てどうなってそう
であるのかを考えるべきだ。
考えながら乗らないと、二輪
は安全性も適合性も獲得でき
ない。



乗る時の姿勢

2024年03月27日 | open









競馬での乗馬姿勢と二輪ロード
レースでの前傾姿勢は同じ身体
用法で乗る。
上体は背中を脱力させて軽く円

弧を描いて伏せて、腕も脱力さ
せて手綱=ハンドルを保持する。
特に二輪では、上体直立起こし
の天神乗りなどはしない。

アメリカンバイク以外はクラウ
チングフォームが当たり
前だ。

その定理に国境は存在しない。


スピード競技では直線では伏
せる。競馬の場合はコーナー
でも伏せる。二輪もGP250な
どは伏せっぱなしだ。
排気量最高峰クラスだろうと
ライトウエイトクラスだろう
と、直線では伏せる。


これはなにも競技車両に限らず、
一般公道用車両であろうとも、
ハンドルを低くセットしたマシン
では上体を脱力させた前傾姿勢
を取る。当たり前の事だ。
ド加速時以外はタンクにベタ伏
せではないにせよ、上体は力を
抜いてふわりと被せる。
前傾モデルのマシンに乗る際に
上体起こしで腕を伸ばして突っ
張って上体を硬直させる乗り方
などは存在しない。あり得ない。
誤ったあり得ない事をやってい
るから自分が不適合姿勢である
のに「痛い」だの「きつい」だ
のが生じてそれを車のせいにす
る。その手の事を口にする連中
は二輪など降りたほうがよい。
根本から二輪を運転できないの
だし、苦しい事などやめたほう
がいい。二輪に乗って苦行のよ
うに感じる人生などつまらない
だろうに。
間違いを犯しているのが自分だ
と気づかないまま苦しい事を車
のせいにするなど、二重に過ち
を犯している。
そんな人生とはおさらばして、
二輪を降りたほうがよい。






二輪の旋回走行とタイヤ

2024年03月27日 | open



普通に面圧をかける乗り方を
していると、嫌でもタイヤの
端っこ付近まで使ってしまう。
これは寝かしの度数ではなく
面圧の問題。
タイヤは寝かせるというより
も潰す感覚で乗る。
これが二輪の旋回走行の基本。
寝かすのではなく面圧をかけ
る。コーナリングによる発生
したフォースをタイヤとサス
に伝達させる。
そういう乗り方。

旋回走行は感覚的には圧をか
ける感じ。
そこでの接地感を看守する際
に重要なのがトラクションの
感知だ。感知力が低いと旋回
走行はおぼつかなくなる。


89年式NSR250Rを脇阪寿一が十国峠で走らせたら

2024年03月27日 | open

89年式NSR250Rを脇阪寿一が
十国峠で
走らせたらあの頃に
タイムスリップした…



バイクが停まっていたら、
タイヤ
を観るのは当たり前
の事だ。

タイヤを見られるのが嫌なら
車を停めた時にカバーでも
かけておけ。

四輪レーシングドライバーの
脇坂さんが二輪解説している。
マスターGTだ。
89式NSR-SPロスマンズには
私もよく乗った。レーシング
逆シフトにセットした個体。
SPはサスが良いだけでなく、

ホイールもマグネシウムで
保安部品を外せば即コース
を走らせられる車体だった
(オイルポンプは外して混合
にするのは常識)。

同じMC18でも88式よりも
89式のほうが格段に進化し
ていた。次のMC21では更に
熟成されていた。
何が?
あの最悪ハンドリングが型が
新しくなる程徐々にネガ部分
が捨象されて来ていたのだ。
だが、それでもヤマハの良質
ハンドリングにはホンダは最
後まで追いつけなかった。
これは事実だ。
ホンダの車でヤマハを置いて
いく走りが現実に起きていた
のは、それは乗り手が超絶職
人技を発揮していたからだ。
フロントブレーキをあてなが
ら加速とか。それを限界速度
域で行なう。
それだけでなく、いろいろな
事をしないとヤマハに勝てな
いのがホンダだった。
そこに往年の王者スズキが
絡んできて、ある年はスズキ
が最速の年度もあったりした。
1980年代末期~1990年代の
初期
は激戦時代で非常に面白
いシ
ーンが観られた、いわば
パラダイス時
代だった。
1984年以来2ストレーサーから
撤退していたカワサキさえも
がワークスマシンをGPレース
でテストランさせる程だった。

