頑張れ!じゃがいも3兄弟!自分に甘く、子供に厳しい親父の日記パート2

この日記は、子供達の日々の成長や反省を書き綴り、子供達の成長を真に願う方々と熱く語れる場になればと思い作成しました。

月曜日は・・

2017年02月27日 | 日記

土曜日は1日審判。

日曜日は岡山県で練成会。

そんな翌日の月曜日ってのは、まぁ〜きついです。

何がそんなにきついのかって言うと、肉体的なものより様々なフラストレーションが溜まることが原因かなと思います。

土曜日についてはほとんどセコンドに付けなかったので、もうちょっとこうゆう指示を出してやれば良かったという気持ちや、試合を見ていないので、良かった部分、悪かった部分が分からないというフラストレーション。

日曜日の練成会では、低学年、中学年、高学年、女子の各会場を見て回り、腰が痛いという者がおればそのケアに回り、保護者から練習中に怪我をさせたと聞けば状況を確認して、相手様に頭を下げに行く。

当然、我が子なんてゆっくりと見る時間なんてなく、大和には、自分が見ていないところでの怪我だけが怖いので、

体重別に向けて自分で考えて調整しとき。

とだけ伝えていましたが、ここ数年は、普段の練習からこういったパターンが多い。

畳の上に道着を着て上がっているならば、我が子なんて見れなくて当然とは思ってはいるが、我が子が気になるのは当たり前のことであって、これもまた一つの要因かと。

しかし、保護者(私もその内の1人ですが・・)ってのは、畳の上に上がっている人間の言動をよく見ていて、先生が頑張ってくれているので、自分達にも何か出来ることはないだろうかと考えて行動されている方もいる。

そういった支えであったり、共に子供の成長を喜び、感謝の気持ちに動かされて今に至っているわけですが、組織のメンバー全員の価値観や常識が同じかと言われればそうではなく、その差異に気疲れしてしまうことが多々ある。

まぁ〜百歩譲って、その背景を考えてみると、我が子が道場にいるから気にもなり、腹も立てば、苛立ちを感じるわけで、完全に人に預けてしまった方が自分としても行動し易いのかなとも感じています。

日によって、我が子がいなければ、少年柔道に携わることなんて出来ないと思ったり、今日のように、道場に我が子がいないからこそ指導に邁進出来るんではないかと思ったり、ま、春が近いので、精神不安定な今日この頃であります。
(ずっとか・・)