【渋谷・原宿】古道を辿って
「渋谷城」「本当の原宿」へ
私が生まれた時に住んでい
た町、東京都目黒区上目黒。
私の居住区は後に青葉台と
町名変更になり、上目黒エ
リアは縮小されて今も同地
名で残っている。
生まれた時に住んでいた家
の場所は上目黒一丁目の表
示だった。
上目黒-青葉台エリアは目黒
区といっても、歩けばほん
の数分ですぐに渋谷区だ。
私の幼い頃の生活圏は今の
JR目黒駅(品川区に在)周辺
ではなく、東急・国鉄渋谷
駅界隈だった。家からは2
キロ以内の圏内。
上目黒-青葉台は目黒といっ
てもほぼ渋谷というような
エリアだ。
なお、原宿青山一帯は江戸
時代には広島藩の下屋敷で
占められていた。
広島藩の中屋敷は赤坂見附。
虎ノ門溜池の土木工事を担
当したのも芸州浅野家だっ
た。
上屋敷は外桜田門霞ヶ関。
今の警視庁裏から国交省に
かけて藩邸上屋敷があった。
江戸詰めを命じられた藩士
たちは殿に随行して隔年ご
とに江戸府内に住した。
参勤交代を幕府から命じら
れた藩に属する家中たちは、
江戸時代には国許と江戸表
の両方に年ごとに代わりば
んこに数百年前から住んで
いたのである。
全国各藩のそうした多くの
人々は、大昔から今の東京
とは全く無縁ではない。実
際に大昔から江戸=東京に
代々住んでいた。
大江戸が百万人都市の世界
一の大都市であった頃には。
江戸は日本で一番の大都市
であると同時に最大の国内
軍事都市でもあった。
江戸に住する百万人の半数
以上の人口が戦争を職業と
する武装集団であったし、
都市計画は軍事的戦略によ
って実行されて大きくなっ
た町が江戸だった。
軍事だけでなく、産業商業
も国内随一の都市が江戸だ
った。
その江戸では独自の江戸文
化が誕生した。今の日本の
文化の中心にもなった基盤
だ。
江戸期は200数十年にわたり
戦争が停止されていたから
こそ江戸文化は誕生しえた。
人類の文化は平和な時代に
花開くからだ。
人口はパリを抜いて世界一
の人口を擁する町。
首都は京だったが、実質的
なメトロポリタンは江戸が
担っていた。
現在日本国は首都を法律で
は定めていないが、実質上
の首都は東京という形態は
江戸幕府が開かれた時から
継続している。
天皇はかつての征夷大将軍
の居住地に平安京=京都か
ら明治期に移住して宮城と
して江戸城跡地に住してい
る。だが、遷都は正式には
法的には実行していない。
日本は世界でも珍しい首都
を定めていない国となって
いる。
それどころか、日本という
国は国号を正式には決めて
いない世界でも珍しい国だ。
日本はニホンでもニッポン
でも読みはどちらでもよく、
また、正式国号自体を定め
てはいない。
その日本の中の東京という
場所は、事実上のニッポン
の首都として現在は機能し
ている。
なお、現在日本の人口の約
10人に1人は東京都民だ。
江戸期は30人に1人だった。
霞ヶ関の広島藩邸上屋敷(右)。
坂の左側角地は現在は外務省。
「東都名所霞ヶ関全図」
(広島市立中央図書館蔵)