カワサキ X-09(1992
)純レーサー






市販車改造車のF3(フォーミュ

ラ3)レースの人気は、本家本
元のGPマシン(純レーサー)
のレースよりも人気があった。
ある全日本選手権などは1レース
のエントリーが500台、ノービス
クラスの祭典である鈴鹿4時間
耐久レースのエントリーは1500
台(ライダーだけで3000人以上)
という時もあった。予選は1秒の
間に数百人いたりした。
日本国内限定レースのF3の人気
は市販車の人気上昇に直結した。
国産各社は熱いモデルを次々と
登場させていたのが1980年代末
期~1990年代中期だった。
だが、そのブームはF3レース
自体が消滅することにより、
沈静化した。同時に日本の歴史
的な空前絶後のバイクブームは
消滅したのだった。
そして、レース人気の衰退と共
に、一般車においても「乗れな
い人間」が大量発生する社会
現象が登場し、現代に至る。
彼らは別段オートバイが好きな
のではない。単なる移動手段と
して二輪を利用しているだけだ。
極言すれば、「バイク乗り」で
はない。二輪の操作や操縦につ
いての興味は無い。
郵便配達や新聞配達や出前デリ
バリーの人たちをバイ
ク乗りと
は呼ばない。それと
同じ。
オートバイに乗るのが目
的では
なく、別な目的の為に
二輪を利
用流用しているだけ。

それらはオートバイ乗りでは
ない。これガチで。
バイク屋の店長でさえ上体直立

肘張り硬直載りをしている。
見てられない手羽先硬直載り。

二輪の乗り方を知らないのだ。
つまり受験戦争時代を知らない
世代が何の勉強も研究も対策も
無く、大学はボーダーフリー
大学入学時代に生きて来た
のと
同じ現象。自分自身での自立的
かつ能動的な傾向
と対策努力
もなく、学問に興味もない

に形だけ大学卒を求めるよう
な時代の人間の二輪の載り方。
一切乗れてはいない。それを
ネットや動画で曝している。
二輪走行偏差値が低すぎて話
にならない。
こうした二輪界の現状の傾向
は、そのまま現代人がどんどん
学力が低下しているのと連動
している。
ある特定世代以降は「作られ
た世代」であるので、頭を弱
くさせられたのだ。
そして、二輪にさえもまとも
に乗れない。
その世代でまともに乗れている
のは、自覚して覚醒して自己変
革した人間だけだ。
この動画のNSRが登場した頃、
ほぼ全員がごく普通に二輪に
乗れていた。
だからこそ、こういうレーシ
グマシンのようなオートバイ

各社から出された。

当然の事だ。
現代のような芸能人が所有欲を
満たす為だけの虚栄心に訴える
オートバイなどはハーレー以外
存在しなかった。
日本車は実動能力と乗り人とが
実走行という現実において密接
な結節を構成する関係にあった
のだ。
それがオートバイの本来の在り

方である。
ゆえに当時は生産者と運用者が
極めて健全な関係、
健康的な二
輪環境だったといえ
るのだ。
それは二輪の根本存立意義であ
る「走り」を追求した車作りを
していたから。

レーシーな車において前傾姿勢
のクラウチングスタイルは当た
り前であり、そのフォームを
自分ができないからと「前傾は
きつい」とか「腰が痛い」など
という誤った自分の乗り方を
自問自省しない寝ぼけた人間
などはレーサーレプリカ大流行
の時代には一人もいなかった。

現代においてもSSモデルやカウ
ル付きモデルで「きつい」だの
「痛い」「疲れる」など言って
いる人間は、一言でもその類の
言を発したら「二輪の乗り方を
一切知らない人間」と断定でき
る。たとえバイク屋だろうと
自称モータージャーナリスト

だろうとだ。
メーカーはタイヤの付いた拷問
器具を作っているのではない
からだ。
自分の乗り方が根本的に悪いの
に車のせいにする。
そうした恥知らずは、かつての
NSR登場当時の日本にはいなか
った。
これ、現実であり、事実。