久留米の街なかを歩きました。仕事をリタイアしてからは街の中心部を歩くことは少なくなりました。商店街が寂れてしまい、街歩きの楽しみが減りましたね。
写真は「カトリック久留米教会」です。
久留米でのカトリックの歴史は江戸時代にさかのぼります。16世紀末、久留米領主であった毛利秀包がキリスト教を庇護し、城の近くに教会堂を建立します。 当時、久留米地方のキリシタンは7,00 . . . 本文を読む
福岡県うきは市にある「道の駅うきは」に行きました。ここは国道210号沿いの西見台と呼ばれる高台にあります。
この道の駅は、うきは市田篭地区にある平川家住宅を模して建てられています。平川家は2百年以上前の建築になる「くど造り」の民家で、国の重要文化財に指定されています。
また、ここは国土交通省から重点「道の駅」に選定されています。
正面です。うきは市はフルーツが有名ですが、この道 . . . 本文を読む
日田に用事があったので、帰りに豆田町に寄りました。平日ですが観光客もそこそこ来ていました。
日本丸館の岩尾薬舗さんです。前回来た時ここでのど飴を買いましたが、結構具合が良かったので再訪しました。
店内です。懐かしい薬が売られています。ニッケ味ののど飴を買いました。
薫長酒造の直売所です。
上町通りから草野本家へ行く小路で。昔は町中にこう . . . 本文を読む
ドライブの途中、「道の駅おおき」に寄りました。ここは筑後平野の南部、大木町にある道の駅です。環境に力を入れている町です。
道の駅にあるもったいない宣言の看板です。ここは以前にも紹介しました。こちらです。
道の駅に隣接しているバイオマスプラント「おおき循環センター」です。生ごみ、し尿、浄化槽汚泥をここで処理し、液肥とメタンガスを生産しています。周りを4、5mの高さの土居で囲 . . . 本文を読む
ご近所に不幸があり、隣組として通夜、葬儀の受付の手伝いをしました。
今は葬儀社の斎場で執り行うことが多いので、ほとんどが会社任せです。葬儀社がマニュアルに従って段取りやお世話をしてくれます。
以前は葬儀はお寺や自宅でしていました。そのため、別れの膳(呼び方は色々だと思います)を準備するため隣組の奥さんたちが炊き出しのお手伝いをしていました。そして葬儀の後にその方たちを招待し、或いはお金を . . . 本文を読む
久し振りにバスと電車を乗り継いで、福岡市まで出掛けました。
平日の午前、バスは空いているだろうと思ったら意外と乗客が多く、手すりに摑まることに。見るとお年寄りが多いですね。杖を持った方も何人か。大都市と違って、田舎では高齢者も移動に車を使うことが多いのですが、車を手放す人も次第に増えてくるのでしょう。
地方では公共交通機関は不便で高い、というのが通り相場です。もともと人口密 . . . 本文を読む
新聞の投書欄を読んで、思わず苦笑いをした。
その方は私と同年輩で、会社を退職された方である。毎日、家にいると気が滅入る。そういう時は駅まで車を飛ばし、電車に乗って大都市の繁華街に行くそうである。人ごみの中をあてもなく歩いていると、気持ちがシャキッとする。そうして都会の喧騒を堪能し、帰宅するということである。
そうだよなと声を掛けたい。退職して仕事の軛から解放された嬉しさもそこそこに、趣味 . . . 本文を読む
福岡県立美術館で「没後40年 髙島野十郎展」が開催されているので出掛けました。
県立美術館です。中学か高校の時にここで「ツタンカーメン展」があり、来たことがあります。ピラミッドの発掘物語などを読んでいた時期でもあり、教科書にも出ていたので大いに関心がありました。確か実物が展示されていたと思います。当時は美術館ではなく文化会館といっていました。
髙島野十郎は明治23年、久留米市の . . . 本文を読む
学童保育の研修会に行ってきました。 今回の研修は、指導員の先生や関係者など、数百人が参加する全体研修会です。研修の内容は各地区の実践報告や専門家の講演ですが、参加して感じるのは学童の指導員も実践的なスキルを要求される時代になったということです。
もともと、学童保育は共働き世帯における鍵っ子対策として始まりました。しかし子どもを取り巻く環境が変化し、学童保育が行政の施策として一般化すると、保育 . . . 本文を読む