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いかにして右組か左組にするかを決めるかとの質問を受けました。
子供達の右組か左組かを決めるにあたっては私なりに体のバランスを判断して決めていました。
ただ、それも大悟達の指導を経て学んでいったものであり、当初はそんなことを考えたこともありませんでした。
兄弟で唯一右組の大悟ですが、いつのまにか右組でスタート。
でも、ボールを蹴るのは左利きで、右足でバランスを取っていることに気づいたのはてスタートを切った後のことでした。
逆に大晟は右利きでしたが、大悟が左組が苦手だからという理由と、私が左組で指導し易いからと左組にしました。
今思うと、何とも浅はかな理由です。
ここも、もう少し吟味して決めていたら良かったと思うところです。
また、当時道場には右組の選手ばかりで、まずは一本背負いから習う傾向にありました。
勿論、背負い投げの前回りは基本ではありますが、体格やバランスを見て、左組にしたり、少しづつ触っていきました。
何が正解かなんて分かりませんが、右組か左組かを決めるのは柔道のスタート地点ではあり、今後を大きく左右する分岐点でもあります。
なので、
よし、こいつは左組で行こう。
よし、こいつは内股で行こう。
と指導者が使命感を持って決めてやっているか。
そこが大事なのかなと思います。
ちなみに大和は兄ちゃん達とは違う柔道だねとよく言われますが、当然、兄貴達の反省を生かしながらの指導に心掛けてきました。
根性論路線に変更はありませんが、大和の時代には厳しさの中でも自主性を涵養することにシフトチェンジというところでしょうか。
なので、兄貴達に出来ないことが大和が出来る=優れている。ではなくて、指導する側の指導や考え方に変化があったので、良いも悪いも変化があって然りだと思います。
水をやっても芽が出ない、じゃ土を変えてみるか、日当たりのいい場所に移動させるかと考えず、何でや!と頭ごなしに言っているだけでは、良くてそのまま若しくは枯れてしまうのではないかと。
弱肉強食の世界をいかにして生き抜いていけるか、勝ち残っていけるか、そんなことばかり考えていた十数年間だったような気がします。
まだまだ戦いの真っ只中なので、いつでも学び、反省する姿勢は持っています。
そこの部分はまだまだ現役だし、まだまだ負けないと思ってます。