渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

旧山陽道(西国海道)

2022年01月11日 | open


三原城下旧山陽道にて。
大型車離合不能の江戸時代のままの
道幅です。
江戸時代にはここがどでかい城前
と城内を通るメインストリート。
城門がいくつもありました。
この先のどん突きが三原城です。
ここは城下西町。昔は職人街で、
鍛冶屋が数十軒ありました。
三原は西町が職人街、東町が商人
街、今の館町(やかたまち)・本町
(ほんまち)の東部・城町(しろまち)
の北部が武家地でした。
この今の三町は江戸期の町名は
今とは違います。
堀川町、船屋町、かじ新町等々、
江戸期の町名と現在は異なります。
また、武家地(町名無し)の作事奉行
所があったエリアは明治以降に御
作事町と命名されました。
昔の町名は町内会名などに残って
います。現行の町名は町内会の名
称には使っていない。

この画像の旧山陽道沿いの南北は、
すべて「ビルトインガレージ」と
なっています。
京都みたいな鰻の寝床の土地の形
で隣家とは建物がくっついている。
江戸時代から二階建ての模様。
そして、城近くの本町に入ると、
城内の館町までまるで町医者スト
リートのように数軒ごとに病院が
あります。
古い建物は明治大正時代の物しか
残っていませんが、城の石垣は
戦国時代の物です。
でも、かなり福島さんが整備した
のではなかろうか。城作りの名人
が。
そこを理由に幕府に改易させられ
たけど。歴史的な幕府得意のパワ
ハラである改易というやつで。

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