資生堂 クリスタルデュウ CM(1977年)
マイピュアレディ 小林麻美
現代にも通じる小林麻美の
かわいさ。
離れ目ちゃん(笑
現代は離れ目ちゃんがトレン
ドになってきた。
1970年代当時は、小林麻美
や相本久美子かキャンディ
ーズの蘭ちゃんくらいしか
アイドルでは離れ目ちゃん
がいなかった。
1960年代には結構いたが、
1970年代は離れ目ちゃんが
レア状態だった。
離れ目ちゃんを「かわいい」
とか言うと「魚か?魚好き?」
とか言われたりした時代だっ
た。
現代は不思議な事に離れ目ち
ゃんがスタンダードになって
いる。
これは多分、美少女アニメの
隆盛の影響かと思われる。
1960年代にはボンドガールの
離れ目ちゃん浜美枝などは
「ファニーフェイス=変な
顔」とか言われていた。
中性ぽさで1960年代末期に
人気があったピーターなど
も、離れ目ちゃんの魁の一
人だった。
ただ気づく。
実はハリウッド女優の殆どは
離れ目ちゃんなのだ。
日本人でも、離れ目ちゃんが
ハーフぽい顔立ちの印象を受
けるのはその背景があるから
かも知れない。
こちら原曲。
尾崎亜美初期の大ヒット曲だ。
楽曲的に極めて秀逸な作品。
Ami Ozaki - マイピュアレディ (1977)
[Japanese Pop/Bossa Nova]
そういえば、尾崎亜美もしっ
かりと離れ目ちゃんだった(笑
ダイヤルで電話だぜ。
コイン=10円玉で(笑
この曲の1977年2月リリース
時の日本国内ではそうだった。
日本だけでなく海外もだ。
連絡方法は自宅電話と公衆
電話のみ。
電話は全部ジーコロコロの
ダイヤル電話だ。
メールも携帯もない時代。
だが、それゆえに人と人の
繋がりは一秒一秒が大切に
され、希薄な繋がりではな
い時代だった。
なお、ネット百科などでは
「マイ・ピュア・レディ」
と記載されるが、原曲原本
は「マイピュアレディ」が
当時の正しい表記だった。
1977年2月初旬に発売され
た尾崎亜美のサードシング
ルだった。
私は高校1年の終わり。
かなり衝撃的な曲調だった。
ボサノバを当時定着しつつ
あった脱フォーク→ニューミ
ュージック(現在のJ-POP)
でボサのリズムと素晴らし
い演奏で心地よくまとめて
表現し切った編曲だったか
らだ。
非常に完成度が高い。
スチール弦全盛の時代にガ
ットストリングスの音を蘇
らせて、その滑らかな音色
での演奏と編曲構成でまと
め上げた点が極めて秀逸。
歴史的な名曲と感じる。
1977年春。
風の強い日だった。
高校の昼休みに校庭にあっ
た学食棟でカレーライスを
注文して、外で食べた。
蕎麦とカレーがやたら美味
かった学食だった。
外で食べようと思ったのは、
風は流れているが晴れわた
るブルースカイだったから
だ。
校舎の石段に腰かけて空を
見ながら食べていた。
周りのバイク仲間の同級生
たちは、「この風の中、砂
ぼこりも舞うのに、よく外
で食えるなぁ」とか言って
いた。
さして砂ぼこりが皿に入る
わけでもない。気にしなか
った。食うのは自分だし。
それよりも、眼前に広がる
青空を見たかった。
その時、学内の昼休みの校
内放送でかかっていたのが、
この尾崎亜美の「マイピュ
アレディ」だった。
ジャケットみたいに抜ける
ような青空だった。